26 よくしゃべるコミュ障

 いやしかしヤマザキマリに感謝である。たまたま「テルマエ・ロマエ」が面白くて、ほかの作品も読んでみようと「プリニウス」に手を出して大正解だった。


 いやまさかこんな方向で役立つとはみじんも考えていなかったわけだが。


 下町の、迷路のようにくねる道を歩きながら、用水路みたいな川に沿って歩いていく。


 この用水路は上水道のようで、野菜を洗うひとや体を洗うウーズなんかがいる。


 わりとガンジス川みたいな使い方だな。流石に死体は流れていないようだけど。


 用水路に沿って歩いて行ったところに、冒険者ギルドがある。きょうもたくさんの、ちょっと怪しげな人たちが集まっているようだ。

 遠巻きに観察していると、ニュートとイカホとゲロが出てきた。


「あれ? オータキじゃないか!」

 ニュートがそう声を上げると、周りの冒険者たちが一瞬ざわついた。


「本当に休業なさってるんですね」


「まあ新聞にあることないこと書かれたらしょうがないぞな」


「そういうわけで、帝都の中を見て回ろうと思うんだけど」


「なるほどなぁ。ついて行ってやりたいんだが、俺らは俺らで仕事があるしなあ」


「まあそれなら仕方ないじゃん。いいよ、一人で」


「そうか。帝都はとにかくクソでけえ街だから、一日で全部見るのは無理だし、そもそも立ち入らないほうが無難なエリアとかもあるから気をつけてな」


「入らないほうが無難なエリア?」


「大通りを百貨店の角で折れて東に進むと、東の飲み屋街に出るんだが、この飲み屋街っていうのが実質娼館の密集地帯で、怖いお兄さんがねぐらにしてるんだわ」


 そんなヤバいものもあるの、帝都。


「東の飲み屋街も危ないですけど、西の公娼通りも危ないですよ。人買いが当たり前みたいにいますからね」


 イカホがそう説明してくれたので、なるべく南北方向で移動するか、と方針を決める。方位磁石は持っていないが、街を囲む城壁を見れば方角が分かる、とゲロが教えてくれた。


「城壁のてっぺんに物見やぐらがあるぞ。そっちが北だぞ」


 なるほど、確かにゲロの指さす方向には物見やぐらがある。


「とりあえず城の前の広場でも見てきたらどうだ? 大霊廟寺院もあるし」


 そうだ、大霊廟寺院にはいっぺん行ってみたいと思っていた。


「ありがとう。それじゃ」


「オータキ、気をつけてな」


 そう言うニュートに、ほかの冒険者が「あいつオータキだろ……?」と話しかけるのが聞こえた。ヤバいやつだと思われているらしい。


 帝都を南北に貫く大通りを、北に向けてひたすら歩く。帝都の人たちはいたって簡素な服の人が多く、特にヒューム以外の種族は貫頭衣みたいな服や腰みのみたいな格好だったりする。


 きれいに縫製された服を着ているのはもっぱらヒュームである。通りには仕立て屋らしい店もあるが、そこもお客はヒュームばかりのようだ。


 田舎者の貧弱な足腰(よく都会の人は「田舎の人は足腰が強い」というがそれは全て幻想で、真の田舎者は徒歩三分のコンビニにも車で行くのだ)ではだいぶしんどい距離を歩いて、城の前の大きな広場にやってきた。


 カラスとハトの中間のような鳥が、つんつくつんつくと地面をつついている。大きな噴水のある池があって、巨大なドラゴンの彫刻からジャバジャバ水が出ている。


 疲れたので噴水のへりに座る。


 改めて帝都というのは巨大な都市だなあと思う。


 古代ローマもこういう都市だったのだろうか。そりゃ市民権を得るのが大変なわけだ。


 それだったらヒューム以外の種族を排斥しようとするのも理解がいく。


 人は自分と違うものが怖い。わたし自身がそうだからよく分かる。わたし自身も、自分と全く違うキラキラした暮らしをする人が怖い。


 人間同士(ここでいう人間とは『彼方』、つまり現実世界の人間のことだ)でそうなのだから、見た目もできることも全然違う異種族についてそう思うのは仕方がない。


 でも、現実世界の人間同士が、知らない相手をちょっとずつ知ろうとするように、こちらでも異種族のことを知ろうとすることもできるのではなかろうか。たとえばニュートとその両親のように。


 でっかいため息が出る。そうだ、大霊廟寺院を見に行かなくちゃ。城の前の広場には、まるでショッピングモールの床のように、地面に「大霊廟寺院はこちら」などと書いてある。


 それに従って、大霊廟寺院にたどり着いた。


 おお、でっかくてきれいな建物だ。たぬき湯のある下町の、危険な高層建築ボロ家とはわけが違う。ドーム状の天井はガラスで出来ており、高度な技術で作られたことが分かる。


 とりあえず入ってみる。入場は無料のようだ。


 なんというか、古代ローマの黄金宮殿とヨーロッパの寺院を足して2で割ったような、とにかく豪華な建物だ。ガラスの天井は色とりどりで、中にはまばゆく七色の光がさしている。


