第20話

太郎は、懐かしい街並みに目を奪われながらも、急ぎ足で我が家を目指していた。

もう二度と訪れることはないと思った我が家。

ずっと悩み続けていたが、あの放送以来考え方が変わっていた。

自分は、山に捨てられたという恨みが消えずに心のどこかにあったが、そうされたのには理由があってのことで、ましてや自分のしてきたことの方が問題だった。

長年に渡り家族を傷つけてしまっていたのだから。

ただ、今は何より、こうやって若返れたことの方が大きかった。

山に捨てられなければ、この新しい人生は手にできなかった。

家族と会うのは今日で最後になるだろうけど、自分にはやらなきゃならない使命がそう決意させたのだった。

(あった!)

久しぶりに見た我が家は、あの頃と何ら変わっていないように思えた。

いざ呼び鈴を押そうと門の前まできたが、ここにきてためらいが出た。

(もしかしたら、俺を見た妻は恐怖に震えてしまうかもしれない。娘も同様だろう。やっぱり止めた方がいいかもしれないな。手紙でも書いた方が二人のためかもしれない)

そう思うと呼び鈴を押す勇気を失い、その場を後にしようとした時だった。

買い物から帰ってきた妻と鉢合わせしてしまったのだ。

「あの、どちらさんですか?」

太郎は心臓がドキドキした。

久々に見た妻だ。

なんだか、また少し歳を重ねたのだろうか。

「あ、あの、いや・・・」


太郎は思い出していた。

山から下りてきたメンバーで、隔離され集団生活を送っていた時の事だ。

かつて、あの家で聞かれ答えられなかったことを、少数で談笑している時に、ついに勇気を持って語ったのだった。

「あの、実は私が山に居た理由なのですが・・・捨てられたんです」

突然の告白に、元老人達は目を開いて太郎を見つめた。

男は言った。

「捨てられたって、俺らも一緒だ。なあ?」

うんうんと皆頷く中、太郎は首を振って、俯きながら語り出した。

「私は、ずいぶん家族に酷いことをしてきましてね。特に妻にはまるで家政婦か召使のような扱いをしてしまって、長いことそれに気づかず深く傷つけてしまった。家族の為に働いている夫のためなら、妻は全力で支えて当たり前だと勝手な思考が暴走してしまい、最も愛する人の大切な人生を奪ってしまい、その結果がこのざまです」

男は悲し気な表情で言う。

「それで、おたくさんは、山に捨てた奥さんや娘さんを恨んでいるのかい?」

太郎は慌てて手を振る。

「いやいやとんでもない。恨んでなんていませんよ。と、言っても、山に居た頃は捨てられたことへの怒りがありました。しかし、だんだんと落ち着くにつれ、考え方が変わりました。捨てられて当然の事を、自分はしてきたんだと思えるようになったんです。むしろ今は謝りたいぐらいです」

女は言う。

「だったら謝りにいかなきゃ」

太郎は口ごもった。

「でも・・・今さら謝るといっても」

女は強く言った。

「これだから男って生物は。自分でそう思うなら、行動する以外にないじゃない」

太郎はそう言われても、なかなか勇気が湧いてこなかった。

いつか会えれば謝りたい気持ちと、このまま会えなくて終わっても仕方がないという気持ちもあり、色々な感情が太郎の心の中で渦巻いていた。


しかしあの放送終了後、自分の気持ちに正直に生きようと心に誓うと、行動は決まった。

まずは我が家に行って謝るべきだと。

どんな結果になっても構わない。

とにかく謝ろう。

そう決意してやってきたのだが、いざ妻を前にすると、太郎はうまく言葉にできず固まってしまったのだった。


妻は若者の姿をマジマジと見つめると、上着の胸の部分に名札みたいなものが付いているのを発見した。

この名札のようなものは、政府が元老人達に発行したものだった。

これがあれば、衣食住の保障を受けれたり、お金が無くとも公共機関の利用が可能だった。

ただ、この名札が付いていると元老人というのが一目でわかり、現在の若者達との間に少なからず隔たりが起きていた。

その隔たりの解消に向け、政府や官僚は、日夜全力で元老人達の、人権の回復に向けた協議や作業を続けていた。


妻はその名札を確認すると、若者の顔を見て言った。

「も、もしかして、あなたは・・・」

ドンドンと表情が曇っていく妻に、太郎は頭を下げながら、心のままに意を決して伝えた。

「ごめん。幸せにしてやれなくてごめん」

太郎は頭を下げながら、涙が言葉と一緒に溢れた。

「あんなことまでさせてしまって、本当に申し訳なかった。謝っても許してはくれないだろうが、どうしても謝りたかった。もう二度とここには来ない。どうか幸せを取り戻してほしい」

そう言うと、太郎はゆっくりと妻に背を向けた。

妻も泣きながら太郎に言った。

「あなたは幸せなの?」

太郎はビクッと体を震わせた。

何と言えばいいのか?どんな意図があっての言葉なのか、太郎は返答に困った。

しばらく返答ができずにいたが、やがて太郎は妻を見て言った。

「安心して一生を送れる国にする。その為ならこの命を捧けてもいいと思っている。だから、心配しないで、穏やかに過ごしてほしい」

直接的な答えにはなっていなかったが、今言える事は他にはなかった。

妻は涙をハンカチで拭うと言った。

「わかった」

太郎は最後に涙を流して言った。

「体を大切にな。長生きしろよ」

妻も涙を流しながら、何度も頷いた。


できるなら、今すぐ妻を抱きしめてあげたい。

本当は、もう一度やり直そうと言いたい。

でも今は、粉々に壊れてしまったガラス玉のように、それはもう修復不可能であった。

太郎は涙を拭うと踵を返し、自分の使命の為に歩き出したのだった。


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