2-11.怪異の真相

「う……うぅん……」


 わたしは重い体を起こします。


 幽霊さんと怪異が戦っていた時、怪異は幽霊さんの力を破ってそのままわたしと沙奈枝さんに襲い掛かりました。そしてわたしと怪異の目が合った時、言葉を聞いたのです。


『お願い、見つけて』


 それは身体の底から絞り出したような、か細く切実に願うような声でした。まるで、わたしがお母さんに何かを懇願するような時の声。だからわたしは一瞬動揺してしまったのです。その隙に意識を失い、今は……。


「ここは……どこ?」


 先ほどまで居た学校の廊下と同じように見えますが、何となく周囲の雰囲気が異なります。何と言うか、悪い感じがせず静かなのです。


 ここで立ち止まっていても仕方ありません。わたしはバッグの紐をぎゅっと握りしめ、廊下を進み始めます。誰も居ない教室。それらを通り過ぎていくうちに、ある音が聞こえ始めました。


 ――カッカッカ……。


 それは紙に何かを書くような音。その音は少し先の教室から聞こえているようでした。少し先にある教室の扉からは中の光が漏れ出していました。わたしは恐る恐る近づいて中を覗き込みます。するとそこには――一人の女子生徒が居ました。


 チェック柄のスカートに、沙奈枝さんと同じようなセーラー服。三つ編みの茶髪が肩から垂れていて、綺麗な黒い瞳をした女子生徒。顔はとっても可愛らしく、いわゆる清楚と呼ばれるような整った顔立ちをしていました。


 彼女は少し焦るようにして紙に何かを書き込み、そのまま急いで荷造りをしているようでした。


『早く帰らなきゃ』


 彼女は慌てるように、けれど慎重に教室の扉を開けます。


「……!」


 わたしは彼女とぶつかりそうになり、身体を硬直させます。けれど、彼女の身体はわたしの身体をすり抜けていき、そのまま廊下の先に進んでいきました。わたしも急いで彼女を追いかけます。


 その時でした。


 ――ペチン……ペチン……。


 固く長い何かを手の甲に打ち付けるような音。それは沙奈枝さんが襲われていた時と同じ音でした。その音が聞こえ始めた瞬間、彼女の足が止まりました。呼吸は荒くなり、じっと廊下の先を見つめています。


『おい加奈かな、まだ補修も終わってないのにどこに行くつもりだ?』


 それは若い男性の声。けれど姿は見えません。彼女は声を聞くなりすぐに引き返していきます。わたしもその後を追い、彼女が駆け下りる階段を同じように駆け下りていきます。


 やがて一階に辿り着き昇降口の前にやって来ました。彼女は靴を履くこともなく、飛び付くように昇降口の扉に駆け寄ります。


 ――ガチャガチャ!


『なんで! なんで開かないの!』


 ――ガチャガチャガチャガチャ!


『おい加奈、欲しいのはこれか?』


 チャリンという音と共にこちらに向かって何かが投げつけられます。それは恐らく昇降口の鍵でしょう。扉を開けようとする彼女――加奈さんの手が止まります。呼吸はままならず、顔は恐怖で硬直していました。その瞬間、急に加奈さんの手が誰かに引っ張られます。


『ほら、補修の時間だよ。誰のお陰で生き延びられてると思ってんだ?』


『いや! 離して!』


 加奈さんは必死に手を振りほどき、その場に転がります。


『全く……帰ってこない母親、家族を捨てた父親、どっちも金を払わずに学校に送り込みやがる。そんなお前を誰が助けてやってると思ってる?』


 その声の主は姿が歪んていて見えません。声だけが、若い男性であるということしか分かりません。


『なぁ、簡単な代価だよな? 金がねぇなら身体で稼ぐしか無いよなぁ? 誰もお前の心配なんてしないしなぁ?』


 男性の顔が加奈さんの顔に近付き加奈さんの腕を掴みます。


『あぁ加奈。お前は綺麗だ。勉強だけじゃない、次の補修を始めようか』


『離して!』


 その瞬間、加奈さんはカバンに入れていた彫刻刀で先生の腕を切りつけます。脈が通っている方とは反対の側面。それでも血は溢れ、男性は腕を押さえて叫びます。


『ぐぁぁぁぁぁ!!』


 加奈さんは急いで立ち上がって廊下の方に向かいます。廊下の奥の方まで向かい、中庭と思われる場所に繋がる扉を加奈さんは開きます。草が生い茂った中庭。恐らくあまり手入れされていない場所なのでしょう。加奈さんはそこで草陰に隠れます。


