枝豆がごろごろ転がる風景

島尾

枝豆

 私の通うA型事業所では様々な職場に赴く。その中で、枝豆の選別というものがある。枝豆は、厚さが薄い場合や豆が入っていない場合、虫食いがひどい場合などにおいて商品とならない。消費者は潔癖症なので、やはり綺麗な形の枝豆を買う。実際に味はさほど変わりないというのに。

 それはさておき、枝豆の選別は実に涼やかなものだ。

 まず、脱豆だっきょうという作業がある。脱穀ではない、なぜならば豆だからである。豆のたくさん実った枝を手で掴み、脱穀機ならぬ脱豆機に入れる。歯のようなものが回転し、枝をバンバン叩くことによって豆を落とすのである。その歯はさほど高速回転しておらず、ゴムでできているので、手に当たっても痛くない。言うならば強めのマッサージ機による衝撃程度だ。

 次に、豆がレールの上を通る。それらは、くたびれた見た目のおっさん、江戸っ子みたいな爺、若いでぶ、そして見た目が不審な私、この4人によって選別される。ちっちゃい椅子に座って、女にモテない4人組みたいな者らが豆をいじっている。大きな畑に建っている小さな小屋の中で。風が吹けば風鈴が鳴る。その風鈴は、長年の風雨によってか、せっかくの黒々とした南部鉄器の地肌が半分以上茶色く錆びている。枝豆まみれの空間に先の4人組が、錆びた風鈴の澄んだ音を一緒に聞く時間というのは、やはり「涼し」と表現するのがもっともふさわしい。枝豆が作り出す一夏の光景といえよう。


 話は変わるが、私は枝豆が嫌いである。仙台在住で、名物のずんだ餅も長いこと食べないでいた。あるとき少しばかり勇気を出して食べてみたところ、枝豆のえぐいというか苦いというか、その味覚は餅の中には無かった。一つの発見であった。そしてまた名産の牛タン、萩の月、海鞘ほや、これらも好きでない。萩の月は食べるには食べるが、妙に乳臭いと思う。金華サバという、宮城県沖で獲れるサバが宮城の名産になっているのだが、それは美味しい。だがそれはサバの一種なので「名物」とは言えない気がする。


 むさ苦しい4人組によってはじかれた枝豆は、持ち帰ることが可能だ。私はそれを持ち帰って、大家に献上した。媚びを売っておくことで、何かの時に助けてもらう魂胆である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

枝豆がごろごろ転がる風景 島尾 @shimaoshimao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説