1-7.生

「もう……死んでいる……? な、なんのことですか?」


 幽霊さんはわたしにそう告げました。なんのことなのかさっぱり分かりません。わたしがもう死んでいるのでしょうか。だとしたら、今のわたしはいったい何なのでしょうか。


「知りたいのなら、その部屋に入ってみなさい」


「で、でも……その部屋は……」


 わたしの身体が震えます。そこはお母さんの部屋。入ってはいけない部屋。もし入ったら、わたしはお母さんの気が済むまで痛めつけられます。


「大丈夫」


 幽霊さんは震えるわたしの身体に手を当てます。温かい。幽霊さんなのに、温かくて不思議と落ち着いてきます。


「大丈夫。私が一緒に行ってあげるから」


 わたしは幽霊さんと手を繋いで、ゆっくりと立ち上がります。震える足を何とか動かしてゆっくり、ゆっくりとあの部屋に近づいていきます。扉は開いていました。きっと二人が開けたのでしょう。そして、わたしは部屋の中を覗きました。


「……いや……嘘……いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 わたしは頭を抱えてその場に座り込みます。部屋の奥では……お母さんが首を吊って死んでいました。ハエが体中を飛び回り、もう死んでから大分時間が経っているようでした。


「はぁはぁはぁ……うそ……こんなの嘘です……だって、さっきまで……うそ……なんで……いやぁ……」


「嘘じゃないわ、現実よ」


 幽霊さんはわたしの背中を優しく撫でてくれています。そのお陰か、徐々に記憶が蘇ってきます。


 あれはいつもと変わらない朝でした。お母さんと出会わないように暮らして暫く経った頃、徐々に家の中に変な臭いがし始めました。それはゴミの臭いとも違う、これまで嗅いだことの無い臭い。


 臭いの発生源を特定することは難しくなかったです。臭いはお母さんの部屋からしていました。わたしはお母さんの部屋をこっそりと覗き込みました。そしてそこに広がっていた光景は、さっき見たものと同じでした。お母さんが首を吊り、ハエが体中を飛び回っていて、一生忘れることのできない光景のはずでした。


 お母さんの足元には手紙が置いてありました。


『このクソみたいな人生へ。

 あたしの人生はアイツと出会ったことが間違いだった。あんないかにも怪しそうな男。ちょっと金が取れれば良かったのに、子供まで作っちまって、仕舞いにはおろすなの一点張り。流派やら何やら知らねぇけど、あたしの人生は狂わされた。

 だから、アイツが死んだ時は清々した。特に、死んだ顔を灰皿にするのは過去経験したことが無いくらい気持ちがよかった。けどアイツの娘。アイツも父親と同じように化け物だった。

 蛙の子は蛙。あんな化け物早く死んじまえばよかったのに。だからさっさと別の男を見つけてこの家から出ていきたかったのに、あの男は逆にあたしの金を奪って逃げやがった。

 それもこれも全部アイツのせいだ。アイツのせいで人生が狂わされた。アイツの子も早く死んじまえ。死んでずっと苦しみやがれ。』


「随分と勝手なこと」


 幽霊さんは冷たい目つきでお母さんの死体を見つめていました。


「それから、わたしは見たもの全てを見なかったことにして、これまでと同じ暮らしをするようにしました。でも、そんな生活を続けているうちに、いつの間にかお母さんもそこに居るようになったんです」


「初めてキミに会った時から変な気を纏ってると思ってたけど……そういうことね」


「でも、わたしはもう疲れたんです。毎日ご飯を食べることすらままならなくて、食べ物をこっそり盗んではお腹をほんの少し満たす毎日。ずっと苦しんで生きるなら、もういっそのこと終わらせてしまいたかったんです。でも、一人で死ぬのは怖いから、幽霊さんが居る場所で一緒に死ねば、それで……」


 わたしは涙を流しながら幽霊さんに抱き着き、幽霊さんにお願いしました。


「お願いです。わたしを殺してください!」


「キミねぇ……」


「お願いです。もうこんな生活、耐えられないんです。お願いです、どうか……」


 ――パン!!


 物凄い衝撃が頬っぺたに走りました。ジンジンと痛みを感じます。見ると、あの宿のおじさんがわたしの頬っぺたを叩いたようでした。


「簡単に死にたいとか言うんじゃねぇ。楽ってのは最期まで生き抜いたヤツの特権だ。何度も足掻いて足掻いて生きるしかねぇんだよ」


「でも! わたしの家はここです! わたしはここに帰ってこなきゃいけない! ただ傷つけられる為に帰ることに、なんの意味があるんですか!」


「家は場所じゃないわ」


 幽霊さんはわたしの目をじっと見つめて話を続けます。


「キミが帰ってきたいと思った場所が家。キミが居たいと思って安心できる場所が家。だから、ここはあなたの家じゃない。それに――」


 幽霊さんはわたしの頭を撫でます。


「幽霊も、結構不便よ? 肝試しで来るヤツのせいでプライベートもあったもんじゃないし、食べ物を見ると食べたくなるし、幸せそうなヤツを見ると『とり憑いてやる!』って思うこともあるわよ?」


 幽霊さんは困ったようににっこりとわたしに微笑みかけます。


「痛みも、悲しみも、生きるってことの楽しさも、誰かと会話するってことも、生きる人だけの特権なの。それを奪うようなことは、私には出来ないわ」


「家は施設だってある。養子になることもできる。親に付き添う必要は無い。子供が自分で道を選んでも良いんだ」


 二人がわたしの事を抱きしめてくれます。もう、何年も味わっていなかった温かみ。お父さんに抱きしめられた時の温かみ。


「……ほんと、幽霊さんいくつなんですか……」


「少なくとも、おじさんの俺より年上のおばさんだな」


「アンタ、後で覚えときなさいよ」


「……ふふ……」


 思わず、わたしは笑ってしまいました。

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