3-9.生きている人の役目
『こっちに来い。あんたに相応しい死に場所に連れて行ってやる』
お母さんから囁かれたその言葉。わたしはその言葉を振り払って逃げ出すことが出来ません。身体が、もう動かないのです。わたしの身体は徐々に下へ下へと沈んでいきます。いえ、わたしの身体が沈んでいるのか床が沈んでいるのかはもう分かりません。
ふと顔を上げれば、お母さんの顔が見えます。目にハイライトは無く、瞳孔が開ききってカッと開かれた目。けれど表情はまったく読み取れなくて何も感じられない、あの頃とまた少し違う表情。それでも、わたしの身体を拘束するには十分でした。
下を見れば真っ赤な……想像上のマグマのような場所が見えています。わたし達の身体はそこに吸い込まれるようにゆっくりと落ちていきます。
『さぁ……来い! 来い! コイ!』
「ダメ!」
バッと上からわたしの手を誰かが掴みます。
「梢枝ちゃん……! 行っちゃダメ……!」
加奈さんが力いっぱい込めてわたしの手を掴み引っ張りあげようとしていました。
『コイ! コイ! オマエヒトリダケ……ユルサナイ!』
マグマのような場所から真っ黒な気を放つ触手が現れてわたしとお母さんの身体に絡みつきます。加奈さんの方にも伸びていきますが、加奈さんの周りには結界が張られているのか近付けないようです。
「梢枝ちゃんが、私を見つけてくれたんだよ……! 梢枝ちゃんが私を、あの温泉宿に連れて行ってくれたの! 梢枝ちゃんが行っちゃったら……誰が私の事を覚えていてくれるの……!?」
「……!」
……昔。昔に聞いた言葉です。まだお父さんが生きていた頃。
『梢枝、生きてる人の一番の役目は何だと思う?』
『……分からない』
お父さんは幼いわたしの目をじっと見つめて答えました。
『誰かを覚え続けることだ』
『覚え続けること……?』
『あぁそうだ。生きている人も死んでいる人も、結局は誰かに覚えていてもらえないと存在出来ない。だって、誰も知らない人は梢枝だって知らないだろ? 知らないということは存在出来ないんだ』
『……よく分からない……』
お父さんはニコッと微笑んで幼いわたしの頭を撫でます。
『はは! まだ分からないよな。でも、いずれ分かる時が来る。もしお父さんがいつか死んでしまっても、梢枝が覚えている限りお父さんは生きてる。梢枝が忘れてしまった時、梢枝が死んでしまった時に初めて、お父さんも死ぬんだ。だから――』
わたしは覚え続けないといけない。
わたしは加奈さんを、お父さんを、幽霊さんを……みんなを覚えていないといけないんです。例えわたしが利用されていても、わたしの存在が死んでしまっていても、わたしは覚えていないといけない。でないと、その人は死んでしまう。
「加奈さん!」
その瞬間、わたしの身体を包み込んでいた触手がわたしを避けるように一斉に離れました。わたしはお母さんの手を振りほどき、もう片方の手も加奈さんの手に掴まります。
『ヤメロォォォォ!!!』
お母さんは人間とは思えないような獣のような叫び声を上げながらわたしの足に掴まります。足元を見れば真っ黒な気を纏わりつかせ、もはや人間とは思えないような姿をしたモノがわたしの足を掴んでいました。
「わたしはお母さんとは違います。わたしの大切な人の為に、わたしは生き続けて見せます」
わたしは足にグッと力を込めてお母さんの手を振りほどきます。
『ヴァァァァァァァァァァァ!!!!』
お母さんは真っ赤なマグマのような場所に落ちていきました。加奈さんは腕がピクピクするほど力を込めてわたしの身体を引っ張り上げました。
「加奈さん、ありがとうございま……」
バッと加奈さんがわたしの身体に抱きついてきました。わたしは突然のことに驚いて目がキョトンとしてしまいます。
「良かった……間に合って……梢枝ちゃんまであの世に行ってしまうって心配したんだから……」
「……ありがとうございます。加奈さん」
――ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
突如として地面が揺れ始めます。揺れと一緒にさっきのマグマのような場所から大きくて太い木のようなモノが生えてきます。それは家を貫くような大きな木です。
「梢枝ちゃん、今はここから早く出ないと」
「はい」
わたしは加奈さんに連れられて崩れる家から脱出します。家の方を見れば家の天井を貫いて大きな木が生えています。木の枝をあちこちに伸ばしてとても立派な木なのに、どこか禍々しさを感じます。そして、木の枝の先には徐々に実が生っていきます。真っ黒で丸い……何だか嫌な感じのする実。
「あれは……一体何なんですか?」
あの実はわたし達が調査をしていた廃墟でも見かけたものです。廃墟の一室にはこの実が大量に転がっている部屋がありました。
『それは悪霊の魂みたいなものだ。触れないことをオススメするよ。ま、もっともお前には必要ないだろうが』
大人の女性の声。わたしと加奈さんは声がした方へ振り返ります。するとそこには――長い金髪を後ろで結んでぴちっとした黒いスーツに身を包んだ、サングラスを掛けた女性が立っていました。
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