3-14.黄泉戸喫

 わたしと加奈さんがリビングを覗き込んだ時、そこには和やかな雰囲気が漂う家族団らんの風景が広がっていました。お父さんとお母さんと思われる人が楽しそうに話していてその中に――。


「沙奈枝さん?」


 まるで当たり前のように沙奈枝さんがそこに座っていました。座って、楽しそうに会話に交じっていたのです。


「っあ! 梢枝ちゃんも来てたんだ! お父さん、お母さん紹介するね! この間知り合った友達の梢枝ちゃんだよ! ほら、梢枝ちゃんこっちに来て!」


 沙奈枝さんはいつもの様に手を振ってわたしを呼び寄せます。けれど、わたしはそこに近付くことが出来ませんでした。


「沙奈枝のお友達ね。いつも沙奈枝がお世話になってます」


 沙奈枝さんのお母さんでしょうか。まるで当たり前のようにわたしに向かってお辞儀をします。が、わたしは何の反応を取ることも出来ません。反応を取る以前に、わたしの頭がこの状況に追いつかないのです。


「ちょ、ちょっと止めてよ~お母さ~ん」


「あら、ごめんなさいね~」


 沙奈枝さんと沙奈枝さんのお母さんは笑いあっています。

 何故でしょう。いつもの明るい沙奈枝さんなのですが、そこにはどこか――言葉にしにくいですが、子供っぽさがあるのです。いつもの様に感情がハッキリと出てはいるのですが、中学生の沙奈枝さんにしては子供っぽすぎるのです。


「そうだ、お友達がせっかく来てくれたんなら、ちょっとゆっくりして行ってもらったらどうだ? ここまで大変だっただろう」


「そうだね! 梢枝ちゃん、もし良かったらだけどこれ食べてみない? とっても美味しくてね。この後お母さんに作り方を教えてもらう予定なんだぁ~」


 沙奈枝さんは食卓に並んでいた料理?をわたしに差し出してきました。わたしはそれを――。


「…………」


 ――取ることが出来ませんでした。何故ならそれは――。


「どうしたの? 梢枝ちゃん」


 ――それは、あの“黒い実”だったからです。あの黒い実がわたしの目の前に広がる食卓いっぱいに並べられているのです。それを沙奈枝さんはまるで美味しい料理を食べるかの様にみんなで食べているのです。


「……沙奈枝さん」


「ん?」


 沙奈枝さんは不思議そうに首をかしげます。


「それ……」


 言葉に詰まります。明らかにおかしいのに、それを指摘すること自体がおかしいような空間で、わたしが吐き出そうとする言葉が喉の奥でずっと詰まっているのです。でも、沙奈枝さんのこの状況は明らかにおかしいです。わたしは息を吸って喉の奥で詰まった言葉をゆっくりと吐き出します。


「それ、何ですか?」


 ……場が静まり返ります。みんながわたしに向ける視線が冷たく、そして鋭くなります。ですが沙奈枝さんはバッと不自然なくらい笑顔になって笑い始めます。


「やだなぁ~も~。ポテトサラダだよぉ~。味付けが丁度良い感じだからさ、食べてみてよ!」


「止めなさい、沙奈枝。お友達にだって苦手な物もあるでしょう?」


 さっきまでの静寂が嘘のように部屋の雰囲気がまた明るくなります。明らかに異様で異質な空間。ですが沙奈枝さんはそこで当たり前のように時間を過ごしているのです。


黄泉戸喫ヨモツヘグイ……」


 わたしの後ろで加奈さんが呟きます。


「よもつへ……ぐい……?」


「うん。幽霊さんから貰ったマニュアルに書いてあったの。あの世に存在する食べ物を生者が食べると、その人は“あの世の存在”になってしまう。だから、生者をこちら側……つまり死者の世界に呼んで飲み交わしてはいけないって……」


 加奈さんはとても小さく、そしてか細い声でわたしにそう教えてくれました。その話を聞いて、わたしはあの女の人――真琴さんが言っていたことを思い出しました。


『それは悪霊の魂みたいなものだ。触れないことをオススメするよ』


『ここでは自分がここに居ることを強く意識するんだ。でないとこの世界に呑み込まれることになる』


 あの言葉の意味は、“こういう事”なのかもしれません。自分は生きていて、目の前にある全てのモノは現実じゃない。自分は生きていて、ここには存在しないということを意識しないといけないのかもしれません。でないと――。


「ねぇねぇ、どこに買い物に行く? 海は前に行った所が良いよね?」


「そうねぇ~海はいつもの所で、買い物はあのデパートにしましょう」


 沙奈枝さんのように、まるでそこが現実のように意識ごと引きずり込まれてしまうのかもしれません。


「沙奈枝さん!」


 わたしは沙奈枝さんの手を掴みます。


 いえ、掴んだはずでした。


 わたしが掴もうとした手は、透けて掴むことが出来ませんでした。


「沙奈枝さん……」


 その声が沙奈枝さんに届くことはありませんでした。


 沙奈枝さんはもう、目の前に広がる光景に混ざっていました。

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