22 ドリームバスター

 女湯ののれんを出ると、ヴァンパイアらしい青白い顔の青年と、骨の上からビキニアーマーをつけたどうやら女性らしいアンデッドが券売機と格闘していた。


「どうされました?」


「いや、お金入れても戻ってきちゃうから」

 あ、しまった。昼間出た入浴券を戻すのを忘れていた。というわけで急いで補充する。ヴァンパイアとアンデッドはそれぞれ分かれて浴場に向かった。


「夜も営業できるよう仕事の口を増やしたが、迷惑だったかい?」


「いえ、大変ありがたいことです」

 サトゥルニア卿は長い髪を風になびかせて、帰っていった。


「よし」

 大学生活を思い出す。深夜まで秋田県にはないテレビ局のチャンネルを眺めたり、友達とスイッチをオンラインでつないであつ森を日付が変わるまで遊んだりして、そのまま一限の講義に出たりしていた。きっと大丈夫。


「オータキ、あんまり無茶すんなよ」

 あくび交じりのニュートにそう言われた。つられてあくびが出る。


「あくびってうつるらしいよ」


「そんな、疫病じゃあるまいし」

 ニュートが笑った。それを聞いて、洗濯ものをたたんでいたイカホが、


「本当ですよ。面白いと評判だったので論文を読みました」と答えた。


「俺難しい文章読むと頭こんがらかってだめだわー」


「そう難しいものじゃありませんよ? 読もうと思えば読めます」


「そうなの? 俺ちゃんと本読んだことないからなあ……」


 この世界では書物は貴重なものなのだろう。おそらくイカホが読んだ論文というのも、雑誌に載っているとかそういう感じでなく、書き写して広まっていくのだ。


 これがリアルな「紙価を高める」というやつか。

 ふと、現実にいたころ図書館で読んで、ずっと続きが気になっている宮部みゆきの「ドリームバスター」を思い出す。もう続きが出ても読めないんだなあ……。


 いかんいかん、あの世界とは決別するのだ。


 わたしはこっちの世界で、楽しく生きていくのだ。


 それを思うとやはりイオン、矢立イオンは敵だと思う。見るたびに、東京のキラキラした人、というイメージをぶつけられてダメージを受けるからだ。


 だいいちチートデーを設けるヴィーガンなどろくなものではない。信条ブレブレではないか。家畜が可哀想だからヴィーガンをやるというなら徹底しろと思う。


 でもオーツミルクのカフェオレは嫌いじゃない。まあわたしが知っているのはおしゃれなカフェのやつでなくただのスーパーで買えるカップ飲料なんだけど……。

 夜の営業はゲロがやってくれることになったので、少しだけ休もうと座敷に座り込む。しかしアンデッドがヴァンパイアとやってきて、

「カラオケマシンってこれですか?」と聞いてきた。そうですよ、と答えると、

「わあ、『彼方』の音楽はタイトルが素敵」

 と言い、天城越えを歌い始めた。伴奏と歌詞があれば初見の歌も歌えるというのはやはりすごい。


 そうだ、とフェアリーのスキルを発動させてみると、ちょうどカラオケ屋のミラーボールみたいな感じで辺りに光が飛んだ。アンデッドやヴァンパイアに特にダメージはないようだ。


「すごい、本当の歌姫になったみたい」

 アンデッドは嬉しそうに、何故か女の情念を歌った演歌ばかりいくつか歌って、ご機嫌で帰っていった。ヴァンパイアのほうはビールでホッカホカになっていた。


 今度こそ少し休もうと目を閉じた。


 かくんっ、と眠りに落ちた。特に夢を見ることはなかった。


 疲れていたのだと思う。


 ふと目を覚ます。ゲロがいい感じにお客をさばいていて、気が付けばもうすぐ夜明けだ。まもなくヤマトさん(仮)がやってくるだろうという時間だ。


 体をグイっと伸ばして、きょうの営業のことを考える。まずは掃除をしなくてはならない。


「ゲロ、これからビールと牛乳が届くんだけど、それ所定の位置においてもらえない? わたし頑張って掃除するから」


「分かったぞ。けっこう賑わってたから汚れていると思うぞ」


 そうなのか。イカホとニュートが休憩所でグッタリしているのが目に入る。


 こっちの世界にきてから、たぬき湯を切り盛りするのが楽しく思えた。現実世界において、たぬき湯はただのクソ田舎の温泉浴場だったし、わたしはまともに就職もできず帰ってきた、恥ずかしい人間だった。


 でもこちらの世界で、種族関係なく入れる温泉というのは、相当ぶっ飛んだ発想だったのだと思う。温泉でビールや牛乳を飲めるのも、かなり斬新な発想だったようだ。


 この世界は異種族の融和を目指す方向に動いている。

 では、異種族を排斥しようとする矢立イオンは、やはり悪なのか。


 少なくともウーズのお客さんを気味悪がる態度は、「家畜が可哀想」という理由で野菜ばっかり食べる人の発想ではない。ムツゴロウさんはニシキヘビに絞められても笑顔だった。


 動物よりよっぽど賢い異種族を気味悪がる人間が、「家畜が可哀想だから野菜しか食べない」というのはなにか間違っている気がする。

 ううーむ。


 考えていたら疲れてきたな。


「飲泉するヌキ!」


「やだよ、なんかヤバい薬みたいな効き方すんじゃんあれ」


「終戦後はみんなヒロポンやってたヌキ」


「それがヤバい薬なんだってば」

 とにかく掃除をした。男湯はニュートにお願いする。異世界の人たちはとてもきれいに浴場を使ってくれる。湯船で体を洗うようなやつはいないようだ。排水口に溜まったケットシーの毛玉やらリザードマンのウロコやらを片付ける。


 異世界、悪くないな。


 スマホのタダ読みアプリで読んでいた異世界漫画の主人公が、劣悪な環境にいるのに帰りたがらないのはなんでだろうと思っていたのだが、確かにこの環境は帰りたくなくなる。


 ニュートがあくび一発起きてきて、ふらふらと隣にある食堂に朝ごはんを注文しに行った。すぐ出てきたらしくニュートが戻ってきた。やっぱりおいしくない魚がメインディッシュで、あとはサラダとベーコンエッグと、寒天風のデザートと、なにやらお茶である。


 いただきます、と手を合わせてから食べ始める。


「いただきます、ってなんだ?」

 ニュートにそう訊かれたので、「彼方」では食事のまえに、食事の材料や食事を作ってくれたひとに感謝するのだ、と説明した。


「へえ……確かにルサルカもちょっと前まで海を泳いでたわけだしな。野菜だって生きてるから収穫しないでほっとくと花が咲くわけだし」


「いいですね、いただきます、って。感謝することは素晴らしいことです」


「フーム。そういう理屈で言えば、イオンさまは野菜の命は滅びていいと思ってることになるぞな」


「そう、そういうところがヴィーガンの変なところだと思うんだ。あ、ヴィーガンって菜食主義者のことなんだけど。それにあの人チートデーとか言ってたまに肉食べてたみたいだし」


「オータキの言うチート、というのはいわゆる『外法』とは違うんだよな、たしか」


 外法。なかなか聞かない言葉だ。


「そうヌキ! ボクの使っているチートはこの世界の『外法』とは別物ヌキ!」


「どういうことよたぬき野郎。ちゃんと説明して」

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