16 しがらみが一つ消えた
「神獣さまはどう考えるぞな? アンデッドの歌姫は生まれるぞなか?」
「分からんヌキ! でもボクは民が自分のやりたいことで食べていける世の中になることを望んでいるヌキ!」
「あんた本当に神獣なの? どっからどう見てもただのたぬきにしか見えないけど」
「チートであっちとこっちをつないでるヌキ、どう見ても神獣だヌキ。チート切られたいヌキか? そしたら蛍光灯も温泉のポンプもなんもかんもぜんぶストップするヌキよ?」
こ、こいつ、マスコットキャラクターに見せかけておっかない脅しをかけてきたぞ。
「じゃあ神獣ってことにしておく。で、どうすればそれぞれの種族が能力を活かす仕事に就けるようになると思う?」
「まずは差別を無くすことヌキね。多様性ヌキ」
「多様性かあ。じゃあガチガチの差別主義者のイオンをどうにかしないと」
「差別ってなんか悪いぞなか? わしも差別されとるがそれが当たり前ぞなよ?」
「うーん。差別は行き過ぎるとナチスみたいになっちゃうからなあ」
「ナチス? なんの野菜ぞなか?」
わたしはゲロに、ナチスがなんなのか、どういうことをしたのか説明した。
「ヒュームが、他の種類のヒュームを、殺しまくったってことぞなか?」
「そういうことになるね。差別されることが当たり前になっちゃうと、それを解消しようって思わなくなっちゃうんだね」
ふと思い出すことがあった。
どこにも就職が決まらず、心が折れてしまって田舎に帰る以外の選択肢がなくなったとき、大学で「友達」をやっていた連中は、わたしを蔑んだ。
それは努力が足りないから。
それは心が弱いから。
それは頭が悪いから。
そうやって蔑まれたのを覚えている。
でもわたしは本当に無理だったのだ。そりゃできることなら東京の企業に就職して、キラキラの社会人生活を送りたかった。
みんなと同じになりたかった。
人間は、自分と違うものを嫌う。みんなと同じになれない自分が悔しかった。
たぶんみんな、就活のストレスで、わたしをサンドバッグにしたかったのだろう。
だとしても、あのひどい扱いを思い出すだけで、なんというか……もうちょっと、慰めの言葉をかけるとかはできないのだろうか、と思ってしまう。
「……オータキ?」
「あ、ああ、ごめん……なんでもない」
「なんでもない人はいきなり黙らんぞな」
「そ、そうだね。あはは……」
「お客さん、来ないヌキねえ」
そうなのであった。
さっきのウーズからあと、だれも来ない。
「少しすれば仕事終わりの冒険者が来るぞな。それまでの辛抱ぞ」
「こんな朝早くに仕事って終わるものなの?」
「たとえばそうぞな、水路のオオゴキブリの退治とかなら」
「げぇっ。オオゴキブリなんてのがいるの」
「いるぞな。でっかいゴキブリぞな。倒すと緑の汁をまき散らして死ぬぞな。病気を媒介するから見つけ次第倒すようにしないといけないぞな」
ゲロの言ったとおり、それから少しして服に緑の返り血を浴びたヒュームとエルフの女の子二人組がやってきた。
「お風呂上りに牛乳が飲めるって本当ですかあ?」
ヒュームの女の子はそう言ってきた。そうです、と答えると、
「よっしゃ。毎日通って巨乳になるぞ」と、だいぶ見当外れなことを言った。
日本で学校教育を受けて、小学校中学校と牛乳を飲んで過ごしたけど、ぜんぜん乳育たなかったんだよなあ……。とにかく二人組は風呂場に吸い込まれていった。
テレビをつけてみる。もうすでにトラック事故のニュースでなく外国の戦争のニュースだ。
「これ、ずいぶん大きい魔鏡ぞなあ」
「魔鏡じゃないよ、テレビ。こんなの小さいほうだよ」
「へえ……オータキのもともといた世界では戦争をやってるぞなか」
「うん、このたぬき湯があった国は戦争をしないっていう憲法があるけど、外国では当たり前に戦争をやってるみたい」
「そうぞなか。戦争はなーんにもいいことがないぞな」
ゲロは遠い目をしてテレビを観ている。なんとなくEテレにチャンネルを変えると、またタイミングよくピタゴラスイッチをやっていた。二人してぼーっと、ビー玉が転がるのを見る。
「こういう教養になるやつをやっているのに、戦争をやっているぞなか」
「教養番組っていうか、子供番組だよねえ……戦争してても子供さんはぐずるからね」
「わしは教養があれば戦争は起きないと思っておったぞな」
そういうものなのだろうか。
風呂から上がってきたヒュームとエルフの二人組は、それぞれ一四〇レプタ支払って、牛乳を飲み始めた。
「おいし~!!!!」
「生き返る~!!!!」
「お風呂はどうでしたか?」
「なんだか普通のお風呂と違って汗がだーって出るね! すごくポカポカする!」
エルフのほうが口元をぬぐいながらそう言う。
「こんなすごいお風呂屋さんを異種族が入るからって毛嫌いするイオンさま、わけわかんないよね!」
「そうだよ、エルフだって温泉に入りたいもん」
エルフとヒュームはご機嫌さんで帰っていった。百合のオーラを感じた。
「この世界を救うのは、意外とオータキなんじゃないかと思うぞ」
「救うって、そんなピンチだと思ってないけど」
「エルフみたいに古くからヒュームと付き合いのある種族はともかく、ほかの最近人間に格上げされた種族は嫌われるぞな。わしがそうぞな。でもこのたぬき湯とオータキは、その差別を無くすためにここに遣わされたんじゃないぞなか?」
「そんな難しいことわかんないよ。温泉を営業する以外出来ることないもん」
「いーや、わしは確信してるぞな。オータキが転移してきたのはそういう意味があるぞな」
よく分からないが救世主だと思われているようだ。
過剰な重圧だなあと思った。正味の話、自分だって差別はするのだと思う。たとえばキラキラ人種を差別、というか、なるべく近くにいてほしくないと思っている。
それも差別なのではなかろうか。
いや、差別というよりやっかみとかひがみとかいうやつだろうか。
分からないがわたしはわたしの狭量さが悲しい。へえあなたは楽しそうに暮らしてるね、素敵なお昼ご飯だね、と言えるやさしさがわたしにはないのだ。
ちょっと気になったのでスマホを取り出して、通知を切って放置していたインスタをひらいて、「矢立イオン」で検索をかけてみた。
出てくるわ出てくるわ、おいしそうなお昼ご飯に可愛い犬、おしゃれなネイルに髪を染めた自撮り。どうやら現実にいたころはすごい頻度で更新していたようだ。
ハッシュタグ芸も凝っていて、いやこんな長いタグ検索するひといないから……となってしまう。
可愛い犬、おそらくポメラニアンだけは唯一許せるのだが、けっこうな頻度でトリミングサロンに連れていってクマちゃんカットにしているらしい。わたしのうちで大昔飼っていた猫はただの雑種だぞ。トリミングはおろか風呂なんていっぺんも入れなかった気がする。
イオンはどうやらパートナーの男性と、結婚を前提に同棲していたようで、二人前のいわゆるヴィーガン食がギッシリ並んでいる。そしてときどき「きょうはチートデーでーす」と言って肉を食べている。
菜食主義者ならそれを貫きなさいよ。動物を殺すのが可哀想だから野菜食べてるんじゃないのか。なんだかイライラしたので、インスタをアプリごと削除してやった。
あっちの世界とのしがらみがひとつ消えた。
ため息をつく。
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