19 まさかの多角経営企業

「まだ乾かないけどどうする?」


「時間魔法を使いましょう。ここは暖かいのですぐ乾くはずです」

 イカホは指をぱちっと鳴らした。じっとり湿っていた洗濯物は、みるみる乾いて皺までピンシャキになった。オオゴキブリの血も落ちている。


「これさ、うまく使ったら洗濯屋ができるんじゃないのか?」


「洗濯屋?」

 ニュートが頷く。


「こんなあっという間に洗濯のできる機械があるんだし、イカホの得意な時間魔法を組み合わせれば、洗濯も収入にできるんじゃねえかなーって話だよ」


「確かに。冒険者は汚れがちですからね。お風呂に入っているうちに服がきれいになっていたら嬉しいですし」

 これは新しい視点だった。


 なんというかスマホの農場経営ゲームみたいに事業が広がっていく。


 とりあえずそのことはサトゥルニア卿に連絡したほうがいいかも、と言うと、イカホは手紙を書き始めた。なんでも帝都には100レプタで手紙を送ってくれる郵便局のような商売をしている店があるのだという。


 意外と発展しているのだな、この世界も。

 イカホはるんるんで出ていった。その後ろ姿を眺めてから、新しい商売に向けてのプランを考える。


 いままでただ温泉として営業していたたぬき湯が、まさかの多角経営企業になりつつある。


 これ、現実でちゃんとした企業に就職するより稼げているのでは?


 いやお客さんの支払いが銅貨だからちゃんと数えてないけど……。


 ふと気になって、視界の向かって右上をつついてみる。


 ステータスが表示された。おお、レベルが5になっている。この世界に貢献すればレベルが上がるシステムというのは知っていたが、そんなに貢献するほど働いたろうか。


 いやまだレベル5だ。某捕まえて戦うゲームで言えば最初の一匹を選んだときと変わらないし、特に新しい技を覚えたわけでもない。

「どうしたもんじゃろ」

 そうぼやく。


「スキルは練習しないと上位スキルを覚えられないヌキ」


「うん、そうだろうなとは思ってるけど、事実風呂を営業するのが忙しくて練習する時間がない」


「マインドフルネスするヌキ」


「マインドフルネス? あの意識高いやつ? やだ」


「言い方の問題ヌキね。瞑想してみるヌキ」


「瞑想かあ……」

 瞑想ではないが、就活のいちばんしんどいころ、ギデオンのおじさんたちが高校の校門で配っていた聖書の「おりにかなう助け」から「疲れたとき」みたいな項目を開いて読んでいた。


 特に洗礼を受けようとか信仰しようというわけではなかったが、こういう思想があるのだな、と思うだけで少し楽になった記憶がある。


「そういう感じで、気楽に構えてゆっくりやるヌキ」


「あんた思考が読めるんだね」


「……なんの話をしてるかさっぱりなんだが」


「あーごめんごめん。この世界ってどういう宗教があるの?」


「宗教……かあ。皇帝陛下は唯一神の御名代、っていうくらいだな。悪いことをすればバチがあたるしいいことをすれば報われる、みたいな」


「シンプルだね」


「おう。その、悪いことをすればバチが当たるしいいことをすれば報われる、っていうのは、皇帝陛下の権限で行われる裁判や皇帝陛下から与えられる褒美のことを指してるんだ」


