29 希望的観測
朝食ののち、作戦会議と銘打ってたぬき湯に集合し、なんとか現状を打破する方法を考える。
いま解決すべき一番大きな問題は、帝都の異種族排斥運動をなんとかすることだ。
しかしそれはただの冒険者三人と、闇の転移者だと勘違いされている低レベル光の転移者ではなんにもならないのではないかという気がする。
現実的にできることから考えるほかないのではないか。
しかし現実的にできることなどなんにもないのが実情だ。
どうしたものだろう。こういうとき頼れるのが都合のいいたぬき野郎ことポン太ではなかろうかと声をかける。
「ポン太、どうすればいいと思う?」
ポン太は無反応である。
「神獣さま、なにかお告げを」
イカホがそう言って手を合わせる。
「……困ったときの神頼みヌキか。ボクにだってできることとできないことがあるヌキ」
「そう言わずになにかアイディア出してよ」
「アイディアもクソもないヌキ。ボクはこんな状況想定してなかったヌキ!」
ポン太もお手上げらしい。
詰みだ。完全なる詰みだ。
「サトゥルニアさまに会って、皇帝陛下に謁見する段取りをつけてもらうというのは?」
イカホがそう言う。ゲロが、
「しかしイカホ、そもそも皇帝陛下に謁見したところでなにか現状は変わるぞなか?」
と、真面目な意見を述べる。
「これだけ急に異種族を追い出し始めたということは、闇の転移者であるイオンがなにか闇のスキルを用いたのではないでしょうか。たとえば目くらましの技で皇帝陛下を混乱させ、自分の思う通りに動かすとか」
「それを解除するには同じレベルの光のスキルがいるんだろ? だったら外法でも使わないかぎり太刀打ちできないんじゃないのか?」
「うーん。スキルが増えているのは確かなので、もしかしたら……という感じでしょうね」
すべてわたしが悪いのではあるまいか。
そうだ、わたしが異世界に転移してきて、種族関係なく入れる温泉を始めたから、異種族が弾圧されているのだ。わたしが悪いのだ。
就職できなかったときと同じで、わたしが悪いのだ。
家族になじられた通り、わたしが悪いのだ。
同期に笑われた通り、わたしが悪いのだ。
悲しさとかやるせなさとか、就活をしていたころずっと味わっていた感情が、どんどんむくむくと膨れ上がっていく。
わたしが悪いのだ。わたしが技を鍛えないで、温泉の経営にうつつを抜かしていたから、イオンに対抗する技を何一つ持っていないのだ。
感情が、明らかに悪い方向に振り切れていく。このままでは心がポッキリ行くのだろう。
勝てない。わたしではイオンには勝てないのだ。
「……オータキ?」
「あ、ああ、うん。なんでもない」
「オータキ、お前は悪くないんだからな。本来なら皇帝陛下はお前のやったことを褒めたはずなんだ。異種族との共存は皇帝陛下の昔からの願いだからな。きっとあのイオンとかいう転移者が、皇帝陛下になにか悪いことをしているんだよ」
「そうなのかな」
「それ以外考えられませんよ。経験でなく歴史に学べという言葉があります。何百年も昔、いまとは違う王朝の時代にも、似たようなことがあったという文献を読んだことがあります」
イカホが落ち着いた口調で、違う王朝の話をすこしした。
そのときも、闇の転移者は光の転移者を偽って王に近寄り、闇の転移者の使える目くらましのスキルで政治を思うままに操ろうとした。しかし本物の光の転移者に滅ぼされたらしい。
「だから、きっとオータキさんこそ、この問題を解決する鍵なのです」
「そうかな。わたし大学時代頑張ったことだってろくにないし、サークルとか同好会とかそういうのもやらなかったし、友達だっていなくなっちゃったし」
「オータキ、昔のことを思い出して感傷に浸っている場合ではないぞ。オータキこそ光の転移者なんだぞな」
思わず黙り込む。
光の転移者というなら、なぜアンデッドの村に転移してきたのだろう。イオンは大霊廟寺院とかいうきれいなところに転移してきたわけで、それだけでもはっきりと分かるではないか。
しかしそう思う一方、暗いところを照らしてこそ光、という考え方もあるよな、と思う。
要するに踏ん切りがつかないのだ、イオンと戦うということに。
