三 占い師のカード
「……?」
お香でも焚いているのか? 座るとなんだか甘い匂いが不意にわたしの鼻を突く。
「わしの占いはこのタロットで行う。ただし、通常は〝小アルカナ〟と呼ばれる
だが、わたしがその匂いに気をとられている内にも、早々、老易者は占いの説明を始めている。
和装の見た目からして本当に
「では、始めよう……」
そっち系、わたしはぜんぜん詳しくないので説明はよくわからなかったが、ともかく老易者はカードをよくきると、
「うーむ…… 全体を包む雰囲気は〝
並べ終えると、それをマジマジと見つめながら老易者はわたしの運命を読み解いてゆく。
「問題の根幹にあるのは〝
「……!」
聞き慣れない単語が多くて言葉の半分も理解できなかったが、その指摘を聞くとわたしはハッと息を飲む。
思いがけずも、ズバリそれは当たっている……。
「その顔、当たりじゃな……で、近い未来に起こるのは〝
しかし、その先はまたよくわからない。
「今、お嬢さんが恐れておるのは〝
老易者は髑髏の死神が描かれたカードを指し示しながら続きを語るが、別に「死ぬ」だとか不吉なことは言っていない。どうやら絵柄や名前とは裏腹に、そうした悪い意味のカードというわけでもないようだ。
しかし、なんだろう? 覚醒って……周囲が望んでいるのは服従? どういう意味なんだろう?
「最後に、全体を総括しての結果は〝
そう言って締めくくると、老易者は最後に置いたカードを手に取り、その
暴力や黒魔術……先程の〝死神〟とは違い、その意味するところは見た目通りにあまり良くないカードらしい。
でも、それがわたしの運命とどう関係してるというのだろうか?
「あの、それってどういう意味なんですか……?」
最初はそれほど興味もなかったのだが、なんだか気になって思わず尋ねてしまう。
「まだピンとこないかね? いや、本当はもう気づいているはずじゃ。お嬢さんを苦しめておるのは世の不正や不公平……そんな慣習や規則の遵守……周囲が求める服従……何か思い当たることがあるじゃろう?」
不正や不公平──職場でのパワハラやセクハラ、ブラックな労働条件……老易者が改めて告げる占いの結果に、そんな日々の理不尽をわたしは思い出す。
……そうだ。カレシと別れたのだって、そんなストレスや時間のなさからすれ違い、だんだんと心が離れていったからだ……すべては仕事の……いや、ひいてはそんな労働者を苦しめて搾取する、この社会のあり方が原因なのだ。
「ようやくわかってきたようじゃの……じゃが、おまえさんは変化を恐れておる。反面、本心では
わたしの心を見透かしているかのように、老易者はわたしの眼を覗き込みながらなおも続ける。
「しかし、カードは闘争と崩壊による目覚め、そして、復讐と暴力による革命が起きる未来を示しておる……さあ、今こそ目覚めの時! この〝
「悪魔……」
老易者は不気味な悪魔の絵を眼前に突きつけ、追い討ちをかけるかのようにしてさらに告げる。
「このカードをよーく見つめておれば、自ずとそなたのなすべきことが頭に浮かんでこよう…… 〝
悪魔と眼を合わせながら老易者の言葉に耳を傾けていると、なんだか頭がぼーっ…としてきてしまう。
「復讐と革命……」
……そうだ。わたしを苦しめているのはこの不公平な社会だ……わたしが幸せになるためには社会に復讐し、たとえ道義を無視した方法でも勝利を収めなければならない……。
「ここに、〝
だんだんと自分のなすべきことが見えてきたわたしに、何かを机の上に置いて老易者はそう促す。
「これは……」
悪魔の絵からそちらへ視線を移せば、それは一本のナイフである。ホームセンターでも売っていそうな、ありきたりの料理用ナイフだ。
「さあ、今こそ覚醒の時。己の願望を解き放ち、この力を使って社会への復讐を果たすのだ!」
このナイフで、理不尽な社会への復讐を……。
老易者の言葉に従い、わたしはそのナイフを手に取るとゆっくり椅子から立ち上がる……。
「…ギャハハハ……社長、もう一件いきましょう!」
「おう。株でだいぶ儲けたからな。今日は俺の奢りだ! ガハハハハ…」
ふと表通りへ目を向ければ、まさにそんな社会を代表するかのような俗物達が、呑気に酔っ払ってご機嫌に闊歩している。
「さあ、世の理不尽に服従するのはもう終わりだ。社会への復讐を果たし、自身も、そして世界も変革するのだ!」
「……そうだ。わたしは変わる……わたしが世界を変えるんだ……」
ついに覚醒したわたしは、ナイフを握る手に力を込めると、言い知れぬ高揚感とともに表通りの方へと一歩を踏み出す。
……が、その時だった。
「……痛っ!」
突然、腰の辺りに激しい痛みを感じると、感電したかのような痺れを覚える。
「……ハッ! あ、あれ? な、なんでわたし、ナイフなんか……そ、それに今、なんて怖いこと考えてたの?」
その衝撃に、わたしは憑き物でも落ちたかのように正気を取り戻した。
老易者に促されたとはいえ、自分でナイフを手にしたことはちゃんと憶えている……多少なりと社会に不満があったことも確かだが、だからといって、ナイフで見知らぬ通行人を襲うだなんて、なぜそんな恐ろしいことを考えていたのかがさっぱりわからない。
「乱暴な真似をして済まなかった。だが、てっとり早く
何がなんだかわけがわからず、わたしが混乱した頭で呆然と立ち尽くしていると、不意にそんな声が背後から聞こえる。
「……!?」
振り返ってみると、そこには全身影のように真っ黒い人物が、どこからともなく姿を現していた。
その手には何やら先端にバジバジ…と蒼白い電流の流れる装置を握っている……おそらくスタンガンだ。今の衝撃は、たぶんそれをわたしに押し当てたのだろう。
……いや、そんなことよりも問題なのはその恰好だ。
漆黒のフード付きロングコートをマントのように羽織り、そのフードを目深に頭からすっぽりかぶっているその姿は、先刻、時計塔の天辺にいたあの人物とまさに同様のものである……じゃあ、あれは見間違いではなかったのか?
「黒マント……」
わたしは無意識にも、存在も疑わしきその怪人の名を口にしていた。
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