「すっごくシンプルだ……」


「まあいまじゃ唯一神より皇帝陛下のほうが拝まれてるかな。歴代の皇帝の眠る大霊廟寺院はいつも人だらけだよ。イオンさまも『彼方』から大霊廟寺院に現れたんだ」

 なるほど。確かにそれは光属性だ。


 一方こちらはアンデッドの村に現れたわけで、そりゃあ闇属性である。


 とにかくちょっとずつ瞑想をしよう。忙しすぎてこれでは擦り減ってしまう。


 たぬき湯は昼過ぎからまた忙しくなった。冒険者の帰宅ラッシュの時間らしい。

 どうやらこの世界の「冒険者」という職業は、朝早くに依頼を受けて、午前中に仕事をし、午後にはお金を受け取って帰る、という暮らしをしているらしい。


 そりゃあ規模の大きい、傭兵的な仕事であれば、一日がかりや数日がかりもあるのだろうが、帝都周辺で活動するあまり強くない冒険者ならほとんどその日暮らしのようだ。


 なんて気楽なんだろう。

「ニュート、この世界の人って就職するとき苦労するの?」


「いや? 親の仕事を継ぐのが普通。そうでなければ……僧院とか皇宮に仕えたりするのもほとんど試験なんてないらしいし、冒険者なんてちょっと腕っぷしがあればいくらでもなれる」


 羨ましいことこの上ない。


「あのさ、『彼方』って、就職するのがめっちゃくちゃ難しいのよ」


「なんでだ? 職に就かなきゃ食べていけないだろ、食いっぱぐれてる人がいるのか?」


「まず高校出てないとまともな職につけないし、みんな大学に行くから大学を出る前に仕事を探して採用してもらわにゃならないわけ」


「え、なんかすでにめんどくさそうなんだけど」


「で、わたしは仕事に就き損ねて、仕方なく実家に帰ってきたんだけど」


「オータキの親はなんの仕事をしてるんだ?」


「なんのことはないサラリーマン家庭だ。サラリーマンっていうのは雇われてお給料をもらうあっちじゃ普通の、まあ雇われてるっても戦うとかじゃないんだけど」


「そうか、それじゃあ継ぐ家業がないんだな」


「そういうことなんだな~! それで親戚が経営してるこのたぬき湯でアルバイトしてたわけだ。最低賃金の激安給料で」


「えっ、こんな大変そうな仕事なのに、給料安かったのか?」


「あっちにはオシャレな温泉があちこちにあったからねえ……近所のおばあちゃんとかが入りに来るくらいで、ずっと閑古鳥が鳴いてたわけ」


「そうか……」


「だから、こっちに来られてよかったと思っててさ」


「……そうか! それはこっちの人間として嬉しい!」

 ニュートはさわやかな表情をしていた。スポーツドリンクのコマーシャルのごとし。


「それにしても、大学に行くくらいのすごい人が職に就けないってすごいな」


「まあ、大学っても大したところじゃないしね」


「大したところじゃない大学なんてあるのか?」


「こっちの世界って大学あるの?」


「ある。とんでもなく頭がよくないと入れないし、出れば仕事は引く手あまただ」


「そうなのかぁ……それはすごい……わたしごときには入れないんだろうなあ……」


「そもそも大学なんて貴族の子弟が行くところだから、庶民には縁がないし、オータキだってたぶん縁がないと思うぞ」

 どうやらわたしもくくり上では「庶民」らしい。まぁイオンみたいに髪の毛をキラキラに染めたりきれいなネイルをしたり、というのとは縁がないので仕方がなかろう。

 大学のころいっぺんだけ、コツコツ貯めたお小遣いを握りしめてネイルサロンなるところに行こうとしたが、そのキラキラした佇まいだけで「あっ無理だ」と思って引き返したわたしは、紛れもなく田舎者の庶民である。


 でもこっちにいると、あの三流大学でも出ただけですごいことらしい。キラキラした生活をしていなくても、「彼方」から来たというだけですごいのだ。


 ありがとう神様!

 おかげさまで家族に罵られることも同級生にコンプレックスを抱くこともないぞ!


 圧倒的感謝! 圧倒てきかんしゃトーマス!


「そういやサトゥルニアさまが、領地にだれでも行ける学問所を作りたいって言ってたぞ」


「誰でも行ける学問所かあ」

 要するに小学校中学校みたいなものだろうか。


「失礼する」

 誰かが入ってきた。入口を見ると庶民の女性の格好をしたサトゥルニア卿がいた。どんなに安い服を着ても全身から高貴なオーラが出ているので隠しきれていない。

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