tp3 「あとは未来へ帰るだけ」そう思った俺が甘かった ――Marriage diplomacy that failed――

 二〇五〇年にいる皆が、ひとまずはまだ無事だと再確認した俺の口から、安堵感だけで構成された長いため息が零れる。

 それを最後まで噛み締め、もうひとつの懸念事項である未来への帰還について、先生に持ちかけようと視線を掌の中のEAPから上げかけた瞬間だった。


「話はついたようだな」


 俺の左手、先生の向かい側の壁のほうから、突然声が降って――いや、ほとんど真上から落ちてきた。


 部屋には、俺と先生しかいないはずじゃあ。


 「読み」による根拠もないままに、そう思いこんでいた俺が、ハッと見上げると、エプロンドレスメイド服に身を包み、ロフトから身を乗り出した鮮やかなブロンドの若い女と視線がかち合った。

 一体全体どうなってるわけ? と先生を見遣ると、俺の心を「読んだ」のだろう。困り果てたように眉を下げた彼は、なんとも歯切れの悪い口調で答えてきた。


「本来ならば、宮代家の総力を挙げてでも、キミが未来に帰る手助けをしてあげたいところなんだけれどね」

「続きは、わたしから話そう。早速だが、宮代昴殿。貴殿に非があるわけではないから、甚だ遺憾ではあるのだが、スバル・ミヤシロの名は、金輪際名乗らないでくれ」


 ――は?


 何を言われているのか理解が追いつかず、俺は思わず眉を顰める。

 そんな俺の傍らへ、物音ひとつもさせずに着地した女は、けぶるようなすみれ色の瞳をこちらに向けてきた。 

 最初の一瞬だけそこに宿っていた、痛ましげな色を瞬きひとつの間に完璧に消し去ると、彼女は、結い上げたその髪と同じくらい生真面目そうな硬い視線で俺を見据えたまま告げる。


「貴殿の名前の響きは、レベッカお嬢様の名を汚した下手人げしにん、スバル・ミヤシロと同じ音のため、万が一にでも、貴方が彼だと誤認された場合の身の安全は保証しかねる。それが、遠慮していただきたい理由だ」

「マーゴット・アデリー。日本語に不慣れなキミの説明だと、また面倒事が増えるだけだから、ボクも手伝うよ」


 埃を膝から払い除けるような仕草のあと、先生は立ち上がって、女に並んだ。目の前にいる先生の背丈は、俺が知っているよりも二十センチは低いので、俺に向かい合った二人の身の丈はほとんど同じくらいに見える。


「宮代家の別荘に滞在中だったレベッカ嬢――レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワと彼女の護衛をしていたはずの『明かし』の魔法使いが三日前に揃って森の中で姿を消した。『あなまほ』アプリまで投入して探しているのに、まだ発見に至っていない。今朝になって、どういうわけか彼女とよく似た特徴の女の子がこの家に突然、現れた」

「お、おう……」

「おう、じゃないよ。その子が昴なんだから」

 マジかよ。知らなかった。

「知らなくてもいいから。黙って聞いて」


 俺の心の中をまた「読んだ」ことを告げ、先生は言葉を継ぐ。菫色の目の女も、それに倣う。


「二人がいなくなる直前の目撃情報から、彼女たちが何らかのトラブルに巻き込まれたのは明白なのに、何があったかは分からない」

「目撃情報は大きく分けて、二種類ある。一つは、二人のあとをつける、風体のよくない小集団の存在」

「二つ目は、レベッカ嬢が思い詰めた顔で、人目もはばからずにスバルに縋り付いて涙していたということさ」

「お嬢様に懸想していた宮代家の若い男に誑かされて、川へ入水して、無理心中を遂げた。《シザーズ》のオヤジ様はともかく、奥様たちは二つ目の情報の方がまだマシとばかりに、概ねそんな理解で今はまとまっていらっしゃる」

「うちも似たようなものさ。心中に誘ったのは、レベッカ嬢ってことになっているけどね。師匠やゆきの話だと、本家だけじゃなくって親戚中がその噂で持ち切りみたい。ほかには、一つ目の情報に関係しているほうの、口にするのも憚りたくなるような噂もあるけれど。どんな内容か聞きたい?」

