37 奥の手を使うしかない

「うん。帰ろう、帰るべき場所へ」


「了解ヌキ!」

 どんっ!


 スクロールを使うと、たぬき湯はビックリするほど一瞬で、体感した揺れなどもほとんどなく、帝都に戻ることができた。


 裏のポンプを確認する。ちゃんと動いているし温度計をみるにちゃんとお湯が出ている。


 よし!


 営業を再開しよう。そう思ったらなんだか全身へとへとにくたびれていることに気づいてしまった。


 思わず床にへたり込む。お腹が盛大にぐううーっと鳴る。疲れた。死ぬほど疲れた。こんなに疲れたのは就活時代以来だ。


「疲れたヌキか?」


「どうせ飲泉しろっていうんでしょ。疲労がポンとなくなるから」


「飲泉はいっとき疲れが取れるけど根本的な解決にはならないヌキ。疲労を後回しにする効果があるからヌキ」


「はあ……」

 なんつうものを飲ませてたんだ。それじゃ完璧にヤバい薬でしょ。


「こういうときは好きな食べ物を食べてお風呂入って寝るのがいちばんヌキ」

 便利なタヌキ野郎が珍しく真っ当なことを言っている。でもその通りだと思う。うっかり帝都を救ってしまったのだ、そりゃ疲れるわけだ。


 しかし好きな食べ物と言われても、「ねこのていしょくやさん」は営業していないし、この世界にきてから白いコメとは縁が切れてしまった。なにか食べるものなかったっけ。


 のろのろ動作で受付の裏に回る。戸棚の奥にカレーメシが二個残っていた。賞味期限は切れているのかいないのか、暦が違うから判然としないが、それでもラッキーなことだ。


 こんこん、とドアがノックされた。なんだ、もうお客が来たのか。そう思ったらイオンだった。


「どうしたんです」


「お風呂……入っていい?」


「構いませんけど……あ、そうだ。カレーメシ一緒に食べません? ヴィーガンだとこういう謎肉的なのもアウトですか?」


「うーん、きょうはチートデーということにする!」

 あっさりチートデーを始めたぞ。でもとにかくカレーメシを一緒に食べることになった。


 電気ケトルでお湯を沸かして、カップに注ぐ。


「おお……スパイスのよい香り」

 イオンはしみじみと嬉しそうにそう言って笑顔になった。


「こっちの世界だとスパイスって貴重なんですよね」


「うん。その辺の草をハーブとして使ってる」


 その辺の草て。


 とにかく熱湯を注いで五分経った。信じてかき混ぜて、ルウが溶けたところではふっと一口口に運ぶ。う、うっまあ。


「おいしー……」

 イオンは深い深いため息とともにカレーメシを食べている。


「お米っておいしいよね……オタマジャクシいっぱい死ぬけど」


「そうですねえ……水を抜く季節に田んぼの横歩くと死んだオタマジャクシで生臭い匂いしますよ」


「なんでそんなこと知ってるの」


「秋田県民なんで。住んでたとこ、ちょっと街から出ると果てしなく田んぼなんで」


「そうなんだ。なんかよさそうなところだね」


「不便ですよ? 美容院だってイオンさんみたいなオシャレな髪色にはしてくれないし、ネイルサロンだって最寄りでも一時間くらいかかるし。ネイルはオシャレなの諦めてふつうにキャンメイクのマニキュアで済ませてます」