『加奈ぁぁ! どこにいるんだぁ?』


 加奈さんは口で手を押さえて、じっと草陰に隠れています。徐々に近付いてくる先生の姿。加奈さんはゆっくりと動き出し、先ほど中庭に出た時と同じ扉の方へと向かっていきます。


 もうすぐで辿り着くその時――。


『おい加奈ぁ、どこに行く?』


 加奈さんの肩が強い力で捕まります。加奈さんを自分の正面に向けて顔を覗き込むように顔を近付ける男性。加奈さんは持っていた彫刻刀で抵抗しようとしますが、男性の強い力で振りほどかれてしまいます。そして落とした彫刻刀を男性は拾い上げ――。


『うっ!』


 加奈さんの胸に突き刺しました。それは一度ではありません。何度も、何度も。同じ場所に何度も突き刺します。そして彫刻刀が刺さったまま、加奈さんはその場に倒れ込みます。


『加奈ぁ、残念だよ』


 加奈さんは口をパクパクとさせながら虚ろな瞳で男性を見つめ続けます。そしてその瞳からは徐々に力が抜けていき、やがてハイライトが無くなっていきました。パクパクしていた口は動きを止め、身体全体が硬直してるようでした。


 わたしが瞬きをした瞬間、その場から全てが消えていました。加奈さんも、加奈さんを襲った男性も。全てが夢で、初めから何も無かったかのように消え去っていました。


 心臓の鼓動が聞こえていた女子生徒の正体は30年前にこの学校で殺された加奈さんだった。加奈さんは誰も居ないこの夜の学校でとある男性に殺された。そしてその男性は今もこの領域で当時と同じように存在していた。加奈さんの記憶を再現して。つまりこの空間は“加奈さん”の記憶で作られた空間。この空間から抜け出すには加奈さんを見つけて祓うしかない。


『お願い、見つけて』


 背後からか細い声が聞こえました。わたしが振り返るとそこには胸に彫刻刀が突き刺さった加奈さんが立っていました。


「ここで、あなたが殺されてしまったんですね」


『お願い、見つけて。寒い、苦しい。もう、終わらせたい』


 加奈さんは足元を指さします。


 わたしは加奈さんの足元に駆け寄ります。そして加奈さんが指さしていた場所を近くにあったスコップで掘っていきます。ずっと奥の方まで掘り進めて行きます。掘り進めていった時――。


 ――ドク……ドク……。


 あの音が聞こえてきました。そして手を止めたわたしの目の前には、想像だにしていなかったものがありました。


 その土の中には殆ど何もありませんでした。ある一つを除いて。それは彫刻刀が突き刺さった心臓。それはまだ鼓動しているようでした。真っ黒な気をまとわりつかせ、ドクドクと大きな音を立てて未だに鼓動し続けているのです。


 わたしがその心臓に触れた時でした。


『私はもっと生きたかった。友達と一緒に暮らしたかった。好きな人ができて、子供を作って、一緒に育てたかった。今度は楽しい生活を送りたかった。ここは寒い、寂しい、苦しい。まだわたしは、生きたい』


 そんな言葉が加奈さんの声でわたしの頭の中に語り掛けてきました。


 祓えばあの世に送って楽にしてあげることもできるでしょう。でも、加奈さんはまだ生きることを望んでいます。その渇望がこの心臓を未だに動かしています。加奈さんは長い年月の中で憎しみに溺れてしまっただけなのです。


 もし、その悪い気だけを祓うことができたら?

 もし、成仏させる以外の選択肢があるなら?

 幽霊さんみたいに、幽霊として一時的に生きる選択があるなら?


「加奈さんは、生きたいですか?」


 その瞬間、心臓を覆っていた悪い気が少しだけ晴れて強く鼓動しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る