第2話
太郎は異様な気配に意識が覚醒し始めた。
家で寝ているはずなのになぜか全てに違和感がある。
匂い、温度、風、布団の感触・・・いや布団がない。
肌寒さも尋常じゃない。
しかも敷布団が・・・これは土。
薄っすらと目を開けてみると、異様な景色に理解できずにいた。
(・・・どこだここ)
視界がクリアーになると改めて辺りを見渡してみて一つの答えが浮かんだ。
(山だ。でもなぜ?)
頭が重く頭痛が続く。
(おかしい、家で寝ていたはずなのに・・・いや待てよ、寝ていたわけじゃない。確か朝食を食べ終わって、何かをしていたような・・・そうだ新聞を読んでいて、アイツがいつまで経ってもお茶を淹れないからイライラしていたんだ・・・)
私は、一人朝食を済ませると新聞に目を通しつつ、いつまで経ってもお茶を淹れようとしない妻にイライラとしながらテーブルを指先でコンコンと叩いた。
妻は気づかないのか反応せずにまだご飯を食べている。
今度は強めにテーブルをコンコンと叩いた。
横目で見ると、それに気づいた妻はキョトンとした表情で私を見ている。
(こいつの頭の中はどうなっているんだ。なぜ学習ができない?ご飯食べ終わったらお茶を出すのが当たり前なのがなんでいまだにわからないんだ。まるで鳥頭だ。だから何もできない人間なんだよ。俺が拾ってやらなかったら今頃ひもじい思いをして苦しんでいたはずなのに、なんで、そんな大恩人である俺に感謝して毎日生きていくことができないんだ)
若い頃なら怒鳴りつけるところだが、私もいい歳になったので感情を抑え、仕方がなく喉を見せながら指でポンポンと叩いた。
それでやっと理解できたようで、妻はお茶を淹れにいった。
私は妻がやっと動いたのを横目で確認すると、ため息を一つつきつつ、頭をかしげながら新聞を読んでいた。
しばらくしてやっとお茶を持ってきたから、無言で受け取り啜りながら新聞を読んでいたはずだが、その後の記憶が無い。
まさか、突然の病気か何かで気でも失ったのだろうか?
いや、例えそうだとしても、なぜ山にいる?
太郎は一体どうなっているのだと思い、連絡を取ろうと携帯を探してズボンのポケットを探すと、携帯のかわりに折られた紙が入っていた。
紙を開いて見てみると妻の字で一行だけ書かれたものだった。
ーもう疲れました。さようならー
太郎は忘れていた瞬間的怒りが腹の底から噴き上がった。
「ふざけるな!誰のおかげで今まで生きてこられたと思っているんだ!」
眩暈がしそうなほどの怒りが次々と湧き上がってくる。
「お前にそんな権利なんかない、権利があるのは俺だ!絶対に許さんぞ」
紙をビリビリに破って捨てると、とにかく下山するためどちらに進むか考えた。
なんとなく下っていってそうな前方の方に向かい歩き始めた。
太郎は歩きながら考えていた。
(あの女だけは絶対に許さん!できる限りの罰を与えて無一文で捨ててやる。こんなことをしたのだから当たり前だ。だが待てよ、この山まで私をどうやって運んできたのだろうか。たぶん車だろうがあの女は運転ができない。ましてや意識を失っている私を一人で運ぶのは無理だ。誰か協力者がいたということか。まさか娘が・・・いやそんなはずはない。手塩にかけて大切に大切に育てた娘だ。その娘が恩を仇で返すようなことなどするまい。もし私が亡くなった時の遺産は全て娘に渡すと遺書に書いてある。本来なら妻に渡す方が税法上も有利だが、あいつに私が頑張って築いた資産を渡すなど考えただけでも悍ましい。そもそも今まで何も貢献しないものが、何不自由なく生きてこられたのだから十分に与えてもらったはずだ。ああ、ちょっと考えただけでも腹が立つ。くそっ!)
なだらかな下りで、車が通れる山道だったが、それでも舗装とは違って歩きにくく、ましてや靴を履いておらず、時々ある石や木の枝に足を取られないよう神経を使っているぶん体力の消耗が激しかった。
少し先の曲がり角を曲がったら休もうとそこまで頑張ることにした。
やっとこ息を切らしながら曲がり角を曲がると山の法面に腰を下ろした。
一息ついて靴下に付いた木くずや小石を取りながら改めて辺りを見渡せば、薄暗い空間と、よくわからない動物の鳴き声が時々聞こえてきて、ふいに薄気味の悪さが襲ってきた。
明るいうちに下りないと大変な事になると思いスグに動かなきゃと思ったが、普段から運動をしておらず、ましてや75歳となった体は認めたくない以上に衰えてしまっていた。
とにかくしっかり休んでから、次は行けるだけ行こうと決意したのだった。
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