10 炭水化物を、摂りたい

「あの女が光の転移者の力を使うところを見たことがない。そしてあの女は、皇帝陛下に取り入って、面白おかしく暮らすことだけをよしとしている。ここを訪れていたのも、あの女が皇帝陛下と組んで私の行動を制限しようとして、そのために寄越されたのだ」


「なんでサトゥルニアさまの行動が制限されねばならないのですか?」


「私の領地である辺境には、さまざまな種族が人権を認められて暮らしていて、それをあの女はよく思っていないらしい。あの女はヒュームにだけ人権があると思っている」


 思わず黙ってしまった。イオンからしたら、イカホもゲロも、ギンザンさんもアタミさんも、ロードも、人間ではないのだ。


 いやわたしも「人間とは……?」と思うのだが、この世界の仕組みとして認められているのだからそれを個人的な感情で人権はないとするのはおかしい話である。


「あの女は、皇帝陛下にあらぬ思想を吹き込み、私の領地経営を台無しにする気だ。そこでだ、オータキくん。君に頼みがある」


「はあ」


「君は光の転移者だとアンデッド族から話が上がってきている。それすなわち、強力なこの世界を照らす魔法を使えるということだ。もし君が光の転移者だとしたら、あの女は闇の転移者であるはずだ。あの女を倒してほしい」


「いや無理です無理無理、光の魔法はやっと一つ覚えたところでまだ撃てません」


「倒す、という言い方がよくなかったか。あの女の思想を砕いて欲しいのだよ。なんでも種族関係なく入れる温泉浴場と一緒に転移してきたそうじゃないか」

 それでイオンの思想は砕けるのだろうか。非常に疑問である。


 そこまで話していると、羊の角をつけた従者が入ってきて、サトゥルニア卿になにやら耳打ちした。サトゥルニア卿は表情をいっさい崩さずに、

「すまない、野暮用ができてしまった。帰れるか?」

 と聞いてきた。


「帰るのは構わないんですけど、どうやって帰ればいいか道を覚えてません」


「そうか、帝都にきたばかりの人間はだいたいそうだな。客人のお帰りだ、スクロールを持て」

 サトゥルニア卿は手をぱんぱんと鳴らした。サソリのしっぽをつけた従者がスクロールを持ってきた。従者は、「これを開いていきたいところを思い浮かべれば移動できます」と教えてくれた。


 というわけで、サトゥルニア卿に深く深く頭を下げ、帰ることにした。

 なんだか面倒なことに巻き込まれたし、戦う相手はキラキラした人だし、勝ち目がないように思われた。


 とにかくいまはたぬき湯の広告が優先だ。帰ろう。

 スクロールを開く。たぬき湯を想像すると、ギュインと吸い込まれた。


 次の瞬間には、わたしはたぬき湯にいた。

「おかえりオータキ。なんの話だったんだ?」


 たぬき湯には、ニュートとイカホとゲロが待っていた。

「いやあまあいろいろと……それよりこのたぬき湯を宣伝して、いろんな人に来てもらわないことには」


「そうだな、そっちが大事だ。ここって効能はどうなってるんだ?」


「腰痛とか肩こりとか……特に特殊な効能はないんだけど、あったまることだけは確か」


「仕事帰りの冒険者に寄ってもらうのはどうですか? ちょうど冒険者ギルドも近いことですし」

 イカホの提案にゲロが頷いた。


「それはいいぞ。冒険者ちゅうのはヨロイを着てみんな肩がこってるぞな」

 というわけで、いわゆるひとつの冒険者ギルドに広告を貼りだすことにした。なんと歩いて三分ほどのところに冒険者ギルドがあって、いろんな人種が出入りしている。


 冒険者ギルドは、ライトノベルやアニメで履修したあの雰囲気……と言えば分かるだろうか。壁には依頼がずらっと並び、等級ごとに貼りだしてある場所が違う。


「種族関係なく入れる温泉浴場が冒険者ギルドから徒歩三分!」という、チラシの裏で作ったチラシを壁に貼らせてもらう。それをみてケットシーとリザードマンの二人組が、

「種族関係なく風呂に入れるんだと」

「面白ぇじゃねえか、入りにいこうや」と嬉しそうにギルドを出ていく。


 広告掲載料を銅貨五枚支払う。大きさに関わらず広告は銅貨五枚、依頼は規模に応じてギルド側が報酬を設定するらしい。


「あの、これは依頼じゃなくて相談なんですけど」

 と、ギルドの受付嬢に、白いコメを探すことを依頼するとなると報酬として支払わねばならない額はいくらなのか聞いてみる。


「そうですねえ……白いコメというのは帝国にはないので、世界規模での探索となると、やはり白金等級以上の依頼となりますし、時間もかかりますし、金貨百枚程度になりますかね……」

