21 あんなくだらないこと

 ツイッターも消しちゃおうかな。どうせ見ないし。ガンジス川のごとく汚いものからきれいなものまで流れてくる環境は好きだったが、しかし就職先が決まらないで地元に帰ったころからずっと放置していた。周りの新社会人が眩しかったからだ。


 きっとツイッターの友達だったみんなは、もうわたしのことなんて忘れているだろう。大館に帰ってきたあたりからなにもツイートしていないからだ。


 だったら必要ないよな。そう思ってツイッターのアプリを削除した。どうせもうすぐ滅びるという噂だったし。ついでにもう使わないGメールのアプリも削除する。


 すべてスッキリした。現実社会からのしがらみは全て断たれたのだ。自由!!!!


 まあイオンがいるかぎり、「このキラキラ女め」と思いながら生きていくのだろうが。


「なにぼーっとしてるぞな? 働けぞな」

 ゲロにツッコミを入れられた。


「ああ、ごめんごめん……さて。働きますか」

 みんなで働いて、隣の食堂から食事を買い、みんなで食べる。相変わらずおいしくない魚がメインディッシュなのだが、それでも最近慣れてきた。


「この魚、活〆とかしたらおいしいのかな」


「いけじめ?」

 イカホが興味深そうに聞いてくる。


「よく知らないんだけど、鮮度を落とさないための技術で、神経だったか背骨だったかをいじって長持ちさせる技術があって」


「へえ……『彼方』ってすごいんですね」


「そうかな。わたしはこっちの世界のほうが好きだよ。この魚はあんまりおいしくないけど」

 それがわたしの、偽らざる気持ちだった。


 異世界はとても楽しい。いろいろな民族が行きかう帝都は、四年間暮らした東京を思わせる。東京にいていいことなんて一つもなかったが、帝都はとても楽しいところだ。


 もちろん映画館だとかアニメグッズショップだとかその手の楽しい店はないが、それは大館とあまり変わらない。


 なおアニメは大学生のころ時々気になるのがあればテレビで観ていた程度の趣味である。東京はチャンネルがいっぱいあるんだなあ……と思いながら観ていたし、キャラクターを気に入ればちょっとしたグッズくらいなら買った。

 でも就活をしていた時期は、アニメなど観ていなかった。

 就活は地獄だった。楽しいことはなんにもなかったし、楽しいことをしようとも思わなかった。内定をもらった友達が楽しそうにしているのをギギギの顔で見て、一人他人と比較して落ち込んでいた。そしてついに心がポッキリいってしまった。


 なんだろう。

 なんであんなくだらないことをしていたのだろう。

 実家になんか帰らずに、世界放浪の旅に出たってよかったのだ。それできっといろんなものが見られたはずだ。この世界の冒険者と呼ばれる人々を見ていると、そんなふうに思う。


 ただし貧乏旅行だろうから耐えられるかは別だが。


 実家に帰ってからは百均で買ってきたミニサボテンに話しかける日々を過ごしていた。だれもわたしを肯定的な目で見てくれないからだ。


 親は「あれだけ学費を出したのになんで就職しなかった」とわたしをなじり。


 祖父母は「やっぱり由香はあんまり出来がよくない」とわたしを馬鹿にし。


 地元にいた友達は「あいつは東京の大学に行ったのに就職できなかった」と色眼鏡で見。


 とにかく生きることが苦痛だった。


 でも死ぬほどではなかった。


 だから、そういうしがらみすべてから解き放たれて、わたしはとてもさわやかな気持ちだった。

 こっちの世界にきて、仲間ができ、仕えたいと思う人ができ、とにかく毎日が楽しい。


 きょうも閉店間際にサトゥルニア卿がやってきた。洗濯屋の調子を聞かれ、なかなかいい調子です、と答える。イカホが時間魔法をかけて洗濯物は一瞬でピンシャキに乾くからだ。