イオンだってもとは現実世界の人間なので、剣道の有段者とか空手黒帯とかでなければ戦ってもなんとかなる相手かもしれない。
でも怖いのだ、戦うなんてゲームのなかでしかやったことがないから。
なにより戦うためのスキルが蛍みたいにチカチカ光を飛ばすのと全身をボンヤリ光らせるウミサボテンみたいなやつの二つではどうにもならないではないか。
「無理だよ、どんなにはげましてもらっても、光をチカチカさせるのとボンヤリ光るしかできないもん。わたしじゃイオンは倒せないって、みんなもさっき言ってたじゃん」
思わずそんな言葉が口から出た。
「オータキ……」
ニュートが言葉を失っている。ああ、ニュートを傷つけてしまった。ニュートはケットシーに育てられたヒュームだ、この現状に思うことはたくさんあるだろう。
そんなニュートの気持ちを汲むこともできないわたしに、わたしは心底がっかりした。
わたしは、異世界でもなにもできないまま去るしかないのだろうか。
「……この際俺のことなんかどうだっていいし、尊重すべきはオータキの気持ちだ。オータキは、これでいいのか? 本当に、誰でも入れるすげえ浴場のたぬき湯を、なくしていいのか?」
「だってどうしようもないじゃん、しょうがないじゃん。イオンはめちゃめちゃ能力があるんでしょ? そりゃそうでしょうよ、東京の一流企業で働いて彼氏と素敵なマンションに同棲して超かわいいポメラニアン飼ってたイオンと、田舎者のわたしじゃぜんぜん違うもん」
「オータキ、それは答えになってないぞな。トーキョーとかイチリューキギョーとかマンションとかポメラニアンとか、さっぱりわからんぞな。しかし今やることはオータキとイオンを比較することじゃないぞな」
ゲロの言う通りなのであった。
そうなのだ、今やるべきはわたしとイオンを比較することではない。やらねばならないのは、差別へと傾いていく皇帝を止めること。そしておそらく、イオンを止めること。
しかしイオンに勝てる気なんかしない。そりゃそうだ、東京の一流企業うんたらを置いていても、レベル差がえげつない。相手は目くらましのスキルが使えるというのに、わたしは蛍みたいにチカチカするかウミサボテンみたいにボンヤリ光るかしかできない。
それこそ外法を使って一気にレベルアップするくらいしか思いつかないが、以前聞いた外法のやり方のエグさを思い出して身震いする。
なにもできない。
それは就活以来で味わった絶望だった。
この世界に来てたぬき湯にたくさんお客さんがきて、ニュートやイカホやゲロと仲良くなり、ビールや牛乳をお客さんに喜んでもらい……そういう楽しい時代はもう終わりなのだ。
もう、ここにいたっていいことはなんにもない。
異世界は、メンタルを病んで大学を辞めていった友達から借りた異世界モノのライトノベルや、子供のころ夢中で遊んだゲームのように、楽しいところだった。
しかし、その楽しい日々も、結局はまやかしでしかなかった。
そこにキラキラ種族がいるからだ。わたしはキラキラ種族を憎む。そうなれないからだ。
わたしだって本当はそうなりたかった。でも美容院にヘアカラー代を三万円払う勇気も、ネイルサロンに入る勇気もない、臆病なわたしにはそういうものになる力はない。
悔しかった。
なにもできないまま、帝都はどんどん異種族の締め出しを進めている。
なにかしたい。でもなにもできない。だって蛍みたいにチカチカ光るかウミサボテンみたいにボンヤリ光るかしかできないんだから。
イオンには勝てない。
そういう思いばかりが頭のなかをグルグルする。
「……オータキ?」
「ごめん。わたしがボーっとしてたせいで、世の中がおかしくなっちゃう」
「まだ諦めるのは早いです。私の郷里のことわざで、『ドラゴンも軍隊には負ける』というものがあります。みんなで攻め込めば勝てるかもしれません」
「そうだぞオータキ。わしらも手伝うぞ」
「ゲロが言う通り、俺たちも戦う。だから諦めるな」
「闇の転移者って、すごく強いんじゃないの?」
ニュートが考え込む。
「みんなで力を合わせればなんとかなるかもしれないだろ」
「それって希望的観測ってやつだよね」
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