 そこだけゴシック建築を思わせるが、内部の柱などは古代ローマのそれだ。シルクロードを通って法隆寺に伝わった、と中学校の社会科のテストに出るあれである。


 とてもきれいだった。そりゃここに、お祭りの最中に降臨したのであれば、光の転移者だと思われても仕方ない。すごくインスタ映えしそうだし。


 帰ろう、ここはわたしとは無縁のところだ。くるりと七色の光に背をむけて、出口に向かう途中――イオンと出くわした。


「あっれえ? ユカじゃん! なんでここにいるの?」


「温泉の仕事を休みにして、ちょっとこちらの世界のことを調べようと思いまして」


「へえー! この世界で暮らすつもりなの?」


「現実に、いい思い出がなにもなくてですね」


「えっ、だってここスマホ使えないよ? こんなにきれいなのにインスタできないじゃん!」


「そんなに大事ですか、インスタ」


「逆に使わない理由がわかんないんだけど」


「そうですか……」


 たぬき湯にワイファイがあることは秘密にしておくことにした。居座られたらいやだからだ。


「なんか気持ち悪い人種いっぱいいるしさ、魔法とか子供っぽいしさ、冒険者とかアニメっぽくてオタクっぽいしさ、早く帰りたいよね」


「わたしはこの世界、好きですけど」


「えー信じらんない! なんで?!」


 まさか「おめーみてーなキラキラ種族と顔を合わせなくて済むからだよ」とも言えず、しばらく考えてから、


「たぶんわたしオタクなんでしょうね」と答えた。


「えー……ビーエルとかそういうの読むの?」


「いやその趣味はないです。オタクへの理解が浅すぎませんか」


「えっじゃあなに? コスプレとかコミケ? とかそういうの?」


「それも違います。ちょっとゲームとか漫画とかライトノベルが好きなだけですよ」


「あー、ライトノベルとかってやつ、みんな異世界って書いてあるもんね!」


 えらく単純な理解である。しかしこれはわたしが母と書店に行ったときと同じリアクションなので、まあ仕方ないのかもしれない。


 さっき「でも、現実世界の人間同士が、知らない相手をちょっとずつ知ろうとするように、こちらでも異種族のことを知ろうとすることもできるのではなかろうか」と思ったわけだが、このイオンという人を前にするとそういう気持ちがどんどん薄れていく。


 元々同じ世界で暮らしていたなどとうてい信じられない。


 まあ同じ世界で暮らしていても、関わることなど一瞬もなかったろうが。


 異種族と分かり合えないのは仕方がない、と、この女を見ていると思う。


「そういえばイオンさんはここに転移してきたんですよね」


「うん、道路でおしゃれな立体広告を見つけて、インスタに上げようと思って撮ってたらトラックにはねられたんだ」


 いや迷惑インスタグラマーじゃないの。


 思わず口から出かかった誹謗中傷を飲み込み、次に何を言うかちょっと考える。


 こういう、考えないと会話の続かない相手というのがとにかく苦手だ。だから大学生活序盤、秋田美人だとチヤホヤされた一瞬の間、男の子から喫茶店に誘われたとき話題に困ってずっと無言でパンケーキを食べ、結果彼氏いない歴イコール人生になってしまった。


 その一件で無口で無愛想だと思われた。そして大学生活は就職が決まらないまま終わってしまった。


 なにをしゃべるか考える。


「どうしたの?」


「いえ」


「なにか言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃん」


「……いえ」

「もしかしてあたしが新聞にいろいろ書いたの怒ってる?」


「まあそういう考えがあるのは否定しないです」


 噓だ。仕事を返せこのバカ女と思っている。


「だよね! 異種族とお風呂とか考えるだに気持ち悪いよねー」


 こいつ、よくしゃべるコミュ障だな?


 コミュ障には二種類ある。適切なタイミングで言葉が出てこないコミュ障と、よけいなことを言うコミュ障だ。後者のほうがだいぶタチが悪い。

 わたしもわりとそういう気質なので人のことは言えないのだが。


 少なくとも目の前に、種族関係なく入れる温泉の主がいるのだ。それに向かって「異種族とお風呂とか考えるだに気持ち悪い」というのはどういうことなのだろう。


「イオンさんは、」


「呼びタメぜんぜんオッケーだよ」


「いえ。イオンさんは、露天風呂にサルとかも嫌いですか? よくあるじゃないですか、山奥の温泉にサルが浸かってるの」


「あー、あれは観光地で人間は見るだけでしょ? あのおサルさん、お風呂から上がったあと寒くないのかな。カピバラ風呂もそうだけど」


「確かに……」


 変なところで意見が一致した。


「ま、とにかくさ! たぬき湯もリニューアルオープンすればいいじゃん! きっとお客さんだって戻ってくるよ」


「リニューアルオープン?」


「うん! せっかくの温泉なんだから、ヒューム? 人間専用にすればいいじゃん! ネコとかトカゲとかブタとかウーズに入らせるのはもったいないよ」


 やっぱりこいつはガッチガチの差別主義者だった。「サルの露天風呂、上がったあと寒くないんか問題」で意見が一致したとか思っている場合じゃなかった。


「そろそろお暇します」


「またねー」


 大霊廟寺院を出る。だんだんと太陽は高く上がってきた。もうすっかり昼だ。お腹が空いている。

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