3-13.幽霊を見たい子

 私の名前は沙奈枝。私の家はとても幸せな家庭だった。お父さんとお母さんが居て、毎日賑やかに食卓を囲む。お金はあまり無くても、誕生日になれば好きな物を買ってくれた。クリスマスプレゼントだって用意してくれた。


 そんな、物語にでも描かれるような幸せな家庭。もしかしたら、どこにでもあるような当たり前の家庭だったかもしれない。


「夏だし何処か出掛けに行きましょうよ」


「そうだなぁ~海なんかどうだ?」


「いいね海! 私行きたい! お母さん、一緒に水着とか買いに行こうよ!」


「よし。それじゃあ決まりね」


 本当に平和な日常。父親と、母親と、娘の会話。よくアニメとか漫画とかで言われるセリフみたいになるけれど、私はそんな日常が大人になるまで続くものだと思っていた。だって、それが当たり前だったから。


 私が大人になって一人暮らしするまでそんな日常が続いて、私に家族が出来たら家族ぐるみで出掛けたりして。お父さんとお母さんが歳を取ったら私が看病して、最期の瞬間を看取って……そんな日が来ると思っていた。


 けれど、“幸せ”というのは心に幸せを享受できる余裕がある時でないと続かない。そして、人は時にその“余裕”を得る為に何かに縋る時がある。



 私が気付いた時は“あの廃墟”に行った時だった。あそこでは集会が定期的に行われていた。小学5年生のころ、あの異様さは今でも覚えている。何をしていたのかはハッキリとは覚えていない。けれど、朧げに覚えているのは“あの世に救いを求める”ということ。


「私達の生きる世界は残酷さで満ちております。それ故、その残酷さに打ちのめされることもあるでしょう。ですが、私達にはそれに打ち勝つ力があります。私達という概念を現在まで繋いでくれた先祖達の声を聞くのです。私達はそれを糧に前へ進むことが出来るようになります」


 えぇ、分かりやすい宗教的なものだった。引っ掛かる人なんていないと正常な人は思うはず。けれど、これに引っ掛かる人がいないなら、なぜ世界には神や奇跡を信じて毎日祈りを捧げる地域があるのだろう。


 答えは単純。そこに“救い”を感じる人が居るから。

 例えそれが真っ赤な嘘であっても。


 そして――。


「もうすぐ夏ね~」


「あぁそうだな」


「またあの海に行きましょうよ。私達が行けばもっと良い場所になるはずよ」


 そう話す両親の左手には数珠が握られていて、周囲にはガソリンが撒かれていた。


 私は家を飛び出した。

 

 お父さんとお母さんが何かを言っていた気がするけど、私は耳を塞いで飛び出した。


 後ろを振り向けば今でも思い出す。

 真っ赤に燃え盛る家の姿。

 けれど、家の中からは何も聞こえない。


 私はただその光景を眺めていることしか出来なかった。



 その後、私は孤児院に引き取られた。聞けば親戚は両親が宗教にハマり始めた辺りで縁を切っていたらしい。引き取り手が一切居ない私はここで新しく暮らすことになった。


 私はずっと考えていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 どこで道を外れたのだろう。

 どうしたら、あの瞬間にまた戻れるだろう。

 考える度に私は遠くを見つめる。ただ、じっと。


 孤児院に永遠に居ることは出来ない。周りの小さい子達は少しずつ引き取られていく。けれど、私に里親は見つからなかった。もう中学生になった私に引き取り手は見つからない。親が居ない子供はどうしても先入観からその育ちを疑われてしまう。憐みの視線を向けるくせに、その手を差し伸べることはしない。


 私は、それをよく知っている。

 私自身が、そう思っていたから。

 私自身がそうなるとは思っていなかったから。


 だから、私は演じることにした。

 親が居ないことを悟らせないように振る舞うルールを私は作った。


 1.喜怒哀楽をハッキリと表すこと。

 2.少し大袈裟くらいに反応を示すこと。

 3.例え一人でも外ではその状態を維持すること。

 4.考え込む時はベッドで横になっている瞬間だけ。


 私は2年間この状態を続けた。これが“アタシ”になるまで。

 もう昔の私は存在しない。あの当たり前だった日々は置いて、アタシとして新しい人生を歩み始めていた。それが新しい“当たり前”になった頃、アタシはあの子――梢枝ちゃんと出会った。



