第15話


 俺の平凡な日常に「美少女との下校」という平凡とはまるで程遠い一項目が追加されてから早や二週間が過ぎようとしていた。


 今日はバイトが休み。

 そして兄貴も不在。 

 

 そんな折、自宅のチャイムが鳴る。


 ネットで買い物をした記憶はない。

 そうなれば我が家に来る物好きなど限られるわけで。


 モニターに目を移すと大方の予想通りというべきか。


 画面に映るのはつい二時間ほど前にマンションのエレベーターで別れたばかりの美少女である。


 たしか帰りがけのスーパーで今日は麻婆茄子を作るとか言ってたっけ。

 ふとそんなことを思い出す。


 にしても、こうやってこいつが来るのもいったいもう何度目になるんだろ。

 モニター越し、「ちょっと待ってて」とひと声掛けると俺は足早に廊下を歩き玄関の鍵を開けた。


「よぉ」


 ひょいと手を挙げた俺に、永瀬は手に持つ紙袋を胸の高さまで掲げて応える。


 さっきの制服姿から一転、永瀬は膝下丈のデニムスカートに白地のロゴTとある意味部屋着としても通用しそうなほどシンプルな装い。

 なのにこいつが着るとなぜかモデルのように見えてしまうのだから不思議で仕方ない。


 加えて今日は珍しく髪をサイドにまとめているためか、普段より大人っぽく映った。


「とりあえず上がれよ」


 一人で来た女子によくもまあサラリと。


 俺も遂にモテ男子の仲間入りか。

 などとのたまってみたいところだけど、現実はただ餌付けされた男の末路に過ぎないのである。

 だってこいつの手料理マジで旨いんだもん。


 リビングに入ると永瀬が一言。


「ふうん。今日はお兄さんいないんだ」


 白々しい。


 絶対にこいつはもう分かってるはずだ。

 兄貴がいない曜日も。時間帯も。


「コーヒーでいいか?」


 いつも通り声を掛けると、一つ頷きを挟みいつも通り迷いなくテーブル定位置に腰掛ける永瀬。

 いつか本当にこいつの定位置になってそうだから恐いまである。


 シロップが三個。あとミルクが二個だったよな。

 残念ながらミルク感増し増しの超甘め仕様すらももはや把握済みだ。


「ありがとう」


 そう言って両手でそっとグラスを持ち上げると、永瀬は柔らかそうな桜色の唇をすぼめ、ちゅっとストローをすすり始める。


 そんな彼女をぼんやりと眺めながら、



——「本気よ、私」



 ふとこの前永瀬から言われた言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 絶対にすぐ飽きられるって。

 そう思ってたのに……。


 それどころか更に会う頻度が上がってるくらいなんだけど。

 

 ただ、正直こいつと一緒にいる時は玲奈さんのことを一時的にでも忘れられるというか。

 そのことに対しては少しばかり感謝の気持ちもあった。

 

 と、永瀬がなにやら話しかけてきていることに気付き顔を上げる。


「悪い。なんか言った?」


「もう、どうしたのよ。ぼーっとして」


「いや、ちょっと考えごとっつうか……。で、なに?」


「だから、アドレス。そろそろ交換しない? って。そう言ったの」


「あぁ……アドレス、ね」


 曖昧な返事が零れる。


 別に永瀬と連絡先を交換したくないとか、そういうわけじゃない。

 

 でも、玲奈さんとの一件ことがあってからまだそれほど日が経ってない中、正直そういう気分にはなれないっつうか。


「ごめん、永瀬。俺……」


 たかがアドレスの一つや二つくらい。

 陽キャからすればなんでもないことなんだろうけど……。


 濁す俺に向け、永瀬はふぅと小さな溜息を吐き出す。


「いいの。私の方がごめん。またいつか田中君の気が乗ったら教えて。それまで待つから」


 そう言ってくれた時の、彼女の優し気な表情かおがとても印象的だった。




 マジで昨日の茄子も絶品だったんだけど。

 あいつ将来料理人になった方がいいと思う。


 翌日の昼休み。

 昨日の礼でも言おうと校舎裏を覗きに行ったところ、珍しく永瀬の姿がなかった。

 

 その代わり彼女がいつも座ってる辺りに見慣れた柄の弁当ポーチがぽつんと置かれていることに気付く。


 あれって。あいつの、だよな。

 

 少しくらい席を外す理由なんていくらでもあるけど。

 そんなことを考えつつ近くまで歩み寄る。


 すると校舎奥の角を曲がった方からだろうか。

 微かに誰かの話し声が聞こえ、シチュエーション的にピンとくる。


 あいつ、告白されてるんだ。


 まああれだけ見てくれがいいんだし、別に不思議なことじゃない。

 ま、なんにせよ俺の出る幕じゃないな。

 

 そう思い引き返そうとしたところ今度は怒声のような声が聞こえ?

 俺はピタと脚を止めた。

 

 妙な胸騒ぎがしつつ、こそっと角から覗いてみることに。


 するとそこには悪目立ちしそうな茶髪の男子生徒と対峙する永瀬の姿があった。


 明らかに様子がおかしい。

 聞き耳を立ててみると、どうやら告白をあっさり断られたことに腹を立てた男子生徒が逆上しているらしい。


「謝れよ」


「なんで私が。それよりお昼がまだなの。もう行っていい?」


 相手にしていられないとばかり、歩き始めようとする永瀬。

 すると男子生徒が彼女の細い腕を勢いよく掴んだ。


「なにするのよ。離して」


 きっぱりと言い捨てるように永瀬が掴まれた腕を振りほどこうとするも男子生徒はその手を離そうとしない。


 ボッチがボッチでいられるような場所だ。

 残念ながらまるで人気ひとけが見当たらない。


 まずいんじゃないのか? 

 ひとまず先生を呼びに行くか。でも今にも何かが起こりそうだ。


 つうか永瀬も永瀬だ。

 あんな頭の悪そうな奴に真っ向から対峙するなんてバカかよ。


「ちょっとつらがいいからって調子に乗りやがって」


「だから。調子になんて乗ってないわよ。ちょっ」


 そうこうしている内に永瀬が壁に押し込まれてしまう。


「ほら、早く言えよ。すみませんでしたって」


 両手を壁につけ、覆いかぶさるように彼女を見下ろす男子生徒。

 一方の永瀬はもう何を言っても無駄だと、まるで諦めたかのように男子生徒を睨みつけるばかり。


 でも、よくよく見るとその手は小刻みに震えていた。


 そりゃそうだ。恐くないわけがない。

 強がってはいても暴力に訴えられたら勝ち目などないのだ。


 くそっ……。


 俺なんかが出て行ったところで何の役に立つんだよ。


 そんなこと自分が一番よく分かってるのに。


 なのに、


 気付いた時にはもう俺は飛び出してしまっていた。



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