25 罪をかぶせられる可能性
自分の失敗を認めたくなかった。それであの可愛いネコチャンや強烈なメシテロやえっちなイラストの流れてくる、居心地のいいガンジス川みたいなツイッターからも逃げ出した。
そして異世界に飛ばされて、憐みや軽蔑や恥ずかしさのない世界にいたはずなのに、なぜいま、キラキラ種族を恐れねばならないのだろう。
「皇宮に乗り込んでいってイオンをグーパンしたらどうなりますかね」
「捕まるな。最悪絞首刑だ」
だめだー。
異世界でも暴力は許されないらしい。
怒りがメラメラポッポと湧き上がってくる。
「ついでに言うとな」
サトゥルニア卿はでっかいため息をついた。
「私の計画している、種族や身分を問わずに通える学校のほうも、皇帝陛下から事業を止めろとお達しが来ている。皇帝陛下はもともと異種族との融和を願っていたはずだ。なんでこのようなことになったのかさっぱり分からない」
「脳みそをハリガネムシに操られてるんじゃないすかね」
「ハリガネムシか。そうとでも考えねば納得がいかんな。とりあえず、きょうのところは大人しくお湯を止めたほうがいいんじゃないか。そのうちみんな忘れて風呂に入りに来る」
「そうですねえ……だれも来ないんじゃなあ」
なんでハリガネムシが通じたのだろう。この世界でもカマキリの尻からニョロニョロ出たりするのだろうか。それはともかく。
いったんビールと牛乳の注文は停めておく、と言い残して、サトゥルニア卿は帰っていった。わたしはとぼとぼと温泉を汲み上げるポンプのところに行き、ポンプを停めた。
浴場のお湯も抜いておく。
なんだか疲れてしまった。
休憩所の畳に寝転がり、飲む人のいないビールを煽った。とんでもなくおいしいビールのはずなのに、ぜんぜんおいしく感じなかった。
畳に大の字になる。
「すみませーん」
玄関のほうから声がした。行ってみるとニュートを育てたケットシーのアタミさんが、なにやら差し入れらしき果物を持ってこちらを伺っていた。
「あ、ど、ども」
「新聞にあることないこと書かれたって聞いたけど、大丈夫?」
「え、ええ……大丈夫です。人の噂も七十五日ってよく言うじゃないですか、そのうち収まりますよ」
「そう? よかったらこれをどうぞ。お口に合うかわからないけど」
見たことのない果物が差し出される。わずかにしみ出した汁が指について、甘い香りを放っていた。
「あの。だれでも入れる浴場、種族問わず入れる浴場って、おかしいんですかね?」
「そんなことはないわよ。わたしだって小さいニュートを連れてケットシーの浴場に行って、白眼視されて、種族関係なく入れるお風呂屋さんがあったらどれだけいいかと思ってたわ」
じゃあやっぱり、あのハーピィとケットシーの親子みたいな関係の人たちにとって、たぬき湯はありがたいものだったのではないだろうか。
「お湯は止めちゃったの?」
「だれも入りにこないものですから」
「そう……」
アタミさんはため息をついた。猫が人間の膝でくつろぐときのため息にそっくりだった。
「あのイオンさまってひと、なんだか胡散臭いってケットシーの集まりでよく言ってるの。ほかの種族もそうなんじゃないかしら」
「そうなんですか?」
「そうよ。イオンさまが来てこのかた、種族の融和を雄大に語っておられた皇帝陛下が、突然ヒュームを優遇する政策を始めて、異種族はみーんな、イオンさまが怪しいって思ってるわ」
「はあ……」
「このたぬき湯に営業の許可を出したのも、イオンさまがあることないこと言えるようにじゃないかしらね」
そうか、皇帝の許可がないと浴場は営業できず、どの種族でも入れる浴場が流行らないと、異種族と風呂に入るのが危険だ、ということは言えないわけか。
つまり完全なるマッチポンプというか、自作自演というか、そういうろくでもない考えからたぬき湯に営業許可を出させたのではないか。
「……オータキさん?」
「あ、いえ、その、なんでもないです」
「なんていうか、気の毒でかける言葉も見つからないけど、気を確かにね」
「はい。ありがとうございます」
アタミさんは帰っていった。手元に果物が残ったのでよく見てみる。茶色っぽくて毛の生えた、なんというかキウイフルーツに似た果物だ。
そういやキウイフルーツってマタタビの仲間だったな。現実のキウイと違って手で皮がむけるようなので、汁のしみ出していたヘタから皮をむいて、緑の果肉にかみつく。
酸っぱい。ひたすら酸っぱい。品種改良が進んでいないのだ。
やたらと酸っぱいキウイフルーツのような果物をやっつけたら、なんとなくしゃっきりした。現実から持ってきたチラシの裏に「本日休業」と書いてドアに貼った。
よし。
思えば帝都に来てこのかた、わたしはサトゥルニア卿の屋敷と郊外の農場以外のところに行っていなかった。ちょっとゆっくり帝都を見てみよう。
この世界では黒髪は目立ちそうなので、適当に壁にかけてあったキャップをかぶる。大リーグのドジャースの帽子だ。たぬき湯を経営していた親戚のおじいさんがオオタニサンのファンだったのである。
たぬき湯があるのは下町なのだという。たぬき湯を出てそれを実感した。
わりとぼろっちい、古代ローマの高層建築みたいな建物が乱雑にひしめき合い、火事でも起きたら終わりだなあ、と思ってしまうような街並みが続いている。
漫画「プリニウス」で履修した知識なのだが、古代ローマでネロが皇帝だったときに大火があって、そのときはまだ新興宗教だったキリスト教の信者が罪をかぶせられたらしい。
たぬき湯、あるいはわたしがそういう立場で罪をかぶせられる可能性は大いにある。
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