4-4.晃光という人

 沙奈枝、加奈、梢枝、幽霊の男。彼らが一人ずつ部屋の外へ出て行ったことを確認すると、幽霊の少女は「ふう」と一息ついた。その後、少女は晃光と真琴の方へ視線を移した。


「それじゃ、場所を変えましょうか。場所は……まぁ、あの廃墟の前でいいでしょ」


 幽霊の少女と晃光、そして真琴の3人は温泉宿から出ると車に乗り込み、神霊山を下っていく。それから町並みを越えて外れにある山へと入り、3人は車を降りる。車を降りて少し歩いた先。そこにはあの廃墟が以前と変わらず鎮座していた。変わったところと言えば、地鎮祭の時のような飾り付けが用意されていることだろう。


 廃墟の前には祭壇が用意され、祭壇の四隅には竹が刺さっている。四隅の竹を結ぶようにしめ縄が張り巡らされ、しめ縄には紙垂しでと呼ばれる白い紙が垂れていた。


 幽霊の少女と真琴は廃墟の前に立ち2人は晃光をじっと見つめる。


「それじゃ、昨日の続きを答えてもらおうかしら」


 幽霊の少女は冷たく言葉を放つ。だが、その目には晃光の内側を覗こうとする温かい光が伺える。


「あの廃墟で何をしようとしてたの? わたし達と離れていた間、アンタはどこで何をしてたの?」


 ……晃光は答えない。


「あの子はアンタを信用してる。私もアンタを信用したい。だから教えて。何であの廃墟に行ったの?」


 晃光はただ俯き、少女の顔を見ようとしない。ただ誰も何も言葉を発さない時間が数分間に渡って続く。その間3人に聞こえるのは、山奥にひっそりと暮らす小動物たちの足音や鳴き声のみである。


「……俺は」


 晃光が口を開いた。


「俺は――妻と娘に会った」




 俺には、妻と娘が居た。家に帰れば娘が走ってきて、台所からは妻がゆっくりと歩いてくる。まるで物語にでも出てくるような家庭だ。贅沢はさせてやれなかったが、それでも俺たちは幸せだった。毎日食卓を囲んで、休日には家族を連れて出掛けて。そんな日々を、俺たちは過ごしていた。


 俺の仕事は祓い師だ。勿論危険な仕事だが、俺は弱かった。俺たちの流派は霊を“使役”して、その力を基に奴らを祓う。俺たちはただの人間で力が無いから、こうしてあの世の概念と繋がる必要があった。だが、俺は霊を使役することが出来なかった。


 そんなある日だ。大きな怪異が町を襲った。生と死の概念が混ざり、自分が存在しているのかも分からなくなるような怪異。俺たちは総出でその怪異に立ち向かった。だが、怪異は俺たちが思っていた以上に手強かった。戦った祓い師達の家族にまでその影響が及んだんだ。


 俺は真っ先に家に向かったよ。だが、着いた時にはどうなってたと思う?


 何もだ。何も無かったんだよ。


 妻も、娘も、家も。何も無かった。まるで初めから存在しなかったみたいに。俺の家族は概念に呑まれて消えたんだよ。きっと、あの世に行ったことすら気付かないまま消えてしまったんだろう。


 俺は何も出来なかった。祓い師として力を貸すことも出来ず、いざ帰れば家族も守れてない始末。


 俺に何が出来る?

 俺に何が残ってる?

 こんな俺が生きて何になる?


 俺は怪異の元凶の元へ向かった。だが、その時には既に“尊主”の子孫であるわが師が既に収めた後だった。多くの犠牲を払った強大な怪異。その怪異の前で俺は何も出来なかったのに、俺はこうして生き残った。それが――俺は許せなかった。


 だから俺は流派から抜けた。


 それからの俺を突き動かしていたのはただ一つの目的だけだ。俺は祓い師として働いていたから、この世界の裏面を知ってる。この世界には“あの世”という概念が確かに存在し、そこには死者が集っていると。


 だから、俺は探した。あの世に行く方法を。

 そのために、あの山でお前に声を掛けたんだ。


「お前の要求を呑む代わりに、俺に力を貸せ。俺に使える霊として、俺を手助けし、目的の為に動け」


 それからも俺は探し続けた。あの世に行く方法を。そうして見つけたんだ。かつて祓い師達が概念についての研究をしている廃墟があることを。概念について知ることが出来れば、あの世という概念に触れることも出来るだろう。それに、生と死の概念が揺れ動く場所であれば、あの世自体に行くことも出来るかもしれない。


