13 本日休業
「……温泉。……健康」
わたしは知らないのだが、秋田県大館市にも昔は健康ランドみたいなのがあったらしい。なんせすっかり寂れた大館しか知らないので、どんなところか想像がつかないのだが。
「健康のイメージで押していこうと思う」
堂々とそう宣言する。話題がぶっ飛んだのでニュートとゲロはポカン顔だ。
「健康か」
「うん。まず牛乳とビールだ」
「牛乳とビール……ってどっちも高級品だぞな。こんな小さな浴場に置くものじゃないぞな」
「あっちの世界、『彼方』ではどっちも浴場にだいたいあるんだよ。それを売り物にする」
というかそういうもののない温泉というほうがおかしいのだ。
「……面白そうだ。どうやって仕入れる?」
「間に業者をいろいろ挟むからお高くなっちゃうわけで、じかに農場や醸造所と契約するというのはどうかな。帝都も郊外に出ればそういうのもあるでしょ?」
「あるにはあるけど……簡単に契約できるもんなのかな……」
ニュートが首を捻る。
「サトゥルニア卿に一筆書いてもらえば余裕なんじゃないの?」
「そんな簡単にサトゥルニア卿のお許しがもらえるわけねーだろ。この国でも指折りの貴族だぞ?!」
ニュートが呆れ顔をする。では、実際のところはどうなのか。サトゥルニア卿のお屋敷に、ゲロの案内で突撃してみた。
「ふむ、面白い。それはいいな。そこから差別をなくせるなら、私の願いも叶う、ということだし」
あっさりサトゥルニア卿からOKが出た。新聞のことを話してみる。
「あれはひどいな。まずは文章が読めたものじゃない。そしてなんとか書いてあることが分かったら、憤慨以上の気持ちにならない。もう異種族はモンスターではないのに」
「サトゥルニアさまも同じお考えでしたか」
「同じ考えもなにもそうとしか言えないだろう。かつてモンスターと呼ばれた種族が、いまでは人権を得ている。あの転移者の書いたことはこの時代に逆行することだ」
サトゥルニア卿は優雅な仕草で、羊皮紙にさらさらと文章を書いた。
「これを農場や醸造所に持っていけば、私の財布から牛乳やビールを買い付けることができる。私がいくらでも金を出そうじゃないか。牛乳やビールを飲める浴場なんて、いまだかつて聞いたことがない。うまくいけば大成功するはずだ」
おお、それはとても心強い……! と、じんわりした。
「ところで、ビールが作られているってことは麦があるんですよね」
「うむ……オータキ殿はコメという麦に似た作物を探しているのだったな」
「麦は贅沢品だと聞きました。なんで主食にしないでビールにしちゃうんですかね?」
「この帝国に麦が持ち込まれたときの使い道が、ビールだったからだろうと思うが」
そうか、麦とビールがセットになって持ち込まれてしまったのか。だから麦飯をつくろうという発想にならなかったのだ。
とにかく牛乳とビールを他人のお金で手に入れるルートができた。るんるんで屋敷を出ると、待ちくたびれた顔のゲロがつま先をぱたぱたしながら待っていた。
「長話が過ぎるぞな。わしは仕事を休んできてるんぞな」
「ごめんごめん。牛乳とビール、サトゥルニアさまが買ってくれるって」
「まじぞな?! それはすごいぞな!」
二人でたぬき湯に戻ると、ニュートがげっそり顔で店番をしていた。
「ニュートごめん。どんな感じ?」
「誰も来ねえなあ……って感じだ。あ、さっき俺の父ちゃん母ちゃんが来ていったな」
ニュートはため息をついた。
「こっちは大成功ぞな。牛乳とビールの代金はサトゥルニアさまから出るぞな」
「は?! まじで?!」
ニュートはとてもわかりやすいびっくり顔になった。
「じゃあ今週中にたぬき湯の営業を一日休んで、郊外の農場と醸造所を回ってみるか。依頼は直接出してもらえば間違いなく俺ら三人がついていくぜ」
「それがいいヌキ。牛乳とビールがあれば、もっとお客さんが来るヌキ!」
「うおっしゃべったぞな」
「あー、あんたいたんだ。もうしゃべるのやめたかと思った」
「ひどいヌキ。お客さんをビックリさせないように黙ってただけヌキ」
一言ぶん言葉を置いてから、
「アンデッドの領地にいたころ、帝国だと牛乳は飲むより脂にして体に塗るものだってアンデッドのロードって人から聞いたんだけど」
と、ちょっと疑問だったことをニュートとゲロに訊ねてみる。
「そりゃーずいぶん昔の話じゃないか? アンデッドは基本的に何百年も前の人間が死んで、それが霊力を得て動いてるだけだからな」
「そうぞな。アンデッドは人間の死体ぞな。たぶん古ヤロフ王朝のころの話ぞな。東方の異国から牛の乳を使う文化が広まった時代ぞな」
なるほど……。
まあそんなこたぁどうだっていい、いまの時代は牛乳もビールも飲むのが当たり前なのだ、それなら悩むことはなにもない。それから三日後、「本日休業」の貼り紙をして、ニュート、イカホ、ゲロに直接依頼を出し、農場と醸造所を回ることにした。
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