第25話

伊佐美は執務室で分厚い資料に目を通し、納得ができると一息ついて安堵した。

連日連夜、幾度となく繰り返されてきた会議が終了し、ついに方針が決定したのだった。

安堵すると同時に伊佐美の心の中に、一つの思いがあった。


方向性が決まったことにより、自分の役割の終わりを感じていた。

思い返せば、ただこの国を守りたい一心で駆け抜けてきた。

自分が貫いたその道が正しかったかどうかは、いつか歴史が証明することだろうと、つど、己を評価することなく、ただ問題の早期解決だけに焦点を置いてきた。

結果、この国から老人と呼ばれる存在が消えてしまった。

人の命を軽んじた行為は、どんなに正義に守られていると信じていても、やがて自分を蝕みはじめる。この国の為だと、みんなの為だと、どんなに声を大に言ってみたところで、いざとなれば誰も守ってくれはしないものだ。

罪というものは、死ぬまで一人で背負っていかなくてはいけない。

その覚悟が無ければ、人より高い所で叫んではいけないのだ。

伊佐美は、静かにその痛みを心に受け入れると、決意で固く結んだのだった。


そこに石田が入室してきた。

伊佐美は意識を戻し父に声を掛けた。

「お疲れさまでした、父さん。お茶でも飲みますか?」

ソファーに座ると、父は優しい眼差しで息子を見て言葉を送った。

「ケンゾウよく頑張ってきたな。まずは感謝させてほしい。ありがとう」

突然の言葉に息子は戸惑った。

「僕は何もしてないよ。ただ、壊してきただけだよ」

同じ言葉しか出ない息子の心の痛みを、父にはわかっていた。

「皆のためにと、その思いを一心に受け止め、先頭に立つ者の重圧は想像以上だ。様々な思いの中、常に正しい方向に皆を向けて進むことは不可能に近い。その場その場で判断を強いられ、その度にまた一つ責任が重くのしかかる。先頭を行くものは常に孤独だ。周りは真っ暗な闇でしかなく、そんな何も見えない中であっても、一生懸命目を凝らし、考え、勇気を持って一歩を踏み出さなきゃいけない。どんなに恐れていても立ち止まることは許されない。皆の為にその一歩を求められるのだ。そこに立った者でなきゃ、わからない恐怖や苦悩がそこにある。そんな勇気ある者を誰が責められよう。どんな道を歩んだとしても、信じてきた自分を責めたりしないでほしい」

元首相としてこの国を率いてきた者の言葉は、暗闇の中で跪く男に一筋の光を射したのだった。

息子は俯きながら体を震わしていた。

父はなお優しく言葉を紡いだ。

「お前の気持ちは受け取ったよ。一つのケジメとしてその座を下りるのはわかった。でもなケンゾウ。お前にはまだやらなくてはいけないことがある。お前と共に歩んだ者達の心を取り戻してあげないといけない。その者達が心の支えとしていたお前が居なくなってしまうと、その痛みに押し潰されてしまうかもしれない。だから、今は一つの終わりとして、その座を下りても、俺達と一緒にこの国の新しい道を歩んで欲しい。大丈夫、いつでも俺達がいるからな」

息子は涙を流しながら父に感謝を述べた。

「ありがとう・・・父さん」

この国を厚く覆っていた不安がついに終わり、希望という光が射しこんでいく。

光に照らされた国民が一丸となって新しい国創りが、始まる時がきたのだった。



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