02_占い師
身籠もっていた。
愛しあったあの夜は遠い月のように感じられ、亡き彼にこの嬉しさと不安を伝えられないことは私を孤独にした。
彼との愛の結晶..さいわい両親の理解もあり、私は赤ん坊を産み育てることに決めた。乳児用の服を買いそろえ、ベビーシートも購入した。我が子と共に生活する姿が目に見えてくる。きっと亡き彼も応援してくれているはずだ。そう感じれば自ずと心の傷も癒えるようだった。
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力強い産声がこの世に響いてから、はや1ヶ月。両親から赤ん坊の今後のためにと、初宮参りを進められ私は馴染みのある神社へ向かった。
初詣の時ほど人はおらず線香の香りが、ゆっくりと鼻をつたう。彼のお墓と同じ香り...彼は私の隣にいるのだろうか。神社はあの世との境界、光と影が淡く曖昧な場所。悲しさが胸を埋める。赤ん坊がいるとは言え、生きる原動力は得れてもどうしても不安は拭えなかった。赤ん坊は私の不安を感知したかのように泣き始めた。
そうだ...赤ん坊には私しかいないんだ。赤ん坊を胸中でぐっと抱きしめた。
影が濃く長く足下から伸びる頃、私達は参拝を終えた。お守りも買うことができ、彼が私達のことを温かく見守ってくれている...と感じれた。遅くなると赤ん坊の体に悪いと思ったため、私はすぐに神社をあとにしようとした。
しかし、鳥居の横に鎮座する占いの館に理由も無く心惹かれた。四方は廃れた紫色の暗幕で囲われており館と呼ぶには見窄らしいものであったが、私の心は無意識的に暗幕の中に入り込んでいた。
館の中は全く暗くその狭小さを感じさせないほどであったため、私は未知なるものへの恐怖心から目線を上下左右に走らせた。が、すぐに目の前でランタンの明かりがつき現実に引き戻された。
私は占い師というものは高齢の爺婆が趣味的にやっている印象があった。さらにいえば彼らは魔術師というよりも普遍的な価値観を巧妙に使った詐欺師だろうと。しかし、明かりの向こうにいたのは、意外にも妊娠末期と思われる変形し丸みを帯びた体つきの若い女性であった。
「どうぞ、お座りください。」
彼女は若々しい声で私に語りかけ、私は椅子にそっと座った。
「今日はどうされました。」
私は沈黙した。今更、気になっただけで入ったとも言いづらい..相談事があるにはあるがどうしても警戒心を下げれずにいた。
すると、急に彼女は体を乗り出し私の目をじっと見始めた。彼女の澄んだ目からは異常なまでに生を感じられなかった。無関心なのか、欲がないのか。だがその無関心さが私の中のハードルを下げ話すきっかけになった。
「この赤ん坊のお父さん、もう亡くなってるんです。両親からも支えられてとても今幸せではあります。でも、ふとした瞬間に閉塞感を感じるんです。彼と築き上げたかった家庭、両親では補えない心の空白。性欲とは違います。ぼんやりと彼のいる家庭をいまだに想像してしまうのです。」
ランタンの光は私に呼応するように揺れ動く。彼女はお腹の子をさすりながら話し始めた。
「心が常に満たされている状態ってそれほど幸せではないのです。だから人は無意識にでも心に空白部分をつくります。満たされぬ欲求があるからこそ人は生きようと思うのです。あなたは今、心の空白があるからこそ赤ん坊を育てようとしているのです。そうすればきっと彼が見守ってくれる、そう思い込んでいるのですよ。赤ん坊が唯一、旦那さんとあなたをつなぐ架橋なんですから。」
私はやはり占い師は詐欺師だと思った。見た目のギャップはあったが話す内容は、それ風を帯びた中身の無い言葉。
「そうですね、ありがとうございます。御代はいくらになりますか?」
「もうお帰りになるのですね...御代はけっこうですが...ちょっと待ってください。」
彼女は重そうなお腹を抱え、裏から何かを取り出した。
「あの、もしよろしかったらこのお線香を夜、眠るときに焚いてみてください。少し楽になるかも知れません。」
私は彼女から1本のお線香を受け取り、その場を立ち去った。
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赤ん坊の入浴も済ませ布団を敷いているとき、ふと占い師もらったお線香のことを思い出した。せっかくだからと仏壇の香炉で焚いてみた。甘い香り。
これは所謂、アロマセラピーの類いであろう。占い師のいうとおり確かに心は落ち着いてきた。さっきまで泣いていた赤ん坊はすでにすやすやと眠っている。もう23時か..私は布団にはいりすぐに夢の中へ落ちた。
夢の中では懐かしき彼と私が赤ん坊と共に生活している。3人でテーブルを囲み、夕食を食べている。赤ん坊が泣くと彼は変顔をするが、泣き止まない。困った彼の顔がなんとも愛おしい。ただ、私はこの家庭に干渉できなかった。俯瞰したその視点から近づこうとしても微動だにせず、幸せと悲しみが入り交じる。
そして段々と夢が霞がかり目が覚めた。どんな夢をみていたか思い出せない。だが心に幸せの余韻だけが残る。神様はひどいものだ。あの占い師の言っていたとおり、心の空白を必死に埋めようと執着することが生きるということなのかもしれない。
その後、何回眠りについても、あの余韻を残す夢は感じられなかった。また辛く平凡な日々が始まる。そう思うと私は赤ん坊を捨ててでも、あの夢を感じ眠りが覚めなければ良いのにと願わざるをえなかった。
朝日に照らされた香炉の灰は影も無く、微かに甘い香りを残した。
空想探訪録 後左衛 春散 @hikariatarashi
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