tp4 分かったことがある。五歳の女の子には、ペットボトルのキャップは固い。(ただし、個人差あり) ――Just give it my all for strong wish――

 引き換えにって……、そんなこと言われても困るんだけど。早く未来へ戻らないといけないのに。

 ――だなあ、聞きたくない。


 そう思った俺の心を「読んで」分かっているだろうに、応じてくれるつもりは更々ないらしい。

 憮然として立ち尽くしている俺から目を離すと、先生ししょーは再び、マットレスに腰を据えた。こちらの掌に押し付けたスマホの画面の中の残り三人を指さしながら、一方的に話しだす。

 

「見れば分かるとは思うけど、一応教えとくね。これが、ボク。真ん中がレベッカ嬢。それから、一番右がマーゴット。ボクらと変わらなく見えるかもしれないけど、マーゴットは十八歳だよ。昴は十七だったよね。良かったね、マーゴット。昴よりも『お姉さん』だよ」

「『変わらなく』も、『良かったね』も余計だ。宮代笙真」


 今しがたの先生の言葉だけでなく、先ほどの二人のやりとりをの当たりにしたせいで、若い女というよりも、完全に少女にしか見えなくなってしまったマーゴットが口を挟んでくる。

 先生の軽口に気を取られている彼女を、俺は下から上まで、横目で素早く盗み見た。

 よく分からないけれど、としを五つ加えるという効能は、きっと本当なのだろう。目の前の相手は、ベゼルの中で澄ましていた姿に比べて、背が伸びて全体的にすらりとしているし、顔だってずっと大人びているように見える。


 まあ、それでも二十三には見えないな。せいぜい俺と同い年実年齢くらいがいいところだ。


 童顔ってのは、こういうのことを言うんだろうな。そう結論付けて、絶対に手間を掛けて結われたに違いない彼女のブロンドから視線を剥がす。

 すると、同じくらいのタイミングで先生から目を逸らしたマーゴットと、また目線が重なってしまった。

 なだらかに押し上げられたエプロンドレスの胸元の少し下で、組まれた腕。

 苛立ちのためか、その二の腕をリズムをとって叩く四本の指は相変わらずだったが、先生にくれていた時よりは幾らか角の取れている視線を辿り、彼女の心のうちを「読もう」として、見事に失敗する。


 だめだな。やっぱり「読み」が使えないって、すんげえ、やりにくい。


 物心がついたときから、片時も離れたことなんてなかった魔法「読み」を、全く振るえなくなった悔しさで、目眩めまいがする。掠れ気味のため息が漏れた。

 それをどんな風に捉えたのか、マーゴットが突然しゃがみ込んで、俺の目の前に膝をついた。しかも俺の前髪をかき上げて、こちらの目をじぃっと覗き込んでくる。吐息が掛かりかねないくらい、近い距離。

 思わず心臓が跳ねそうになる。

 

「な、なに……?」

「なるほど、宮代笙真の言うことも、たまには一理あるな。魔法の使い方がここまで下手くそでは間違いようがない。貴殿は確かに、お嬢様が悪ふざけをしているわけでも、宮代統がいているわけでもなさそうだ」


 な……ッ――、下手くそって、どういう――……


 ドギマギしてしまった俺を小馬鹿にするような、失礼な物言い。さすがに腹が立って、俺は結構腕の立つ方なんだけどと、彼女に反論しようとしたところで、いきなり膝からガクンと力が抜ける。

 あっと思う間もなく、俺の意識が、暗転した。






「……大丈夫か? 動かないで、じっとしてろ。魔力切れで倒れたんだ。あんまり動くと――ほら、頭が痛むんだろう」


 どれくらい時間が経ってしまったのだろう。よじるように身じろぎすると、制止する声とともに肩を軽く押さえつけられた。

 絞ったタオルでも載せられているのか、額のあたりが、そこだけはひんやりとして、少しだけ心地いい。

 それ以外は、信じられないくらいズキズキする頭に鞭を打って、俺が辛うじて薄目を開けると、涙でぼやけた視界の中で、先生とマーゴットがこちらを覗き込んでいるみたいだった。


「未来のボクから何を教わってきたか知らないけどさ、そんな小さな体で息をするみたいに魔法を使ってたら、すぐ倒れちゃうのは当然だよ。マーゴットが気づかなかったら、頭を打ってたところなんだからね」


 淡々とした中に、呆れが混ざった、変声期前の先生の声。

 その声に、なんのことだろう、「読み」は一度も上手くいかなかったのに、という疑問が勝手に浮かび上がった。 


「――もしかして魔法を使ってる自覚がないの?  今だって、なけなしの魔力をひっきりなしに振り回してて、見てられないくらいなのに。それさ、その変な形のスマホに頼りすぎてる弊害とかじゃないよね?」


 何言ってるの? 弊害も何も、EAPもなしにそんな立て続けに魔法が使えるはずないんだけど。だいたいどうして、なけなしだなんて分かるわけ? 昔は、いちいちスマホを向けないと魔法を感知できなかったって言ってたのは、先生じゃん……。


「ねえ、宮代笙真。お嬢様……ポーリャ殿は、今朝もこんな感じで森から?」

「うん、ぼんやりした様子で庭先に現れた時も、そうだった。だから、誰かに見つかる前に思わず師匠んちに上げちゃったんだ」

「じゃあ、レベッカお嬢様はやっぱり、まだ――」

「それこそまだ分からないよ。身体の特徴は、彼女に間違いないって、びしょ濡れだったリベを着替えさせたキミが言ってたじゃん。それにしても、一日に二度も倒れちゃうなんて」

「これはこれで、憂慮すべきことだな。出水先生を呼んだ方がいい?」

「呼ぶも何も、ポーリャちゃんを膝に抱えてどうやって動くつもり? あ、こら、起きちゃだめ。魔法を使おうとするのもだ」


 ひとつ上の女の子マーゴットに、膝枕されてる!


 先生の言葉で、ようやくそれに気付いた俺は、慌ててね起きようとして、頭の中を駆け抜けた激痛にこっぴどく打ちのめされた。

 情けないことに、思わず、痛い!!と子どもみたいな悲鳴まで口を衝いて出る始末だ。

 そんな俺を易々やすやすと太腿の上に連れ戻したマーゴットは、今の騒ぎで俺が弾き飛ばしてしまった冷えピタを、腕と上半身を目一杯伸ばして拾おうとして、諦めたらしい。

 俺の身体にぎりぎり触れないくらいまで姿勢を低くした彼女の眼差しを受けて、先生が水色のジェルシートを拾い上げてくれた。

 そのころにはすっかり背筋をしゃん・・・と伸ばし直していた彼女は、先生から一応シートを受け取ったものの、だめだなとばかりに左右に首を振った。

 エプロンドレスを、何故かやたらとごそごそさせて、新しいパッケージを取り出すと、封を切り、そちらの方を俺の額に貼ろうとしてくる。

 また前髪をかき上げられるのは、さすがに男としてのプライドから認めるわけにはいかないので、俺はなんとか自分で前髪をけて、再び上体を屈めてくる少女の細い指に身を委ねた。


      ◇


「気分はどう?」

「いいわけないです。……まあ、アデリーさんのおかげで、さっきよりずいぶんマシになりましたけど」


 明々あかあかと灯るシーリングライトに照らされた、白いクロス張りの天井を背景にして、三人分の飲み物を手に一階したから戻ってきたばかりの先生が、俺の顔を覗き込んで話しかけてきた。


「なら、よかった。そのままでいいから、聞きなよ」

 膝枕してもらったこんな格好のまま? それはちょっと――。

「まだ紙みたいな顔してるんだから、無理しちゃダメだよ。マーゴットも、別にいいよね。ポーリャちゃんがそこにいたって」

「正直なことだけ言わせてもらおう。足が痺れてきたから、そろそろベッドの上にでも移ってもらいたいのだけれど」


 清潔そうな匂いと寝心地は百歩譲るとして、居心地の善し悪しなんて、絶対に言えるはずのない膝枕を渋る俺と、こちらからはいだ水面のようにしか見えない菫色の瞳を先生に向けて、足が痺れたと訴えるマーゴット。

 三本のペットボトルを、マーゴットがいたロフトの真下から少し離れて置かれているベッド脇の書き物机ライティングデスクに並べながら、俺達二人の視線を受け止めた先生は、右の手のひらをあっさりと俺に差し伸べてきた。

 

「二人がそう言うなら、そういうことにしとくよ。立てそう、昴?」

「なんとか」

 ……ああ、参った。それにしても、魔力切れなんて、いつぶりだろう。


 先生の腕に、半ば縋るように体重をかけさせてもらい、立ち上がる。目眩こそもうないものの、足元がふわふわとしてまだ上手く定まらない。

 我ながら情けねー……と思いつつ、どうにか寝台の上まで辿り着いた俺は、ずるずるとヘッドボードに背中を預けた。


「どっちにする?」


 病人でもないのに、ベッドの上の住人と化した俺を見届けて、三本のペットボトルの中から、早々とコーラだけを抜き取った先生が、残りの二本のどちらが欲しいかと俺とマーゴットに問うてくる。


