30 なんの価値もない

「……はい?」


「みんなさ、最初は就活なんてヨユーだと思ってるんだよ。自分を過大評価してるんだよね。でもエントリーシート書いたり試験受けたり面接受けたりしてるうちに、だんだん自分の実力が見えてきて、ああこれじゃ東京の素敵な企業じゃ働けないなって思うんだよ」


「なんの話だよオータキ。ちゃんと考えろよ」


「同じだよ。みんなでいっぺんに行けばなんとかなるかもしれないって最初は思うけど、だんだんに現実が見えてくるんだ。イオンは強いし、皇帝陛下の周りには騎士みたいな人たちがわんさかいるんでしょ?」


「いや、まあ、そうなんだが……」


「じゃあ無理だよ。残念ながら光の転移者はなんの役にも立ちませんでした」


「オータキさん、そんなにすぐ諦めなくても」


「勝てないんだってば!」


「怖がる気持ちは分かります。でもやってみなくてはなにも分かりませんよ、オータキさん」


「――いや、もういいだろ。オータキは戦う気がないんだ。無理強いしちゃいけない」

 ニュートは穏やかな口調でそう言い、諦めたような笑顔になった。


「俺らは帝都をいずれ離れて、他の異種族に寛容な土地に行こうと思う。いまはその支度をしなくちゃいけない」


「ニュート、わしらのことなんか気にせんでいいぞ」


「俺、お前らと一緒にいるのが楽しいからさ。行こう。ちょっと調べてみないと」


 ニュートとイカホとゲロは、たぬき湯を出ていった。

 わたしが取り残された。にぎやかしでしかないポン太もいるが、しょせんにぎやかしである。


 ポン太のほうを見ると、皮の合わせ目がやぶれて、綿がはみ出していた。


「……ポン太?」


 反応はない。

 もとから死んでいるのに、「死んでしまった」と思った。


 どうしよう。裁縫なんて家庭科でやったのが最後だし、そもそも剥製の直し方なんて知らない。


 いや、ポン太も役目を終えた、ってことなんだろう。神獣だかなんだか知らないが、たぬき湯はもうおしまいなのだ。


 ――アンデッドの村に帰りたい。


 現実は滅びているから帰れないとしても、せめて差別のないアンデッドの村に帰りたい。


 そう思って、ぐったりと天井を見上げる。

 大学でほぼ唯一出来た友達がいろいろ貸してくれた異世界モノのライトノベル、だいたい主人公は天井を見上げて「知らない天井」って言うんだっけな。


 ドアのほうをちらと見る。白昼だというのにアンデッドの大親分であるロードがいた。出て行って鍵を開ける。


「どうされましたか」

ロードは、髪の毛なんぞ一本も生えていない頭蓋骨の額あたりをぽりぽりして、


「皇帝陛下のご乱心で、経営が窮地であるとサトゥルニアさまから聞いたが」

 と、とても穏やかな口調で言った。


「光の転移者だろう? 皇帝陛下を諫めにいかなくていいのか?」


「蛍みたいにチカチカ光るかウミサボテンみたいにボンヤリ光るしかできないので」


「そうか。それなら、アンデッドの村にまた来ないか?」

 渡りに船であった。


 ロードの取り出したスクロールで、たぬき湯はまた、アンデッドの村に移動した。


 ◇◇◇◇


 アンデッドの村は、最初に転移したときと同じく、とても平和だった。


 ここにはキラキラ種族はいない。少々食べ物が不便だけど、村の人たちはせっせと人間が食べられそうなものを持ってきてくれる(ときどき腐っていたり熟れていなかったりするが)。


 たくさんのアンデッドたちが、わたしがここに来たことを喜んでくれた。


 毎日カラオケマシンで演歌だのムード歌謡だのを楽しそうに歌っている。


 わたしは腑抜けになって、毎日単純に労働を続けた。


 レプタ銅貨がどんどん貯まっていく。何か買い物をしたいけれど、街まではアンデッドの村を出てしばらく歩かなければならないそうで、田舎者の横着で諦めてしまった。


 通販があればそれでいろいろ買うんだけどなあ。


 魔鏡があれば通販できるのかなあ。


 昼夜逆転の単純労働生活を淡々と続けていたある日、ロードがお風呂に入りにきた。


「元気そうだな」


「おかげさまで」


「帝都がどうなってるか知っておるか?」


「……いえ。もう関係ないところですので」


「そうか。話を聞くに、良識ある貴族たちが皇帝陛下の異種族排斥を押しとどめているそうだ。それでもずいぶんヒューム中心の世の中になってしまったそうだが」


「そうなんですか」


「異種族はどんどん帝都を出て行っているそうだ。大半がサトゥルニアさまの領地に流れているそうだよ」


「サトゥルニアさまの領地って、ここもそうですよね」


「そうだ。サトゥルニアさまは異種族差別をなさらない。でもそのせいで、街の食糧事情が厳しいらしい。しょせん辺境だからな」


「はあ」


「私も帝都の御城には登城できない身分になった。腹立たしいが、しかし――そうするしかないのだから仕方がないのだろうな」


「ロードはアンデッドのいちばん偉い人なんですよね」


「ああ。しかし帝都はいまヒュームでないものを人と認めないくらいまで意識が変わってしまったから、街を歩くことだけならともかく、権力ある人の屋敷に行くことすら許されない」