 知っての通り、俺の実力はそれほど強くない。いずれ梢枝にも抜かされるだろう。だから俺1人で行く訳にはいかなかった。他の実力者を集めてあの廃墟に向かったのはそれが理由だ。


 だが結果は――想定外の状況に陥った。


 あの世に落ちてお前達とはぐれ1人になった時、目を覚ますと俺は家の中に居た。よく見覚えのある家だった。何度も記憶の中で思い返し、何度も戻りたいと思ったあの家だったんだ。玄関に足を踏み入れれば、リビングの方から娘が走って来る。その音を聞きつけた妻が台所からこちらを覗いてゆっくりと歩いてくる。


 全てが記憶のままだった。全てがあの頃のままだった。


 俺達はもう一度あの食卓を囲んで他愛もない会話をした。


 今は何をしているのか、調子は?

 娘は悩みなく学校に行けてるのか?

 妻に心配をかけたんじゃないか?


 返答は、全て記憶の通りだった。

 そう、“記憶のまま”だったんだよ。


 俺は気付いたんだ。あの世に居る死者という概念は、その概念を作り出す生者の記憶で成り立っていることに。つまり、あの世に居た妻と娘は俺の記憶上の存在でしかなかったんだ。もう時間が進むことも無ければ、新しい会話が生み出されることも無かったんだよ。


 全部無駄だった。俺は記憶上の存在、投影された存在と話したかった訳じゃない。またもう一度、昔のように生活を送りたいだけだった。その為に俺はここまで足掻いて生きてきた。だが結果は、まるで壁に話しかけているような状態だった。


 だから、俺は諦めた。これ以上追うことを諦めたんだ。諦めた途端に生まれたのは――お前達を巻き込んでしまった罪悪感だった。俺はお前達に謝らないといけない。俺はあの温泉宿にまた帰らないといけない。そう思った時、温泉宿に繋がるゲートが目の前に現れたんだ。




「とまぁ、これが俺の話だ」


 晃光は幽霊の少女と真琴の顔を交互に見つめながら話を終えた。


「この怪異に巻き込んだのは、俺の私利私欲のせいだ。本当に申し訳ない」


 晃光は深く頭を下げる。その様子を幽霊の少女と真琴はじっと見つめる。ただ見つめて、誰も言葉を発さない。静寂が再び3人を包み込んでいた。


「はぁ……」


 幽霊の少女が最初に口を開いた。


「誰もが求めることよ、死者に会うことなんて。その望みに対して私達は近すぎる。アンタの言うことは分かるけど、あの世に行った存在が昔と同じ存在にはなれないのよ」


 幽霊の少女は頭を下げる晃光へと近づき、屈んで晃光の顔を上げる。


「でも約束して。あの子達はもう二度と巻き込まないで。私の事は利用しても構わない。それがアンタとの取引だから」


「……分かった」


 幽霊の少女はその言葉を聞くと、すっと立ち上がって普段の態度に戻った。普段の明るく、晃光に文句を言う少女の態度に。


「それじゃ、この話はこれでお終い! さ、お祓いの準備を進めるわよ。真琴、あとは何を準備すればいいのかしら?」


「家の奥からこの塩を置いていってくれ。いいか、奥からだ。奥から追い出すように置いていって、最後には玄関に置くようにするんだ」


「はいはい、分かったわよ~」


 幽霊の少女は塩の袋と小皿を抱えて廃墟の中へと入っていった。その塩を幽霊の少女が持っても何の問題が無いことには、晃光と真琴は目を瞑った。


 幽霊の少女が廃墟の中へと消えていった時、晃光は真琴の顔をじっと見つめ問いかけた。


「なぜ指摘しなかった?」


 その問いに対して、真琴は笑みを浮かべていつもの軽い口調で答える。


「さぁ~何故だろうね~? あたしも“温泉でのぼせた”のかもしれないね」


 真琴は廃墟の方へ視線を移して言葉を続ける。


「もう少し見てみたくなったんだ、お前達の選択を。アレがどんな道を辿って、お前達がそれに対してどのように向き合うのか」


 真琴は挑戦的な表情で晃光の方へと視線を移す。


「だから、この前の言葉を少し訂正させてもらおう。あたしはアレを見届ける。それまでお前達にチャンスをやろう。もし、お前が変な動きをするようだったら、その時には容赦しない」


「……勝手にしろ」


 晃光は真琴の横を通り抜け、廃墟の中へ入ろうとする。そんな晃光に対して真琴は――。


「お前は? お前の考えは変わらない気かい?」


 晃光は足を止めた。ほんの数秒の出来事。

 だが、晃光は再び歩み始め、廃墟の中へと消えていった。

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