28 たぬき湯の存続の危機
すっかり陽は傾いていて、昼はやきとりを食べただけなのでお腹が空いてきた。なにか食べて元気を出さねば。隣の食堂に向かうと、ニュートたちがホワイトシチューをすすっていた。
「お、オータキじゃないか。どうした?」
「いやあお腹すいちゃって。腹ごしらえをしないと」
「苦境にあってもお腹は空きますからねえ」
イカホがのんびりと言う。
「現実の問題から片付ける作戦ぞなか」
「まあそんな感じ。一日二日じゃ噂は消えないしね」
おすすめ定食を発注すると、ホワイトシチューとスライスハム、チーズ少々、それからおいしくない魚とデザートのフルーツが出てきた。ホワイトシチューをもぐっと食べてみる。現実世界、つまり「彼方」のそれほど濃くはないが、じゅうぶんおいしい。
「俺たちもなにかオータキを手伝いたいんだが、でも依頼を受けないと食っていけないしな……すまない」
「それはしょうがないじゃん。手伝ってもらえる機会があればお願いするし、サトゥルニア卿だってそうするだろうし」
「サトゥルニア卿かあ……あのお方は領地の種族がさまざまだから、種族融和制作に大賛成なんだよな。だからオータキのたぬき湯を応援したんだろうが……」
「あの、ずっと気になってたんだけど、イオンって公式な立場はなんになるの? 大臣とかそういう感じ?」
「いや? ただの皇帝陛下のお気に入りだ。強いて言えば論客」
論客って、そんな仕事は存在しないっていっときツイッターで盛り上がったやつじゃないですか。「それってあなたの感想ですよね」じゃん……。
とにかくイオンに公人としての立場がないことが分かった。
「あの、これは提案なんですが」
イカホが声を上げた。
「温泉を営業できないうちに、スキルを鍛えるのはどうですか? お相手しますよ」
なるほど、これも現実的な問題から片付けるというやつだ。右上をつついてみると、レベルは十二のまま、スキルも「フェアリー」だけだった。つまり一ミリも進歩していない。
というわけで夕食のあと、たぬき湯の休憩所のテーブルを片付けて、イカホに稽古をつけてもらうことになった。
「まずはゆっくり、技を出す自分を意識してください」
言われた通りにやっていると、次第に技らしき光が体から放たれた。
「いいですよ、その調子です。もっと大きな技を使ってみることを意識してみてください」
技ひとつ出すにもこんなに練習がいるんだなあ。
思えば小学校のころ、漢字ドリルと計算ドリルがひたすら苦痛だった。今思えば字をなぞったり同じ公式で解ける問題だけだったりするドリルの問題がなぜ苦痛だったかさっぱり分からない。
中学に上がってからは、ろくに勉強せずとも国語と英語は定期テストでほぼ毎回九十点以上をたたき出していて、理科と社会もだいたい八十点程度だった。でも数学が足を引っ張るので平均点は人並みだった。もっと努力できる人間に生まれたかったなあ。
要するに国語の成績のいいクズというやつなんである。
そんなことを考えてもどうしようもない。いまは技に集中だ。
そう思った瞬間、体がチカチカと切れかけの蛍光灯みたいに光って、それからぼあーっと全身が光った。
なんか、深海の生物でこういうやついたよな。
「すごいじゃないですか! 新しいスキルを覚えましたね!」
右上をつつく。スキルの欄に「ウミサボテン」が増えていた。えねっちけーのしょこたんと林先生の番組に出てきた光る深海生物じゃないの。
せめて「シーカクタス」だったらかっこよかったのに、ウミサボテンて。
ウミサボテンを習得して、とりあえずきょうの練習はお開きになった。こんなんで闇の転移者、つまりイオンに対抗できるのだろうか。もっとこう、光線がグサグサ突き刺さるとか、そういう技を覚えたかった。
寝るかぁ……。
異世界はとても温暖な気候のところのようで、毛布なしでぐっすり眠れる。
冬とかあるのかな。でも疲れたからそういうことは考えないで寝よう……。
翌朝。
唐突にたぬき湯のドアを誰かが叩いた。ヤマトさん(仮)がくるはずはないので、別の人だ。のたのたとドアに向かう。
「おいオータキ! 大変なことになってるぞ!」
「どしたのよニュート……」
「いいから来いって!」
ニュートに服を引っ張られて、隣の食堂に連行された。食堂の隅っこに置かれた古ぼけた魔鏡で、なにやらワイドショーみたいな番組をやっている。
「つまり闇の転移者は異種族間の交流を増やすことによって疫病を蔓延させたいと考えているということでいいのですか」
と、ヒュームのアナウンサーが言うと、ヒュームの学者が、
「そうでしょう。異種族は疫病をもたらします。帝都が異種族との融和を進めたことで、帝都には潜伏的に病気になっている人がいるのです」と、尊大な態度で言う。
なんというか、新型コロナウィルスが流行ったときの陰謀論によく似ていた。
よくまあこんな堂々と陰謀論を垂れ流すものだ。そして闇の転移者というのは、イオンでなくわたしのことらしい。わたしは光の転移者なのだが。
