青くゆるやかな手

 三角形のうえ、もうめっきり朝。

 涼しい風の、塔のうえにいる四人の顔なでている。

 気軽い澪伽からの成仏論たら、しごく簡単だった。

「おそらく成仏と呼べる方法ならふたつある」

 まず閉じた扇で一と示される。

「まず年月、およそ百年の経れば、ふつうの幽霊って自然に消える」

 つぎ仲骨のわずか覗かし二つ目。

「もうひとつ、もっと簡単で目のつぶって願うことだ」

「願う?」

 葦ノの訊き返しで、覗いただけの扇の閉じた。

「古い文献で、幽霊のそうやって成仏しかけたってさ」

「その本気ってところ、ミソなんだね」

「闇の底で成仏したいと願うんだよ」

「目の瞑って……」

「さっそくやってみるんだね」

「変に邪念の刺し挟まるとやだから」

 じゃあ、さようなら。

 葦ノそう残して、まぶたの裏ある闇底へ。

 まわりでなにやら幽冷亭や、女咲の呟いていた。

 そういう音も、風の吹きつける感触からも遠くなった。

 感覚の失って、水中で浮いている気持ちにおちついていった。

 本気であるから、こうなってもしばらく願掛けしていた。

 すると無明の闇へ声が降ってくる。

 澄んだ男の声だった。

「若いのに早まったかとのする」

 葦ノのひたすら黙っていた。

「なるほど、邪念だと思っているんだな」

 かまわず瞑目。

「私は迎えに来たものだ。もちろん成仏させてやれる」

 表情の動揺しないよう気遣う。

 男の気にせず続ける。

「だがお前のほんとう成仏したいか?」

 頷きや首振りのしなかった。

「葦ノといったか、お前は最初に心したところへ意固地になっている」

 気づいていなかった図星のつかれて、浅く息を吐いた。

「人の心なら移ろう。移ろうことの罪でない。そこへ正直でないこそ罪」

 説法だなぁと鬱陶しがるようにした。

「嘘のつきたくばつけ、怒りたくば怒れ、頑なになりたければなれ」

 非道で、矛盾と頭で否定した。

「けれどみな本心でなくばいけない。そして本心のたったひとつでない」

 経でも読まれているような、さびしさのあった。

「生きていることこれ、諦めにて亡くせる。生きるこそ生きるを諦めるためである」

 ここで思わず、我慢より不満の先行して口のきいてしまう。

「なんでそんな寂しいこというの」

「それの言えるならば、まだここへ来るべきでない」

「私って約束の守るほうだよ」

 まだ慰めのように瞑目だけつづいて闇に吠える。

「たしかにここまでの生き様も亡き様もそうであったとうかがえる」

「だったら守るべきじゃない?」

「約束の守りたいもお前の意志、約束の破りたいもお前の意志。すべてお前のものだ」

「だからこうやって決めてきた」

「ならばお前の決めたことの成せばよい」

「成仏したい」

「ならばすればよい。肉体から放たれた幽霊の自由である」

「どうすればできるの」

「もうなっているかもしれない」

「じょうだんでしょう」

「いっただろう。すべてお前のものだ。また、すべて皆のものだ」

「話になっているの。誰だか知らないけど」

「知る必要のない。お前の知るべくは本心たったひとつだ」

「そんなのわかっているって!」

 かみ合わない問答でたまらない。

 それへ加え、どうしてだか涙の目じりから頬まで伝って温かかった。

「なぜ、泣くのか」

「知らない。たぶんどうすればいいか、わかんなくなってるからじゃない」

「迷いか。迷うならば立ち止まるとよい」

「そんなの私って気がしない。生きているって感じじゃない」

「ならば目覚めて帰るといい。お前のまだ生亡法に迷い、独立していない」

 泣き面でも、まだ頑なにまぶたの閉じ切っている。

「生亡法?」

「生きること亡くなることの境界。お前のまだ生きているつもりでいる」

「それだと成仏できないの?」

「すべてお前のもので、自由であり、可能である」

「らちの開かないや」

「私の答えるものでない、答えるのお前によって決めること、移ろうことだ」

「もうわかんないよ。生きたいんだか、いなくなりたいんだか」

「ならば目覚めてみよ」

 どうなりたいにせよ、どうせお前は生きているのだ。

 声のそう言いつつ遠ざかった。

 瞑っていたのを開けた。

 天の青い朝に、幽冷亭、女咲ともども顔ののぞいてくる。

 ただ三角塔で寝ていただけの始末だった。

 涙だけさっきの声のあった証明らしく流れていた。

 幽霊でも涙なんてあるんだと、なんとなく思って上体の起こした。

「どうせ私の生きている」

 言われたことのこっそり反すうした。

 幽冷亭から手の伸ばされる。

「おかえり」

 そう迎えるよう微笑んでくれる。

「ちょっと怖くなちゃった」

 泣き笑って手のあわせた。

「まぁ、生きているってそんなもんだろ」

「約束やぶちゃったや」

「どっちみち百年くらいすりゃ、終わるんだ」

 生き急ぐなんて、お前らしくねぇと幽冷亭やさしく快活であった。

 葦ノの、青い空へ息吐いて、

「そうだね」

 と苦笑し、

「私、冒険好きなんだよ」

「そうぽいな」

「幽霊でさまようってのも、立派な冒険かもしれない」

 鉈のぶらさげる少女のみれば、めずらしく柔らかい表情であった。

 座っている学者なら頼りなくもにこやかである。

 それでそばの少年あかるく葦ノのことばを待っている。

 だから葦ノの、生きているような元気で言ってのけた。

「生亡法なんてわからない。けど、はっきりしていることのひとつある」

 朝日へ手のかざし、その光の手に入れるよう握りこむ。

「私はこれから生きる」

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打つる霊マ生亡法 外レ籤あみだ @hazurekujiamida

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