tp10 足取り探し二日目③ ――I cried when I was ordered to redo it――

「調達って、どうせコンビニとか出来合いのとかでしょ? それなら出かけなくて大丈夫だよ。二人が作りかけにしてたのがんだから、その続きの仕事くらい、俺にさせてよ」


 渡されたばかりのペットボトルを、調理台の隅に置いた俺は、急いで笙真の目の前に回り込んで、口先を本物の狐みたいに尖らせながら言った。

 俺が見せた剣幕に気圧されたのだろうか。

 銅色あかがねの髪をさらに派手に染め直した小さな女の子に、通せんぼをされる形になった少年が、いかにも仕方ないと言いたげな緩慢な首の動きとともに、今しがた通り過ぎたばかりのキッチンへと視線を戻してくれた。 

 

 もしかしたら、これは、上手くいくかもしれない。


 一秒、二秒と、調理に使うカウンターの上に彼が目を走らせている時間が伸びるのにつれて、高まった期待値で、とくんと心臓が脈を打った。

 キッチンには、出水家に臨時の客として滞在している俺とペギーの二人を加えた、四人分の朝食になりかかっている食材たちが、最後の仕上げを受けるのを今か今かとばかりに静かに待っていたからだ。


 ドキドキするあまり姿が変わりそうになるのを、手のひらをぎゅっと握りしめて、俺はぐっと我慢する。

 けれども、カウンターから戻ってきた視線で、こちらの心と魔法をまとめて観察し終わった彼の口から出てきたのは、俺が待ち望んでいた、新しい仕事を任せてくれるための言葉ではなかった。

 

「……やめときなよ。身体に心が引っ張られてるなんて、全然いい兆候じゃないよ。それに、レベッカ嬢の身体に、傷一つでも付けたら、大変なことになるってボクらに言われたのを、まさか忘れたわけじゃないよね?」

「させるわけないよ、怪我なんて。これでも慣れてるんだ、台所仕事くらいやらせてよ」


 だって、まだまだ底までたどり着かない人口減少下の日本国内において、男がどうとか、女がどうとかといった贅沢を堂々と口にできるような、根っからの強心臓揃いの家は、東京の宮代本家わが家も含めてもう殆ど残っていないのだ。

 もっとも、その気になれば家事労働者ハウスキーパーに余裕で全てを任せられるくらいに、経済的には恵まれている環境で育った俺が、家事をきちんと仕込まれていたのは、母さんと父さんの考えに依るところの方が大きかったけれども。

 

 この世界の宮代家とは、異なる宮代家の事情を思い浮かべた俺の心を、どう「読んだ」のか、眉間に皺を寄せた宮代笙真は、再び否定の言葉を向けてきた。 


「いいや、やっぱりダメだ。そんな青い顔で言われたって、信用なんてできるもんか」

「でも」

「いいから。おとなしくさっさと座りなよ。師匠たちに声をかけたら行ってくるけど、ポーリャちゃんはさ、絶対に台所に入らないようにね」

 

 ついでとばかりに、大股で再びキッチンに足を運んだ笙真は、未開封だった抹茶ラテの封をわざわざ切って、本来ならばお嬢様のために設けられているはずの俺の指定席に置いてくれた。

 座卓の上のそのペットボトルと並んでいるような銀色の小さなEAPスマホを、顎しゃくりで示した彼は、俺が諦めて席に着くのを見届けてから、もう一度「絶対だからね」と言い残して、やっと二階に上っていった。

 一歩も引かない様子だった少年の足音を聞きながら、俺はのろのろと銀の筐体を手に取り、八桁のパスコードを入力する。

 

       ◇


 正直なところ、レベッカお嬢様のお目覚めは、作成途中だったチル魔法の構文作成の都合からすると、ものすごくマイナスに働くような出来事だった。


 予定していたプランは当然、青写真から撮り直さないとならない。それは、苦労して一文字ずつ打ち込んだ内の相当部分を破棄しろと迫られているのと、同じことだと言ってもよかった。


 EAPの小さなディスプレイのために、全体像どころか、一文の中の繋がりさえも容易に見通せないのが作業の最大の障壁になっているチル魔法の構文を、何度も上下にスクロールさせながら、書き換えているうちに、あっという間に約束していた一時間が経過してしまった。

 もちろん修正作業の最中に、だ。


 ひょっとしたら、スマホよりも紙とペンの方が早い――わけないか……。動かすために、どうせ打ち込まなければならないんだから。

 糖分だけ入れたら、続けよう。やるしかない。


 冷静に考えれば、ネックになっているのは、開発環境の最低なまでの劣悪さなのだけれど、自棄っぱちな代替手段が頭をよぎるほど捗らない仕事に、俺は夕方の作業を今日限定で・・・・・前倒しすることを、自然と決断していた。


 一時の休息を得るために、甘ったるいことが容易に想像できる抹茶ラテを、俺は手に取った。

 すでにキャップを開封済みの、濁ったドブ色の常温に戻った液体入りのペットボトルを傾け、栄養ドリンクよろしく一気にあおろうとする。

 暴力的な甘さに、驚いた喉が盛大にせる。それでも構わず次の一口を胃に落とし込むため、涙目のまま再びボトルを傾けかけた俺の手首を掴んだのは、いつの間にか、隣で作業の様子を覗き込んでいた笙真だった。


「馬鹿っ。ボクはな、レベッカ嬢に誤嚥を起こさせるために、お前に抹茶ラテをくれた訳じゃないんだけど」

「だって……!!」


 あとはもう、言葉にならなかった。

 宮代笙真の皮肉に耐えきれず、俺は大声を上げて泣き出した。

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