「俺らは信じないからな。オータキさんが光の転移者だってのはニュートから聞いてる」
ギンザンさんが野菜炒めを作りながらそう言った。
「ありがとうございます」
「当たり前じゃない。闇の転移者なんかじゃないわよ。オータキさんは正しいことをしてたんだから」
正しいのだろうか。
ふとそう思ってしまう。
もし仮に、異種族からうつされる病気というものが実在するなら、それを広めてしまったのはわたしではなかろうか。
いや、アタミさんギンザンさんとニュートは健康だし、あのハーピィとケットシーの親子だって健康そうだった。異種族からうつされる病気なんてないのではないか。
しかしサンプルが少なすぎる。たとえばリザードマンとウーズならどうだろうか。コボルトとハーピィならどうだろうか。もしかしたら知らないところで健康被害があったのかもしれない。
息苦しくなりながら、アタミさんが出してくれた定食を食べた。味がしなかった。こんなに食事の味が分からなくなるのは就活時代以来だ。
「大丈夫か? オータキ」
「う、うん。大丈夫、あんなの妄言だよ」
「明らかに大丈夫じゃないな」
ギンザンさんが肉団子を揚げながらそう言う。声のトーンで動揺がばれたらしい。
たぬき湯の存続の危機だ。そのうえ、わたしも犯罪者として捕まるかもしれない。
魔鏡を観ていると、別のコメンテーターが、
「でもそれはかつて皇帝陛下の進めておられた種族融和政策に逆らうのでは?」
と、常識的な意見を言った。ちょっと安心した刹那、スタジオに武装した兵士が入ってきて、そのコメンテーターを引っ張ってどこかに連れていってしまった。
「ではお知らせに続きましてきょうの天気です」
魔鏡にコマーシャルが流れた。この世界にもコマーシャルってあるのか。
ニュートの実家の食堂には、重苦しい空気がドンヨリと溜まっていた。
ギンザンさんが手際よく、発酵させた魚で味付けしたスープをこしらえている。香ばしい匂いが漂っているが、事態はそれどころではなかった。
「まずいねえ……このままじゃ俺らは帝都を追い出されっちまうよ」
ギンザンさんがそうぼやく。
「そんな気軽に言いないな。出て行ったらニュートの帰る家がなくなっちまうよ」
「でも強制退去になったら仕方なかんべえよ。おーおー嫌な時代だ」
魔鏡では天気予報を流し始めた。そろそろ帝都は雨の季節なのだそうだ。こっちにもあるのか、梅雨。そんなことを考えて現実逃避する。
「オヤジ、お袋、出て行ったりしないよな?」
「まあお国に追い出されないかぎりはな。ただこの調子だと食堂を続けるのは厳しいかもしれないな」
「そうだねえ……ケットシーのお客だけじゃ食べていかれないからねえ」
「そうか」
ニュートは、ショッピングモールで親とはぐれた子供みたいな顔をしていた。
ワイドショーみたいな番組が終わって、別の番組が流れ始めた。ボードゲームの試合中継だ。オセロみたいなゲームで、二人のヒュームが難しい顔をして勝負している。
「オヤジ、リモコン借りるぞ」
ニュートがリモコンを取ってぽちりとボタンを押す。データ放送みたいな感じで番組情報が出た。
「……やっぱりか」
ニュートは表情に悲しさをにじませた。画面にはトーナメント表が映っているが、四分の三ほど名前が消えている。
「異種族のボードゲーム選手の名前が消えてる。今年のトーナメントはケットシーの選手が出てたし、『伝説』ってあだ名のリザードマンの選手が何年かぶりに本戦出場してたのに」
そんなひどい話があるだろうか。現実世界の将棋えねっちけー杯に女流棋士が一枠しか出られないとかそういう問題ではない。そもそも異種族が出られないことになっているのだ。
「まあ魔鏡の放送は帝国の政策を色濃く映し出すものだから、いま皇帝陛下は異種族排斥に動き出した、ってことなんでしょうよ。ついこの間まで仲良くしなさいって言っときながら」
アタミさんがデザートのフルーツを切っている。のどかに言うがこれはピンチなのではないだろうか。
「ニュートはいますか?」
ドアをあけてイカホとゲロが入ってきた。
「いるよ。どうしたんだい?」
「ギルドで門前払いを食らっちゃって」
「……はあ?!」
ニュートがでっかい声でそう言った。イカホは冷静に答える。
「だから、ギルドで門前払いを食らっちゃったんです。これからはヒュームだけに仕事を任せる、と」
「こりゃー地方の自治領から反乱軍が出てもおかしいことはないぞな。帝都はヒュームのものになっちまうぞな」
「ちょっと待て、エルフは大昔からヒュームと付き合いのある種族だし、鬼だってそうだろ。それなのに追っ払われたのか」
「そうぞな。いま帝都はレイシストのヒュームのために動いとるぞな」
「なんだよそれ……わけわかんねえよ」
ニュートがそうぼやいた。
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