tp9 足取り探し二日目② ――Before breakfast――

 悪夢を見て億劫だった俺が、階下に足を運ばざるを得なかった理由――レベッカお嬢様の一月以上ぶりとなる肉声――に気付いたペギーと知恵先生の行動は、迅速だった。


「笙真を呼び戻すわね、きっと森だと思うけど」

「頼みます。私は、お嬢様のおそばに」

「ええ、そうしてあげて」


 頷き合ったうちの一人、ペギーがすぐさま俺の目の前に膝をついた。魔力を観るため、こちらの瞳を覗き込んでくる。菫色の瞳に、ひわ色の虹彩が映り込んだ。


 親しい間柄同士でしか行われないという、その仕草に、お嬢様が示した反応は、苛烈とも言えるほどの拒絶だった。

 

「観ないで……! おねえさん、だれ!?」


 俺の意志とは無関係に、伸びた腕にエプロンドレスに包まれた上体を思い切り押されたペギーが、バランスを崩し尻餅をつく。

 そんな彼女に、一瞥いちべつすらくれず、転げるように駆け出したばかりの身体の動きを止めたのは、俺だった。

 

「なあ、落ち着けよ。彼女はあんたの侍女のペギーだろ。分からないのか?」

「あんなひと、リベのいえにはいないよ!」


 自分の肉体が、知らぬ相手に内側から止められた。通常ではありえない状態の中、気丈にも反論の声を上げたお嬢様だったが、威勢のよさは、そこまでだった。

 思うようにならない手足に気付いた、幼い少女の全身がわななき、唐突に力をなくす。


 どうやら、お嬢様の身体に居候している俺の存在に耐えきれず、意識を手放したようだ。


 再び完全な自由を取り戻した身体に、俺はほうと息を吐き、床に両手もろてをついた。

 お嬢様が覚えた血の気が引く感覚に、彼女の身体に閉じ込められている俺も、我慢ができなかったのだ。

 背中一面に浮かぶ、じっとりとした冷たい汗を感じながら、気怠げに身を起こした俺の肩に、ひんやりとした手のひらが添えられた。


 手の主は、いつの間にか、傍らまで追いついていたペギーだった。彼女の手を借り、俺はどうにか立ち上がる。


「大丈夫か?」

「俺は、なんとか。お嬢様は、全然大丈夫じゃなさそうだけど」

「いいよ。少なくとも、起きてくださったんだから、今はそれで十分だ。お茶を入れるね。お嬢様が好きなジャスミンティーにするけど、飲めそうなら飲むといいよ」

「……ありがとう」


 既に定位置になっている、掘り炬燵式の座卓の上座から二番手の席に腰掛け、忙しなく行き来を始めたペギーの動きを見るともなく見ながら、俺は今度は、知恵先生の通話内容に耳を澄ませた。

 電話の相手は、先ほどの二人のやりとり通りなら、笙真だろう。

 早く戻るように叱責する声を最後に、受話器をおいた先生が、こちらに振り向く。

 

「戻りたくないって渋るものだから、思わず叱り飛ばしちゃったわ。褒められるようなやり方じゃないけど、あの子も結構強情なんだもの。……顔色、もっと酷くなってるわね」

「そうですか? さっきよりは悪くない気がするんだけどな」

「嘘おっしゃい。手ぇ、震えてるわよ」

「え、やだ。ほんとだ……」

「『読ん』でもいいかしら? リベちゃんが、どうなってるか、私も確かめておきたいし」


 細かく痙攣している拳を、思わずさらに握り締める俺に、先生が言った瞬間。

 キッチンからペギーの悲鳴が上がった。


「……あつッ……!」

「ペギー!?」

「あなたは座ってなさいな。アデリーさん、大丈夫?」

「――平気です。ちょっと火傷しただけだから」


 知恵先生と俺に向けて、押し殺したような声が返ってくる。

 それに前後するように身を乗り出しかけていた俺を、手のひらで制した知恵先生が、立ち上がった。

 彼女が後ろ手で閉め切った、リビングとキッチンを隔てる引き戸の向こうから、シンクを叩く水音がし、それはしばらくのかんまなかった。

 