 と言われてしまった。また白いコメが遠のいていった。


 ああ、白いコメが食べたい。炊き立てご飯に梅干しとか納豆とかイカの塩辛とかすじことか、そういうのをドーンと乗っけて食べたい。


 白いコメへの未練を断ち切れないまま、たぬき湯に戻ってきた。

 乱雑に、安全靴のようなブーツが何足か脱ぎ捨てられている。鍵のかかる下足入れが分からないようだ。

 わたしが白いコメのことを考えている間に、イカホが受付をやってくれていた。なんだかげっそり顔だ。


「ごめんねイカホ、わたしがやるから」


「そうですか。あの、お昼ご飯ってどうされます?」


「あー……考えてなかった」


「お隣の、ニュートの実家から買ってきましょうか?」


「それがいいかも。お願いしていい?」


「いいですよ。行ってきます」

 イカホは白い装束をはためかせて、たぬき湯を出ていった。


「あーいいお湯だったぁー!!!!」

 男湯の脱衣所からケットシーが出てきた。毛並みがぺしょぺしょになっている。風呂のお湯にちょっかいを出そうとして浴槽にドボンした猫みたいだ。


「ここ、楽しいな! どんな種族もすっぽんぽんになりゃなんも変わらないって分かって面白いぜ!」


 ケットシーは笑顔である。かわいい顔に反して体は筋骨隆々といった感じ。


「お前さ、もうちょっと丁寧に毛ぇ乾かしたほうがいいんじゃねえの」

 リザードマンがウロコを磨きながら現れた。


「それにしてもいいなあここ! 脱皮しそうだぜ!」

 リザードマンって脱皮するんだ……。


 二人は適当に靴を履いて勝手に出ていった。時間のあるうちに、入り口の下足入れの使い方を紙に書いて貼っておく。最初に入れた銅貨は開けるときに戻ってきます。そんな現実では当たり前のことがここでは通じない。


 しばらくヒマになった。そこにイカホが戻ってきた。


「さっきやたら疲れた顔してたけど、なにかあった?」


「なにか、っていうか、券売機? あるじゃないですか。あれでチケットを買わないで受付に銅貨を置いていくお客さんが多くて。あ、おすすめ定食お願いしてきましたよ」


「ありがと。やっぱりあの手の機械ってこの世界ではなじみの薄いものなの?」


「そうですねえ……大神殿にいけば、コインの重さに応じて聖水を売ってくれる機械があるそうですが、あんな頭のよさそうな機械じゃないんですよ、たぶん」


「そっかあ……そこは考えなきゃいけないなあ」


 少しして、ギンザンさんが出前にやってきた。銅貨を支払い――今回はすんなり受け取ってくれた――、おすすめ定食が置いていかれる。あとで食器を返さねばならないようだ。


 シンプルな、例の焼き魚と、スープと、サラダと、それからまたなにか揚げ物。デザートにゼリーのようなものがついている。


「またこの魚かあ……」


「ルサルカ、お嫌いですか?」


 イカホが怪訝な顔をするので、元いた世界の魚は生で食べられるくらいおいしかった話をする。


「ルサルカは帝国の主要都市ではほとんど主食ですよ。とにかくたくさん獲れるんです。毎日食べるものだからまずいって思ったことはないですね」


「まじかぁ……穀物とかって食べないの?」


「パンとか団子にはしますけど、パンは貴族の口にしか入りませんし、団子だってそれこそ贅沢品です」


「まじかぁ……」


 米がないなら麦、となるかと思いきや、麦すら高級品で庶民の口には入らないらしい。

 炭水化物を、摂りたい!

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