 あの子は昔のアタシとそっくりだった。ずっと一人で考え込んで遠くを見つめる姿には見覚えがあった。だから、アタシはあの子を放っておけなかった。


「ねぇねぇ! どこ見てるの~?」


「っえ、えっとぉ……」


「ごめんごめん。急に何だこの変な奴はぁ~だよね~」


 アタシはその子に手を差し伸べた。


「アタシは沙奈枝! 君の名前はなんて言うの?」


「梢枝……です……」


「よろしく! 梢枝ちゃん!」


 アタシ達はあっという間に意気投合した。梢枝ちゃんはすぐに引き取られてしまったけど、それでもアタシ達は連絡を取り合った。友達……というよりは妹が出来たような感覚。それはアタシの頭から“あの時”の記憶を一番遠くまで離してくれた。


 だけど、アタシ達は見た。

 怪異と呼ばれる“あの世”の存在をあの学校で。

 そして、幽霊と対話する瞬間を目撃した。


 梢枝ちゃんがアタシを守るために数珠を握ったあの瞬間の構え。アタシはあの構えに見覚えがあった。あれは両親がハマっていた宗教のセミナーで講師の人が教えていた構えと同じ。あの世の存在である先祖に助けを求め結界を張る為の構え。


 ……アタシの頭にはある考えが浮かんだ。

 それはもう捨て去ったはずの考え。



 アタシはもう一度あの廃墟の場所を調べた。どこにもあの場所の記録は残っていない。まるで記憶の中にしか存在しないみたいに、あの廃墟の事を知る人は殆どいなかった。だからアタシは記憶だけを頼りにあの場所を探した。かつてアタシの家だった場所から歩き回って、よく連れて行かれたあの道を探し回った。


 そして、アタシは見つけた。


 そこは“あの時”と殆ど変わらず、あのセミナーの集会場がそのまま残っていた。


 幽霊はこの世に存在する。幽霊は地縛霊として生存していたという概念があった場所に留まる。だからアタシはもう一度この場所に来れば会えると思っていた。


 誰かにとって愚かな両親であっても、アタシにとっては大切なお父さんとお母さんだった。その幸せが不安定なものによって形作られていたとしても、その幸せは現実だった。もう一度あの瞬間に戻って二人に会えるなら、アタシは会いに行く。



 アタシは、幽霊を見たい。あの世に触れたい。

 そして今、アタシの目の前には“あの時”と同じ食卓が広がっている。


 温かく出迎えてくれるお母さんの顔。お母さんの見慣れた手料理。一見頼りなさそうに微笑むお父さんの顔。リビングで流れるスポーツの中継。他愛のない会話。


「また一緒に昔のように暮らしましょう?」


「もちろん! また一緒に暮らして、一緒に海とかに行こうよ!」


 気のせいか、お母さんと対等だったはずの視点がいつの間にかお母さんを少し見上げる視点になっていた。まるで昔みたいに。


「えぇもちろん。あなたも良いわよね?」


「あぁ、お前が行きたいなら予定を作って行くとしよう」


 私は、あの頃に戻っていた。お母さん、お父さんと一緒に食卓を囲んで、お母さんの温かい手料理を美味しく食べていた。私がもう一度味わいたかった光景は、目の前に広がっていた。


『沙奈枝さん?』


 あぁ、梢枝ちゃんも来たんだ。お父さんとお母さんにお友達を紹介しなくちゃ。


「っあ! 梢枝ちゃんも来てたんだ! お父さん、お母さん紹介するね! この間知り合った友達の梢枝ちゃんだよ! ほら、梢枝ちゃんこっちに来て!」


「沙奈枝のお友達ね。いつも沙奈枝がお世話になってます」


 お母さんがワザとらしく梢枝ちゃんにお辞儀をして見せる。


「ちょ、ちょっと止めてよ~お母さ~ん」


「あら、ごめんなさいね~」


 私はお母さんの肩を叩いて二人で笑いあいます。


「そうだ、お友達がせっかく来てくれたんなら、ちょっとゆっくりして行ってもらったらどうだ? ここまで大変だっただろう」


「そうだね! 梢枝ちゃん、もし良かったらだけどこれ食べてみない? とっても美味しくてね。この後お母さんに作り方を教えてもらう予定なんだぁ~」


「…………」


 梢枝ちゃんは私が差し出した料理を見つめて黙り込んでいます。


「どうしたの? 梢枝ちゃん」


「……沙奈枝さん」


「ん?」


「それ――」


――それ、何ですか?

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