「充分だよ。こっちの世界だとどっちもないもん。でも爪も髪も伸びないのはありがたいけど」


 言われてみればこっちに来てから爪を切った記憶がない。髪も伸びていない。


「そっか、イオンさんみたいな髪色を維持するのって大変なんですね」


「美容院に毎度三万円払ってあたしゃバカかと思ってたよ。でもおしゃれにしてないとナメられるからね」


 二人でハフハフとカレーメシをやっつけた。のっそりと立ち上がり、女湯にお湯が張ってあるのを確認して、お風呂に入ることにした。


「なんかさ、東北を田舎のイメージで認識してごめん」


「しょうがないですよ実際田舎なんですもん。文化果つる地というやつです。映画館ないしなにか新しいものが建設されるとだいたい老人ホームだし」


「でも温泉いっぱいあるじゃん。都会の人間は温泉に憧れるんだよ」


「そうなんですか?」

 すっぽんぽんになった。裸になるとイオンも人間なのだなあという感じがする。

 浴場に入る。シャワーで体を洗い、かけ湯をしっかりして、温泉に浸かる。


「はあ……温泉最高じゃん……」


「疲労感が溶けていきますねえ……」

 最高だ。サムズアップを向けて沈んでいきたいまである。


「大学の卒業旅行でさ、友達と東北の秘湯巡りをしたんだけど」


「もしや温泉大好きですか?」


「うん大好き。でも秘湯って言われるようなところって、ガチの病気の人の湯治場だったりして、観光で行くところって感じしなかったね」


「玉川温泉とかその辺りですか?」


「うん、たぶんそこ。病気の人が多くて、なんか気まずかったっけ」


「下調べが重要ですねえ」


「はー……なんかいろんな雑念が流れていくわー……実を言うとさ」

 イオンがぼやくように言う。

「ヴィーガン始めたのは同棲してる彼氏がダイエット目的で始めて、しかたなく付き合ってたら周りの人にカッコイイとかオシャレとか言われてやめられなくなったからなんだよね……本当はもつ鍋と馬刺しと豚骨ラーメンが好物なんだよね……」


 ヴィーガンとは対極にある好物のラインナップであった。


 完全なるファッションヴィーガンである。


「もうこっちの世界では関係ないじゃないですか、食べればいいんですよ」


「……そっか。もう彼氏とは関係ないのか。麦茶を一センチ残して飲むのにイライラしなくていいのか」

 その彼氏、だいぶヤバい物件ではないのか。そう思ったが口には出さないでおいた。


 しばらく温泉で温まってから、体と髪を洗って浴場を出た。


 体をよく拭いて、ドライヤーの機械にレプタ銅貨をちゃりんと入れ、髪を乾かす。実用一辺倒のボブカットはあっという間に乾いた。イオンもしばし髪を乾かす。


「ここの温泉は髪の毛キシキシにならないんだね」


「完全な単純泉で、アルカリが入ってないからでしょうね」

 さっぱりした。


 同時に、イオンとのしがらみも流れていくようだった。


「ごめんね、あんなひどいことして」


「大丈夫です。もう悪いことは終わったんですから」

 許しきれた感じはしない。でも、イオンの本質がある程度分かって、警戒する必要のない人物であることが判明しただけでも上等と言えた。


 着替えて脱衣所を出ると、ドアの向こうでヤマトさんがイライラしていた。

「ごめんなさい!」


 そう言ってタルふたつを運ぶ。イオンも手伝ってくれた。


「なにこれ、ビールと牛乳?」


「飲みます?」


「いいね、一杯やろうよ」

 というわけで二人してビールを飲んだ。風呂上りだったのであっという間に酒が回り、気がついたら次の日になっていた。


「おーい。オータキ、手伝いにきたぞー」


「開けろぞな。手伝うぞな」


「どうしたんですかオータキさん」

 いい塩梅にアルコールが抜けてスッキリした状態になっている。ドアを開けて、いつもの三人を中に入れた。


「イオンと和解したのか」


「うん、まあ、そんな感じ」


「敵と和解することは神がいちばん喜ばれることですよ」

 イカホが笑顔になる。


「またサトゥルニアさまが依頼出してくれたの?」


「そうぞな。サトゥルニアさま様様ぞな」


「……なんかこの人、スマホの広告動画に出てくるお魚のゲームの悪役の魚に似てるよね」


 わたしもゲロの第一印象はそれなのであった。あのゲーム、遊んでる人を見たことがない。


「よし。じゃあ頑張りますか」

 というわけで、たぬき湯の一日が始まった。


 とは言ったものの、さすがにすべてのいろいろな種族が戻ってきたわけではないので、利用者はうんと多いわけではない。

 ニュートによるとアタミさんとギンザンさんはまだ来ていないらしく、早く来ないかなあとしみじみと言っていた。


「オヤジもお袋もビビってるんだよなあ。いつ悪政が復活するかわかんないだろーって」

 鳥で連絡をとったらしい。


「なんとか安心な暮らしができるって説明できればいいんだけど」

 わたしも考え込む。


「そうだね……もう悪政が復活しないって証明しないと、いろんな種族の人たちが戻ってくるのには時間がかかって、それだと帝都の機能が回復しないんだね」

 イオンがすっくと立つ。


「ここって魔鏡ある?」


「ないよ」


「ないな……貧乏冒険者の買えるものじゃない……そうだ、隣の俺の実家に、受像魔鏡ならあるけど」

 どうやら「ねこのていしょくやさん」の魔鏡は基本的に受信しかできないらしい。そりゃあブラウン管テレビみたいな分厚さだから性能もブラウン管テレビと同じなのだろう。


「うーんと。じゃあ奥の手を使うしかないな。魔鏡見てて、第四チャンネル」

 そう言い残してイオンはたぬき湯を出ていった。

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