「そうなんですか」


「ああ、失敬。長話をしてしまった……お風呂をもらおう」


「どうぞごゆっくり」

 何を聞いても、心は波立たない。


 まるで感情をまるごと無くしたみたいだ。


「すみませぇん」


 アンデッドの、装身具から女性と思われる人が、真っ黒いハーピィの子供を連れて現れた。ハーピィというのはだいたいピンクとかオレンジとか、フラミンゴみたいな色をしているものなのだが。


「あの、ここってハーピィもお風呂に入れますか?」


「え、ええ」


「よかったねえ坊や。お風呂に入れるよ」


「おうお~」


 どうやら「おふろ~」と言ったらしい。


 急に、涙腺がじわりと緩んだ。


 アンデッドの母親はハーピィの子供を連れて、浴場に入った。


 あのハーピィとケットシーの家族はどうしているだろう。一緒に入れる風呂屋がなくて困ってはいないだろうか。


 それ以上に、帝都を追い出されてはいないだろうか。


 アタミさんとギンザンさんはどうしているだろう。


 イカホとゲロも、帝都を出たのだろうか。ではニュートはどうなったのか。


 いろいろな考えが頭のなかをすごい勢いでぐるぐる回る。


 帝都が異種族を排斥するのはやはり間違ったことだ。


 あの帝都という街は、いろいろな種族が協力して暮らす土地ではないのか。


 いや。いや。

 もうあの帝都とは関係ない。あんな、自分が劣って見える土地など。


 その日も明け方まで営業した。お客さんが持ってきてくれた果物を食べる。酸っぱい。


 横になって、いま帝都はどういうところになっただろう、と考える。


 イオンは皇帝を操り、このたぬき湯に営業許可を出させた。その上で、自分の名義でこのたぬき湯を貶すことを書き、ヒュームによる異種族差別を煽った。


 そして、異種族差別で盛り上がったところで、また皇帝を操って異種族の締め出しを図った。


 まるで名前が二つあるみたいだ。


 まあわたしも就活時代はツイッターに「かゆ」という日常垢と「てんめんじゃん」という愚痴を言うための鍵垢を持っていたのだが……。


 なんとなくイオンの挙動にイラついてきた。


 あいつは大学の、早々に大企業の内定をもらった同期たちと同じで、黒髪のまま、セルフでマニキュアを塗る程度のネイルしかしていないわたしをバカにしている。


 本当に都会で生きていけるなら、髪は美容院に三万円払ってオシャレにしてもらって、ネイルはネイルサロンでジェルネイルをやってもらうのだ。どちらも怖くてできなかったわたしには都会で生きていく力はないのである。


 でもここは、異世界なんだよな。


 ヘアカラーもジェルネイルも存在しないんだよな。


 大学だって出ているだけですごいんだよな。三流のショボい大学でも、出ているだけですごいんだよな。


 なんでこんなにイオンのことを恐れているのだろう。


 イオンは確かに一流企業に勤めてオシャレなマンションで婚約者と同棲してポメラニアンを飼っていた。でもそれはこの世界において価値のあることだろうか?


 なんの価値もないよな、一流企業もオシャレなマンションも、婚約者もポメラニアンも。


 なんでそれを恐れて逃げ出してしまったのか。


 しょせん人間という点では、なんの違いもないのではないか。


 そしておそらく、イオンの味方は皇帝一人なのではないか。


 ハッキリとは分からないがそんな気がする。

 イオンは都会的でおしゃれな人に見えたが、「よくしゃべるコミュ障」に見えた。元気よくしゃべるので一見コミュ障に見えないタイプ。


 一方のわたしは静かなほうのコミュ障だと思う。世の中の人が「コミュ障」といわれて想像するやつ。なるべく一人で静かに進められる仕事を探そうとしてくじけたわけだから。


 おそらくイオンは自分をコミュ障だとは思っていない。むしろ無敵メンタルの持ち主なので、自分はコミュニケーションにおいても最強だと思っているのであるまいか。


 なんでこんなことを、考えているのだろう。


 我に返ると、さっきのハーピィの子供を連れてきたアンデッドが、カラオケマシンで「買い物ブギ」を熱唱していた。ハーピィの子供は楽しそうにかぎ爪をぱちぱちと鳴らしている。


 こういう幸せな景色を、帝都からなくしてよかったのか?


 アンデッドは買い物ブギを歌い終えると、ハーピィのかぎ爪に自分の指の骨をひっかけて帰っていった。なんだかとても幸せそうに見えた。

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