二 通り魔の事件

 わたしの名前は妹背菓子いもせかこ。ここ小江越市で暮らす二十代のしがないOLである。


 小江越市は関東に位置する一地方都市で、江戸時代から続く古い街並みと戦前の近代建築が混在する城下町であり、いわゆる〝小江戸〟と呼ばれるような町の一つだ。


 それなりに観光客で賑わうものの、基本、長閑で平和な田舎町なのであるが、ここ一月ほどというもの、何やら不穏な空気がこの町を覆っている……〝黒マント〟が出たなんて聞いても、あまり現実味を感じないのはそのせいもあるかもしれない。


 それは〝黒マント〟なんかよりもはるかにリアリティのある確かな恐怖だ……一月ほど前から、夜の街で奇妙な通り魔事件が立て続けに起きているのである。


 これまでにあったのは計四回。すべて殺人未遂で終わってはいるものの、平均一週間に一回のハイペースで事件は起きている。


 週一のペースで通り魔が起きるというのは異常事態だ。大都会ならともかく、それまで平和だった長閑な田舎町で、いきなりそんな大事件が起き始めるというのはおかしいだろう。仮に模倣犯だったとしても立て続けに起きすぎだ。


 だが、報道によると、今のところ犯人達の間に関係性はまったく見当たらないらしい。


 犯行方法も対象が無差別というだけで特に法則性はないし、凶器も万能包丁やカッターなどの、そこらで買えるありきたりのものだ。


 では被害者の方はというと、〝通り魔〟なので当然といえば当然なのだが、こちらも犯人とはなんら関係のない、ただ通りかかって不幸にも出くわしてしまった通行人達である。


 また、動機もなんだか不可解であり、犯人はその都度、現行犯で捕まっているのだが、全員、金銭目的や怨恨ではないし、なんでそんなことをしてしまったのかよくわからないと証言している。


 まあ、仕事上の人間関係だとか、ここ十数年で広がった格差社会だとか、各々社会への不満を持ってはいたようなので、強いて言えばそうした鬱憤を晴らすための無差別テロということになるんだろうが……つまりは現代社会のひずみが生み出した犯罪ということだ。


 そう考えるとわたしも他人事ではない。パワハラ、セクハラ、ブラック労働……同じようにストレスを日々感じているし、一つ間違えれば、わたしだってそんな犯行に及んでしまうかもしれない。


「ハァ……」


 今日だって夜遅くまでのサービス残業を済ませた後、独り深いため息を吐きながら、繁華街をとぼとぼと駅へ向かっている。


 夜更けとはいえ、街のあかりで思うほど暗くはなく、陽気な酔っ払い達と行き交うその通りは賑やかであるが、その賑やかさがむしろ孤独感をいっそう引き立ててくれる……ああ、ちなみにわたしは一人暮らしな上、この前、カレシとも別れたのでものすごく孤独でもある。


「ハァ……」


 わたしはもう一度深いため息を吐くと、なんとなく頭上を見上げてみる……そこには街のシンボルである例の時計塔が建っており、ぼんやりと光る文字盤へと自然に目が吸い寄せられた。


「もう十一時半かあ……」


 時刻はすでに終電時間へ迫っている。下手をすればタクシーで帰ることとなってまた無駄な出費だ……。


 だが、わたしがそんな俗的なことをなんとなく考えていた時のこと。


「……!?」


 わたしの目は、時計塔の天辺にありえないものを捉えた。


 尖塔のような尖った屋根から突き出た避雷針のその突端……そこに、黒い人影のようなものが立っていたのである。


「人……?」


 わたしは怪訝に思いながら目を凝らして思わずそれをまじまじと見つめる。


 ……いや、人影じゃない。蒼白い月明かりと下からの照明に映し出されたそれは、影ではなく、影のように・・・・・漆黒の衣装を纏った人間だったのだ。


 どうやらフードをかぶっているらしく、顔は衣服同様、真っ黒になっていてよくわからないが、フード付きのローブみたいなものなのか? マントのようにその長い裾を夜風に翻している……。


 影の如く漆黒の色をしたマント……そこまで認識した時、ようやくわたしの中で〝黒マント〟とその怪人物が繋がった。


「……っ!」


 と、その瞬間。その黒い怪人がわたしの方を見下した…ような気がしたのだが、息を飲む刹那の内にも、それは煙のように夜の闇の中へと溶けて消える。


「き、消えた……も、もしかして幽霊!?」


 一瞬にして消えるなんて、人間にできるような芸当ではない……いや、それ以前にあんな場所に立っていること自体非常識だ。


 あれが本当に〝黒マント〟なのかどうかは知らないが、そんなこの世ならざる存在だと思うと、急に背筋に冷たいものを感じはじめる……ていうか、〝黒マント〟って、そんな幽霊的な怪異だったのか? いや、むしろ妖怪!?


「き、気のせいだ……きっと疲れてるのね……」


 一度ひとたび、そんな考えに捉えられると恐ろしい妄想がどんどんと膨らんでいってしまい、わたしはふるふると頭を横に振ると、今見たものは幻覚だったのだと自分に言い聞かせようとする。


「……気のせいだ……そう。わたしはブラック企業のせいで幻まで視るようになってしまったんだ……」


 無理矢理納得させるため、呪文の如くそう唱えながら、わたしは血の気の失せた顔でふらふらとまた駅を目指し進んでゆく……。


「そこを行くお嬢さん、ずいぶん心が疲れているようだね」


 だが、そんなところへ、思いがけず声をかけてくる者があった。


 焦点の合わぬ眼でずっと下を向いていたので気づかなかったが、声の聞こえた脇の方へ視線を向けると、表通りから入った薄暗い裏路地に、小さな机を置いて初老の男性が腰掛けている……白髪頭の厳しい顔をした和装の老人で、「占い」という文字の書かれた行燈あんどんが机の上に置かれていた。


 いわゆる〝易者〟というやつだろうか?


「……わ、わたしですか?」


 周囲を見回した後、付近に他の人は見当たらなかったが、一応、自分を指差して尋ねてみる。


「ああ、おまえさんじゃ。なんとも酷い顔をしておるぞ? どれ、初回サービスということでタダで見てしんぜよう。ほら、ここに座りなさい」


 すると、その易者の老人は大きく頷き、そう言いながらわたしを手招きした。


 酷い顔…とは失礼な言いようだが、それはあの〝黒マント〟らしいのを見たためなのか? それとも日頃のストレスが溜まってるからなのか……。


 怪しさ満点ではあるものの、まあ、タダだし、たとえインチキでも懐は痛まない。ここからは追加料金…云々言い出したら速攻で席を立つまでだ。


 多少の気晴らしにもなるように思えたので、わたしは老易者の言葉に乗って、彼の前に置かれた椅子へ腰掛けてみた。

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