「やめてくれ。どうせ虫唾が走るようなろくでもない話だろう」

「まあ、ね。――あのさ、昴。話は変わるけど『あなまほ』をベースにしたアプリの開発経験はどのくらいだい?」


 会話が続くにつれて、先生と女の間を行き来するアイコンタクトから、俺が外されがちになっている。二人の視線を追いつつ、そんなことを考えていると、急に先生の目がこちらに止まった。ホントに全然べつの話だな、と思いながら答える。


「どのくらいも何も、先生も見たでしょう? 俺のスマホのロックを外せるくらいなんだから、見放題じゃん」

「断りもせず勝手に覗いたことは謝るよ。でも、昴のプライバシーに関するところはなるべく遠慮したつもりなんだけどな。『明かし』だからって、何でもかんでも知りたいわけじゃないからね」

「……それで?」

「察しが悪いな。それでも『明かし』かよ』

「俺は正真正銘の『明かし』だけど、この身体は『明かし』じゃないんだから仕方ないだろ」

 さっき確かめたのは、先生のくせに……。


 俺のEAPスマホに搭載された、この時代のものよりずっと高性能の「あなまほ」――「あなたも魔法使い!?」という、正式名称も略称もふざけた名前の魔法の種類を鑑定・計測する機能を持つアプリ――によって、隅々まで身体中を探られた時のことを思い出して、ムッとした俺は、口を尖らせて言ってやった。

 

「いい加減にしたまえ! さっきから黙って聞いていれば、スバル、スバルと……! お嬢様の口からその名前を出させるなと言ったはずだぞ!」

「やかましいな。だいたい、キミが最初に間違えたのがいけないんだからな。間抜けなペギー。キミさえ間違わなければ、二人は何事もなく帰って来ていたかもしれないんだぞ! キミみたいな子をレベッカ嬢に付けざるを得ないなんて、《狐》の困窮は余程なんだろうね!」


 すると、俺の気持ちが二人に感染うつりでもしたのだろうか。

 突然声を荒げ、こちらに指を突きつけながら黄色い声で喚くお仕着せの女に、先生が心底うんざりしたような声で答えた。


「なんだと! もう一度言ってみるがいい!」

「ああ、何度だって言ってやるさ。あの日、《鳥》の秘薬を渡し間違えたのは、キミだろう。レベッカ嬢をアイツに見合うような五歳年上の姿にしてあげるどころか、本当に五つになる薬の方をくれちまうんだから。おかげで本当のことが誰にも分からなくなった。これを間抜けと言わずして、何を間抜けと言うんだい」

「…………」

「しかも、やらかしに気付いた瞬間に残った薬を自分で飲むんだから最悪だよ。そういうのはな、証拠隠滅って言うんだぜ。アイツのことだけでも頭が痛いのに、隠さないといけないことばかりポンポン増やしやがって。……何? どうして知っているかって? アンタが《鳥》の血を引いてるからって、記憶力まで三歩歩けばなんとやらとでも言うつもりかい? 忘れてるなら教えてやるよ、ボクは『明かし』だぞ! 知らないほうがおかしいだろ!!」


 ひと息にそう言い切ったせいか、荒くなった呼吸が落ち着くまでの幾許いくばくかの間をおいてから、先生は俺に向き直った。普段は滅多に見せないような真剣な眼差しとともに、告げる。


「……そういうわけだから、昴が未来へ戻る方法を見つけることと引き換えに協力して欲しい。やって欲しいのは、ボクの親友の『宮代スバル』とレベッカ嬢の身の潔白を証明して、《狐》とうちのこじれた仲をどうにかすること、それだけ。これが、スバルの顔と名前だよ」


 そんな言葉とともに、彼が差し出した真っ赤なスマートフォン。

 俺や先生の持つそれと違って、まるで宙に浮きそうにない使い込まれた四角い端末の画面には、十代半ばの三人の少年少女と、俺より少しだけ年上の見たこともない青年一人が笑顔で収まったスナップが映し出されている。

 三人の後ろで歯を見せて笑っている青年の顎の少し下には、指でなぞったガタガタな筆跡で「宮代統」と記されていた。

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