 二十分ほどして、曇りガラスが嵌められた引き戸が開き、お茶を用意していたはずのペギーが、知恵先生に伴われて、キッチンから戻ってきた。

 彼女のほっそりとした指は、レースで縁取られた白いエプロンに隠されていて、窺うことはできなかったが、俯いたまま通り過ぎようとする《鳥》の少女の表情からは、火傷がちょっとで済んだ風にはまるで見えなかった。


「しばらく上にいるから、そこにいて。笙真が戻ったら頼むわね」


 眉間に皺を寄せた先生が、俺に一言だけ残し、ペギーとともに階段のほうへ姿を消す。

 

 彼女たちを見送った俺は、迷った末にキッチンへと向かった。

 調理台の上に置かれたガラス製の茶器には、抽出時間を取りすぎて、いかにも苦そうな色になってしまった茉莉花茶が注がれないまま残っている。

 そのすぐそばの足元には、くず入れがあり、中を覗くと、絆創膏の包みが少なくとも五枚分はありそうだった。


 間違いなく苦いだろうけど、このお茶を飲もうか、諦めようか。


 ぼんやりと見当違いの思案をはじめた俺の耳に、勝手口の開く音が届いた。

 振り向くと、そこには、息を切らした笙真の姿。


「リベ……! ――じゃないね。昴、レベッカ嬢が目を覚ましたって本当?」

「本当だよ。すぐまた気を失っちゃったけどね」

「すぐって……。じゃあ、なんでその連絡は、寄越さなかったわけ? 気絶してる子の心なんて、流石に腕利きの『明かし』のボクだって、『読め』無いんだけど」


 自分の魔法に自信のありそうな言い草を、皮肉たっぷりの口調に乗せてこちらに歩み寄りつつ、彼は「読み」が宿った魔法の目を、俺に向けてきた。

 俺の先生ししょーと同じ顔をした少年の口から放たれる冷たい声音を、これ以上聞きたくなかった俺は、彼の魔法に素直に応じる。

 

「――そうだね。間違いなく、レベッカ嬢だ。マーゴットのことは分からなかったんだ?」

「うん」


 俺が見聞きしたそのままを「読み」取った笙真は、興奮しているのでもなく、かと言って、落胆しているわけでもなかった。

 強いて言えば、ごく平然とした普通の口調。それに対して、俺は短く返事をする。

 

「ほかには? 彼女は何か言ってた?」

「笙真君は?って言ってたよ」


 重ねてやってきた次の問いかけに、砂糖菓子でできてたみたいな、彼女の口振りを思い出しながら返すと、再び俺の心を「読んだ」少年は、なんとも形容しずらい表情になった。


「お嬢様と笙真君って、いつからの知り合いなわけ? もしかして、ペギーより古かったりする?」

「古くはないよ。そう言えば、師匠たちは?」


 俺の問いに短く答えると、彼は話題を変えてきた。


「上にいるよ。ペギーが指を火傷しちゃって」

「火傷?」

「そのお茶をいれてる時に。お嬢様がペギーのことを分からなかったのが、ショックだったみたいで、それで」


 やや要領を得ない言い回しだったかなと思いつつも、俺は茶色くなりすぎた元・ジャスミンティーを視線で示して言った。

 

「うわ、すっごい色。どうするの、それ」


 彼は、顔を顰めて、再び俺の方を見る。


「まさかと思うけど」

「流石にこれは飲まないよ。俺が入れ直すけど、甘くないのって、笙真君は飲める?」

「飲めるけど、遠慮しとく。甘いもののほうがやっぱいいし。ポーリャちゃんも顔色良くないから、甘いのにしなよ。ほら、コレなんかどう?」


 俺が苦笑しながら提示した案を却下して、冷蔵庫を開けた笙真が取り出したのは、恐ろしく糖分量の多そうな、抹茶ラテと乳酸菌飲料だった。

 前者を選んだ俺に向け、彼はまた口を開いた。


「そういえば、例のアレって、進捗はどんな具合? 今朝の作業がまだなら、今からやりなよ。その間に、朝飯調達してくるから、飯のあとに様子を見せて」


 ボトルのキャップを捻りつつ、言いながらリビングに向けて歩きはじめた彼は、さらにその先にある、ペギーと知恵先生のいる二階のほうを見あげた。

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