35 人間でよろしいのではないでしょうか
イオンはぽつり、と涙をこぼした。
「現実に帰りたい」
「どうして? 現実に帰れば児童文学の登場人物にも文句をつけてくるような家族しかいないんでしょ?」
「うん……でも、あたしは現実に帰りたい。そろそろ美容院に行きたいしネイルも季節に合わせて変えたいし、好きなブランドの新作が出てるかもしれないし」
「現実は海外で戦争やっててそれどころじゃないよ。たぬき湯のテレビに映ってた」
「テレビ見られるの?!」
「いまはちょっと調子がよくないけど……日本はますます貧乏みたい」
「まじか」
「まじだ」
そこでイオンはおかしそうに笑った。
「皮肉だね。いいことなんもないと思ってた異世界に転移したから安全だなんて」
「安全じゃないんだってば」
よくわからない顔のイオンに、
「異種族を排除したせいで帝都の」とまで言ったところで、
「わかった。なんとかする方法を考える」と言われた。
「なんとかする方法って、異種族を戻すだけでいいのに」
「そうだ! 近くの村から人間を連れてくるのは?!」
「いや考え方がサムライアリだね?!」
「サムライアリ?」
いや知らんのかい。他のアリの巣を襲って幼虫やサナギを奪い労働力にするアリだ、と説明する。
「おお~さすが東北、自然が豊か」
別に東北でなくてもサムライアリはいるし、東北を自然が豊か、つまり田舎とイコールでくくるのはどうかと思うのだが。
「なあお前らなんの話してるんだよ。とにかくいろんな種族が戻ってこないことには帝都は立ち行かないんだって」
ニュートが文句を言い始めた。
「異種族ってなにか人間と違うことができるの?」
「うん、ケットシーは料理上手だし、アンデッドは歌が上手い。リザードマンはボードゲームが得意で、エルフはファッションデザインが得意。コボルトは絵が得意で、ドワーフは鍛冶や工芸が得意。ヒューム、イオンが言うところの人間は器用貧乏の民族」
「器用貧乏」
「そう。いろんなことができるけど専門職にはかなわない」
「そっかあ……異種族にも得意なことってあるんだね」
そりゃそうだ沙羅双樹、である。
「分かったら、いますぐ皇帝を解放して、いろんな種族に謝って」
「……でも。もう誰にも許してもらえないよ。あたしはつまり悪いことをしたわけでしょ?」
「自覚があるんならキッチリ謝って、皇帝と相談して賠償金を払うなりすればいいわけだよ」
「っていうか皇帝陛下はどこにおわすんだ?」
「闇の中に隠してある。目くらましの技とかいうのを使ってみたら、思う通りに動かせたから」
なかなか悪いことをなさる。
「どうやってそういう実用的な技を覚えるまで成長したの?」
「現実にいたころからマインドフルネスがモーニングルーティーンだったから、ふつうにやってたらなんか強くなってた」
マインドフルネス、意識が高いだけじゃなくて異世界のレベルアップにも使えるのか……。
「それに夜寝るとき部屋を暗くするのに闇のスキル? 使ってたら強いの覚えた」
光より闇のほうが実用的というのは意外だが、まあそんなものかもしれない。
とにかく皇帝を解放して、洗脳を解いてもらわねば。
イオンはひとつため息をつくと、カンテラを持って闇の奥に進んでいった。しばらくして、中年のおっさんの手を引いて戻ってきた。どうやらこの人が皇帝らしい。
ライトノベルだと「皇帝」というと若くて美しい若者や何も知らない無知な子供であることがしばしばある、と、大学時代唯一友達になれた陰キャ仲間が言っていた。何度も言うように、その友達は就活でメンタルを病んで大学を辞めてしまったわけだが。
その予想を裏切るふつうのおっさんが出てきて、なんとなくがっかりする。
「おいオータキ、頭を下げろ。諸侯のさらに上に立たれる皇帝陛下だぞ」
「あ、そ、そうだ。失礼いたしました」
「よい。顔を上げよ」
顔を上げる。やっぱりふつうのおっさんだが、おっさんだからこそ、イオンが現れる以前は国策を進め諸侯の話を聞けていたのだろうなあ、と思う。おっさんのコミュ力をバカにしてはいけない。
「そなたがイオンの恐れていた光の転移者か」
「え、な、なんで分かるのハコネさん?!」
皇帝は名前をハコネと言うらしい。イオンが慌てている。
「イオンに目くらましの術をかけられて、自在に操られておったときも、中にいる自分はきちんと考えていた。イオンは大霊廟寺院に現れ、そなたはアンデッドの村に現れたそうだな」
「はっ」
「すなわち、光の中で際立つのは闇であり、闇の中で際立つのが光であろう。大霊廟寺院は光の場所だし、アンデッドの村は闇の場所なのでは?」
この人、ただのおっさんに見えるがすっごい頭がいいな?
「イオン、そなたはちとやりすぎたようだな。皇宮への出入りは当分禁じさせてもらう」
「え、は、ハコネさん、なんで?!」
「余が愚人ということになるからだっ」
ハコネさんこと皇帝は強い口調で言った。そりゃそうだ、イオンのせいで前代未聞の悪政をした皇帝ということになってしまったのだから。
「オータキ殿。サトゥルニア卿から聞いておるが、そなたは大学を出ているそうだな」
「大したことのないところですが……」
「えっ大学ならあたしも出てます。慶応です」
慶応って、こいつすごいな。清々しいまでに羨ましい経歴である。まあ異世界では関係ないのだが。
「そうか、ケイオーがなにかは知らないが、そなたも大学を出ておるのか」
「まあ大学に行くのが当たり前みたいな雰囲気の国でしたからね。ぜんぜん当たり前じゃないですけど」
高卒で就職した高校の友達のことを思い出す。ちなみに大館で高卒の就職というとニプロの工場が一番待遇のいいところらしい。大学に進むのが決まって羨ましがられたのを思い出す。
そんなことを、……思い出している場合ではない。皇帝はいろいろなことを話し始めた。
「ヒューム以外の民が戻ってきたら、すべての民が入れる学校を作ろうとサトゥルニア卿と話しておったところだ。協力してくれるか」
「もちろんです」
「あたしにもやらせてください。もう異種族を怖がる必要がなくなりました」
「そうか。そなたはずっと異種族に怯えておったな……もう異種族という言葉も古かろう。なんと言えばよいやら」
「ヒュームを含めて、人間でよろしいのではないでしょうか」
わたしはそう言った。皇帝は深く頷いて、
「ではイオン。早うこの暗闇を払え」
と、イオンに命じた。次第にあたりは明るくなり、城の中に戻ってきた。
城に戻ると青ざめた顔をしたサトゥルニア卿が待っていた。サトゥルニア卿だけでなく、同じように立派な身なりの、若者からおっさんおばさんおじいさんおばあさんにかけての人たちが、たくさん並んで待っていた。どうやらこの人たちが「諸侯」というやつらしい。
「陛下! 無事のお戻り、我々一同安心いたしました!」
勲章をいっぱいぶら下げたおじいさんがそう言う。皇帝はハッハッハと笑い、
「いますぐ魔鏡や立て札で触れを出せ。すべての民が暮らせる帝都に戻すぞ」と答える。
「はっ!」
「そなたらは一旦帰れ。やらねばならぬ政治上の案件が多すぎる」
というわけでわたしとニュートとイオンは帰ることになった。帰るといってもたぬき湯はアンデッドの村にあるので、どこか別に行くしかないのだが。
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