「学問所を建てる件なのだが、幼年学校では情操教育というものをするのか?」


「情操教育……ですか」


「民のなかには知力は低くても音楽や絵画に長けているものもいる。そういうものが活躍できる授業もやるべきだろうか」


「……そうですね。アンデッドは歌が上手い、みたいな……」


「よく知っているね」


「いやあ、アンデッド自治領にいたころは毎日カラオケマシンがフル稼働だったんで」


「ふむ……やはり音楽や絵画彫刻の授業もやるべきか。運動は?」


「まあ必要に応じてやればいいんじゃないですか? わたしは運動大っ嫌いでしたけど」


「そうか。であれば簡単な体力づくりくらいはやったほうがいいな」

 サトゥルニア卿はニコニコして、

「きょうも風呂に入っていいかね?」と聞いてきた。


「どうぞ。上がったらビールなり牛乳なり、キューっと飲んじゃってください」


「ふふ、分かった。ありがとう」

 サトゥルニア卿は女湯に消えていった。


 あんな凛々しい女の人、日本だと宝塚にしかいなくないか。


 サトゥルニア卿が上がったらすぐ閉店できるように支度していると、ゲロが、


「まだ閉店せんぞ。これからアンデッドやヴァンパイアのお客さんがくるぞな」


 と言い出した。そうか、そういう種族もいるんだった。


 事実アンデッド自治領にいたころは昼夜逆転生活だった。でもアンデッドやヴァンパイアのお客さんが来たらますます賑やかになるだろう。


「でもモーレツに眠いんだよね」


「飲泉するヌキ!」


「うおっ生きてた」


「生きてないヌキ! 剝製だヌキ!」

 というわけで飲泉する。また目がシャッキリした。これぜったいヤバいと思うんだけど。

 まあ異世界でドラッグを取り締まっているなんて話は聞いたことがないし、それにうちの温泉は間違いなくただの単純泉だ。


 戻ってくると、サトゥルニア卿が長い髪をタオルでかしかししているところだった。


「ドライヤーを使ったらいかがですか」


「どらいやー?」

 女湯の脱衣所にサトゥルニア卿を連れていき、銅貨一枚で動くドライヤーを見せる。


「これにレプタ銅貨を入れるとですね、三分間熱風が出て、それを髪に当てるととてもよく乾きます」


「そうか。やってみよう……」

 サトゥルニア卿はちゃりんと銅貨を入れた。同時にドライヤーから熱風が噴き出した。それを長い髪に当てると、さらさらとなびいて、すごくいい匂いがした。


 イオンの柔軟剤の匂いとはわけがちがう。体によさそうなハーブの香りだ。


「おお……あっという間に髪が乾いた。すごいな『彼方』は」


「サトゥルニア卿の御髪はいい匂いがするんですね」


「毎日寝る前に香油を少しつけている。少しというのが肝心だよ。つけすぎると不快な匂いになるからね。それから」

 サトゥルニア卿はわたしの顔をじっと見た。

 どぎまぎする。


「光の転移者のスキルは、どれくらい鍛えた?」


「いえ、忙しくて確認できてなかったです。ちょっと待ってください」


 視界の右上をつつく。ステータス画面が開いた。貢献度の蓄積でレベルは十二まで上がっていた。しかしスキルはまだ「フェアリー」以外開放されていない。


 スキルをいっぱい使うしかないらしい。それを説明する。


「そうなのか。それでは闇の転移者と戦うには心もとない……」


「あのイオンとかいう人、どれくらい強いんですか?」


「皇帝陛下のお付きの者になるという立場上、貢献度の溜まりかたが速いのだろう。レベル八十を突破しているという噂を聞いた」


 いやレベル差えっぐいな! 最初の街を出てすぐラスボスに挑戦する感じじゃないの。


「とにかく励んでくれ。あの者はたまに私の屋敷にもくるが、たいてい皇帝陛下から仰せつかったといっていわゆる異民族の弾圧をしようとする。私はそれを認めない」


「わかりました。頑張ってみます」

 ヒュームでない民族のやさしさはじっくりと味わった。それを弾圧しようというのはやはり馬鹿げたことだ。

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