tp8 足取り探し二日目 ――mare――
デリカシーがないと言われなかったことに、少しだけ安堵して、灯りを落とした俺は、ペギーが緩く編んでくれていたおさげ髪の上から毛布を被った。
起毛の効いた柔らかい生地と、やや皺だらけのシーツの間にサンドされながら、俺がこの世界へ持ち込みを許された唯一の私物である、銀色の小さなスマートフォンへ、八桁のパスコードを入力する。
お嬢様の身体に宿っている魔力――《
さあて、今夜のお仕事タイムだな。
格好がつくように、胸の中でそう独り
もっとも、ツールの正式名称は、俺たちには、まだ知らされていなかったけれども。
たぶんさ、レセプションで行われる予定だった先生のスピーチで、発表されるはずだったコールネームなんだと思うよ。
俺と同じように、ツールの存在を知っている、あいつだったら、口にしそうな台詞を胸の中でなぞってみた。
過去形になってしまっている言い回しに、案の定、虚しい気持ちが湧き上がってくる。
「ほんとにね。どんな名前だったんだろう。知りたかったな。……そのためにも、頑張らないと」
それでも、どうにか自分を鼓舞しようと、小声で呟いた俺は、呼び方が明らかにされていないアプリ内へ、作成途中のチル魔法の構文データを呼び出して、今朝の作業の続きに取り掛かった。
とはいえ、開発環境は、恵まれているとは言い難かった。
本来ならば、チルによって、脳内に直接、視覚情報を送ることができるため、目で見ることに関して、ほとんど考慮されていない、2インチもない小さなディスプレイしか、俺のスマホには存在していないからだ。
そんな小さな画面に向かって、ソフトウェアキーボードと指で一文字ずつ入力していくなんて、正気の沙汰とも思えないほど、最高に効率の悪いやり方だけれども、ほかにやりようがないので、しかたがない。
一時間後、あまりにささやかな、今日の進捗が反映されたデータを保存して、俺はスマホとの格闘で酷使していた目を閉じた。
女の子に眼鏡なんて、可哀想だしと言ったのは、俺なので、今さら変えるつもりはないけれど、一時間って、本当にあっという間。
……それにしても、"
数日ぶりに、内容を覚えている夢を見た。悪夢だった。
死体は、写真でしか
今にも崩れ落ちそうなペギーに向かって、俺が何事か言おうとした瞬間、慟哭していたはずの彼女が、幽鬼みたいな顔でこちらに振り向いて、馬乗りにされる。
俺に一度だけ、嗚咽しているところを見せてくれた菫色の瞳が、真っ赤な憤怒にまみれていて、アンタのせいで、と罵られた。
白魚みたいな指が、俺の呼吸をまるごと奪い取ろうと、ぎりりと軋むほどの力で締め上げてくる。
酸素と助けを求めて、右へ左へと彷徨わせた視界の中には、桜の花弁に混じって、先生と、小鳥と、母さんたちのものだと分かる紅白の「破片」が散らばっていて――
「――――ッ!!!!」
がばりと飛び起きた拍子に、傍らに置いたままの流線型の
ガツンと嫌な音がして、暗闇の中で目を覚ましたばかりの俺は、音の出どころを指で探ろうとして、全然届きそうもないことにやっと気がつく。
硬質ガラスで覆われたEAPの小さなメインディスプレイは、床と喧嘩しても無事だったが、俺の気持ちのほうは仔狐に変身してしまうくらい散々だった。
朝になっても食欲なんて、これっぽっちも湧かなかったけれど、レベッカお嬢様の身体に何か変わったことがあったときには、必ず報告することになっているので、居間に顔を出さないわけにもいかない。
そんなわけで、
「おはよう」
「……おはよ……」
リビングの戸口をくぐった俺に、最初に挨拶をくれた、いつも通りの《鳥》の少女へ、元気ゼロ倍の声で
そんな俺に、続いて声を掛けてくれたのは、この家の主であり、笙真の魔法の師でもある知恵さんこと、
こちらの世界での、俺の大師匠様である彼女は、キッチンから顔を覗かせつつのお声掛けだった。
「おはよう、すば……スヴェトラーナさん。なんだか、一段と調子がよくなさそうだけど、どうかしたの? まさか、笙真が何か言っちゃったとか?」
「違うんです。いつもよりちょっと、夢見が悪くって……。『読む』のは止めてください。今朝のは、特に最低最悪だし」
「あら、ほんとだわね」
俺の
ペギーも、おやすみと声を掛け合ったときとは、だいぶ様子が異なっている俺の有様に、心配そうだ。
「いつもより酷いなんて大丈夫? 私でよければ昨日みたいに話を聞こうか?」
「……アデリーさん、
二人にとってはとっくに承知済みの事柄である、俺の悪夢に関して、珍しく硬い声音を零した知恵先生を振り返って、ペギーが首を傾げる。
「私が? それならなおさら」
「やめて、ペギーには聞かれたくない。ねえ、笙真君は」
喉から絞り出された声の前半は、どうにか俺の意思によるものと言ってよかったが、後半は、違った。
年相応に、舌っ足らずで、甘えた口調。こんな声質の声は、俺に出せるわけが、なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます