tp2 爆弾がどうなったのかと言うと。――Be corrected.――

 ――昴が南のお空の星だから、この子の名前は北のお空にある北極星を、ちょっと可愛くして……ポーリャでいいんじゃないかなあ? ノースポールやポラリスじゃあ、かっちりしすぎてるもん。

 ほら、本体だってまあるくて、ピカピカしてるし、ぜえったいそれがいいと思うんだ。いやじゃなきゃあそうしちゃいなよ。どう?


 今にして思えば、会えない母を恋しがっていたのだろう。ぬいぐるみ一つ一つに名前をつけるのがブームだった幼き日の少女が勝手につけたEAPには要るはずのない、個体識別のための呼称。


 ポーリャ――いいや、ポーリャ・“ツェツァ”・スヴェトラーナ。


 彼女のそのときどきの“好きなもの ”を反映し、幾度か改まった末の一番最後の名前。

 そんなものを、まさか自分が名乗る羽目になるとは思わなかった。


 もっと言えば、最初にただのポーリャの名前を決め込んだ、あの頃の小鳥や俺とそう変わらないような姿になっているなんて、夢にも思うわけはない。わけはないのだけど……。


 全部、現実ホントのコトなんだよな。


 ちらりを視線を流した先、部屋の隅で沈黙したままの中型ディスプレイ――今ではちょっとした骨董品になってしまったテレビという情報家電――の黒い画面に映り込んだ部屋の景色には、幼女と先生や母さんと同年代のおばちゃんからなる二人組が座卓を挟んで向き合っていた。

 冬になれば掘り炬燵になるに違いないその席にちょこんと腰を下ろした俺は、目の前に掛けた女性が俺の見た目に合わせてわざとぬるくしてくれた、おいしいとは言い難い日本茶をすする。


 こんなことなら、朝ごはん、ちゃんと食っとけばよかった。


 空腹は頭を冴えさせるからと強がった半日前の俺が視線さえ向けなかった、アールグレイの香りを思い出す。

 お茶の類に一家言を持つ小鳥が淹れてくれたベルガモットの香りのそのフレーバーティーは、きっと少しだけ苦くて、確実においしかったに違いなかったのに、勿体もったいないことをしたなあと、今更になって思ってしまった俺は、ちげえよ、さっさと仕事を終わらせて、お茶を飲みに行くための支度を始めるんだろ、と思い直す。

 そんなふうに、先のことを考えられるくらいには俺の気持ちが落ち着いたことを「読み」とったのだろう。

 今度はちろちろと部屋の外の様子に耳をそばだて始めている俺に向かい、「上に行って様子を見てきてもいいわよ」と、出水いずみ知恵ちえさんと先ほど名乗ったばかりのソバカスと泣きボクロが特徴的なおばちゃん――生まれて初めて出会った俺の大師匠様は声をかけてくれたのだった。


      ◇


 電池切れになったEAPを無理やり稼働させていた頭から、締め付けるような切羽詰まった感覚が突然消えた。それに気がついたころには、俺は、イグサの匂いのする真新しい畳の上に頰を擦り付ける姿勢のまま倒れ伏していた。

 ぐっと右手に力を込めて、顔を上げ、首をもたげる。左膝に置いたもう片方の拳を、テコの支点がわりにして腰から上の体を起こした俺は、とりあえず、意識が明瞭であることに安堵した。

 どうやら、最後に縋るしかなかった「あらはし」――宮代家の血に宿るもう一つの魔法――は、初めてにしては上手くいったようである。

 全く痛くもかゆくもないこの体・・・・・・・・・・・・・・が、その証左。暴走状態にあった爆弾をEAPの機能をアテにした総当たりの「読み」で安全に解体できる状態まで復帰させようとして、見事に失敗した俺は――


 そう言えば、あの爆弾はどうなった?


 爆発したら、俺と俺の大切な人たちごとレセプション会場のホテルを消し飛ばしていたに違いない危険物が手もとにないことに気が付いて、俺は弾かれたように立ち上がった。

 魔法を起動させるために差し出した“強い願い”の中身がうわっと音を立ててどこかに飛び去るのと同時に、胸いっぱいに広がる焦燥感。

 ひどく苦いその想いに突き動かされて、あてどもなく部屋を見渡した俺は、先生や母さん、小鳥を始めとした宮代家の皆がどうなったかを確かめる術があったとしても、もう手遅れに違いないぞ、と頭の中の冷えた部分が告げて来る事実を、なにがなんでも無視することに决めた。

 俺が失敗した現場の惨状を、この目で直接確かめるまでは希望はあるはずと、根拠もない気持ちだけを頼りに、現状把握を焦る俺の目が、この部屋と外とを隔てる窓ガラスにまった。

 

 とにかく、外だ。

 ここがどこなのか確かめないことには、何も始まらない。早く外に――


 反射的に湧き上がった急き立てるような思惑が命じるままに外の様子を伺おうとする、対面側の開口部からの西日の熱を背に受けた俺の姿が、目の前の窓ガラスに映り込んでいる。

 何のなしにその姿を見た俺は、妙だなと一度だけ目をしばたかせた。

 思惑が、当惑を経て困惑に変わる。

 窓ガラスの中の半透明な俺の鏡像――なんとも結わえにくそうなふわふわの長い髪を背中に下ろした、小学生にもなっていなさそうな西洋人の、少しだけ痩せぎすの女の子――が、おんなじように返してきた瞬きに、俺は高い・・声で出来た悲鳴をあげながら、目の前のガラスに勢いよく両手をついたのだった。


 ――そうだ、そのあと部屋に入ってきた知恵さんに、この子、レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワの代わりになる名前を尋ねられて、とっさにEAPコイツの名前を名乗ったんだっけ。

 「顕し」のせいでこうなってしまった姿には、宮代昴の名前は不似合いだったからなんだけど、結局すぐに洗いざらい二人に話しちゃったからあんまり意味なかったよな。


 だっせえなぁ、俺。


 ひどいなんてもんじゃない取り乱し方を見せた、さっきまでの自分をザマを思い出して、俺、宮代みやしろ昴は、夕日が差し込んだ階段を上がる足は止めないまま、少しだけ熱を帯びた頰をはたく。


 大丈夫。忘れてない。俺は俺が誰だかちゃんとわかってる。

 十七歳、高校二年生。「明かし」と呼ばれる、宮代家の魔法使いで、今を時めく大魔法使い「宮代笙真しょうま」の一番弟子。


 そんでもって、今夜のレセプションの中で行われる成人を控えた弟子たちの披露デビュタントで明かされることになっていた幼馴染のドレス姿が本当は楽しみで楽しみで仕方がなかった――おっと、今から会う相手には、これは内緒にしとかなきゃな。

 誰にも告げたことのない気持ちを、よもやこんなタイミングで「読まれる」なんてこと、男が廃るにもほどがあるってもんだ。


 トントントンとリズミカルに響く軽い足音をあげて階段を登りつつ、男女同権を政府がしつこく喧伝する昨今にしては、はなはだ時勢遅れに違いない言い回しを頭の中で思い浮かべた俺は、すぐに辿り着いた目的のドアの前で、今度は足を止めた。

 心の中の一番守りが堅い場所、「読み」の魔法でもやすやすとは覗くことができない究極のプライベートゾーンである「祠」にしっかりと鍵を掛けると、小さく息を吸って、目の前のドアノブを掴む。

 「読み」が扱える五感の中で、得手とする者が最も少ない「触感フレ」を珍しく最得意にしている「カエルの手のひら」である俺は、いつもの癖でドアノブの先にいる相手の存在を「読もう」として、再びおっと、と思いなおす。

 

 違った。今の俺は「読み」が使えない身体だったんだった。


 改めて手首をひねると、鍵の掛かっていないドアは、素直に開いた。

 ドアの向こうから、ノックぐらいしろよなと、声変わり前のボーイソプラノの声が飛んでくる。

 その声の主に、ごめんと軽く謝って、俺は部屋に足を踏み入れる。

 先生と母さんの生まれ育った場所である、甲府盆地を南側から見下ろす出窓を背にして、ベッドに腰掛ける、私服姿の中学生くらいの少年――俺の先生になるよりも、ずっと昔の宮代笙真がそこにはいた。

 その手には、電池が切れてしまっていたはずの俺のEAPが握られている。

「ちょっとだけだけど、充電しておいたし、ロックも解除済みだよ」

 少しぞんざいな口調で彼は俺に告げると、流線型の銀色の筐体を投げて寄越した。

「無事に帰って、落ち着いてからでいいから、そのスマホのアンロック方法をキープしてくれていた未来のボクにきちんとお礼を言ってよね。絶対に忘れないで待ってるから。じゃなきゃ、ホントに破門にするよ?」

 斜め上の方から降ってくるからかうような彼の口調に頷きながら、俺は両手でキャッチしたばかりのスマートフォン――市場投入前の超最新モデルであるEAP、正式名称「Enchanter Assistance Processor」の画面を覗き込む。


"Be corrected.'"


 先生の魔力で稼働していた十五分前とは違い、くっきりとした白いバックライトに照らされたその画面には、爆弾の状態が正常に戻ったことを意味する、簡潔で短い英文によって締めくくられたログが映し出されていた。

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