「俺は最後でいいから、アデリーさんからどうぞ」

「ペギーでいい。お嬢様みたいに振る舞うつもりが有るなら、そう呼んで欲しい。……なあ、実は、読めない漢字があるんだ。この二つのうちで、味が甘くないのはどちらだ?」


 日本語に不慣れなのは、本当みたいだな。話し方は、ちょっと女の子らしさにかけてて、しかも古くさいのを別にすれば、わりかし流暢なくせに、変なの。


 ペットボトルを両手に一本ずつ持ったマーゴットが俺の直ぐそばに浅く腰掛けて、先生には聞かれたくない様子で、声を潜め、尋ねてくる。

 「読め」ないから根拠なんてないものの、さっきまで静かだった菫色の瞳に、助けを欲しがっている、緊張した困惑感が少しだけ浮かんでいるような気がしたので、俺はそれを信じて口を開く。

 

「それならどちらも。人工甘味料も、砂糖も、そのほかにも甘さを感じさせるようなものは何一つ入ってないです。日本茶と紅茶の意味は……、分かってるみたいですね。どっちにします?」

「ならば日本茶にしよう。日本に来たら、本場のものを一度試したかったんだ」


 ペットボトルのお茶に、本場とかそうじゃないのとかって、あるのだろうか。そんな疑問が頭に浮かんだが、不粋になるだけなので口にしない。

 その代わり、背もたれから苦労して上半身を引き離した俺は、彼女が選ばなかったほうのボトルに手を伸ばし、ちょっとでも似ているといいんだけれど、と願いながら、言葉を繋げた。


「じゃあ、俺は残った紅茶コレで。――さっきは膝を貸してくれて、本当にありがとう。私も恥ずかしかったから、お相子あいこですね、ペギー。……貴女のお嬢様の喋り方って、こんな感じで、合ってます?」

「――全然似ていないよ。キミは魔法以外も下手くそだな」

「そうスか。教えてくれたら、ペギーでも見分けがつかないくらい、似せられると思います?」

「お嬢様の名が懸かっているんだ。出来るようになってもらわないと困る」

「ねえ、二人で何の話をしているの? ボクも混ぜてよ」


 さすがに、視線を交わさず、声も十分に届かない状況なら「読み」ようがないらしく、先生が俺達の会話に直接割って入ってきた。


「甘くないお茶はどっちだって聞かれたから、両方ともって答えただけです。ペギーとは初対面なんだから、大したことなんて話しようがないですよ」

「そのとおりだよ。あとはな、お嬢様の喋り方を尋ねられたから、似ていないって返事もしたけれどね」

「ふうん。少しはやる気になったみたいだね。頼んでおいてなんだけどさ、きっと大変だと思うよ。現実は、ああ上手くはいかないだろうしね」


 ああ上手く? なにを指しているのかと思い、俺が半身はんみを投げ出しているこのベッドの足元のさらに先、そこへ投げかけられた先生の目線を追うと、合点が行った。

 向かいの壁に造り付けられた、背高の棚の中に、インド神話から魔法の教本に至るまで所狭しと並んだ雑多なジャンルの本達。

 存在感を湛えて、その一角を占めるテラコッタ色の超がつくほどの長編作品の出だしは、確かに今の俺が置かれた状況と、共通点がなくもない。

 あの話の結末は確か――、思い出しかけたところで、俺は慌てて思考を散らし、書架からこちらに戻ってきた先生の魔法の目から逃れるために、両手の間に視線を落とした。

 これからどうしようと一瞬だけ悩んだ末、持っていたペットボトルのキャップが開けられなくて困っている小さな女の子のふりをする。


 危ない、危ない。作品の大のフリークである先生に、こんなところで完結前の物語のネタバレなんて「読ませて」しまったら、帰ったあとで何を言われるか、知れたもんじゃない。


 ――……バレてないよね?


 思いながら、恐る恐る目線を上げると、先生とペギーが、二人揃って胡散くさそうな顔で俺を見つめていた。


 バレてるし。あーあ、がっかり。ダサすぎ。

 先生の言う通りだ。現実ってやつは、本当にままならない。

 だけどな、それでも成し遂げたいものがある未来に帰りたいんだから、四の五の言わずにやれることをやるしかない。


 照れ隠しに特大のため息を一度だけ吐き出すと、俺は腹を括った。

 出来もしない小細工はやめて、この時代で最初の難敵となったボトルの蓋を、五歳の女の子なりの全力でひねる。

 ふりなんていらないくらい本当に固かったキャップが、俺の指の力を受けて、やっとのことで小気味のいい手応えを伴って、ひらいた。

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