第16話


「なにやってんだよ!!」


 急に声を挙げ飛び出した俺に吸い寄せられる二つの視線。

 その内の一つ、壁に押し込められた永瀬の顔には驚きと共に不安が透けて見えた。


「田中君、どうして……」


 口にしなくても分かる。

 見るからに素行の悪そうな茶髪男子そいつと俺じゃ、どっちが非力かなんて比べるまでもない。


 でもだからこそ俺は彼女を安心させるべくもう大丈夫だと。

 そんな意味を込め一つ頷いてみせた。

 

 もちろん荒事あらごとになれば勝ち目なんて無い。

 そんなこと、誰よりも俺自身が一番よく分かってる。


 けど……。

 無策で出てきたとはいえ、俺だってただで転ぶつもりはない。

 最善はあいつをこの場から立去らせること。

 最低でもなんとか永瀬から引き離すことができれば。


 男子生徒は壁にグイっと両手を押し込む反動で永瀬から軽やかに身体を離すと俺に向き直る。

 始めこそ驚きに満ちていたその表情かおも残念ながら今はもう苛立ちに染まっていた。


「なんだお前?」


 俺と永瀬を交互に見遣ると、眉をひそめ俺が何者なのか見定めようとする。

 

 正直恐い。

 でも、すくむなあしっ。


 もしビビってるのがバレたら最後。

 こういうたぐいの奴は絶対調子に乗るに決まってる。


 俺はえて余裕の表情を見せる。

 それくらいモブにだって出来るだろ? そう強く自分に言い聞かせながら。


「お前さ。女子に暴力なんか振るってただで済むと思ってんの? 最低でも停学、下手すりゃ退学になるんだぞ?」


 だから早くどっかに行け。

 そんな願いを胸に。だけど強気に警告する。


 でも残念ながら世の中は思い通りにかぬもの。

 特に最近の俺はその傾向が顕著らしい。


 直後、茶髪男子の表情が変わった。

 ギリっと奥歯を軋ませながら、ギロリと俺を睨みつけてくる。


「弱そうな癖にヒーローづらしやがって」


 そう言うと茶髪男子は苛立ちを隠そうともせず俺に向け一歩踏み出した。


 その背後で永瀬が俺に訴えかけてくる。


「私のことはいいから逃げてっ。このままじゃ田中君が!」


 心配してくれてるとこ悪いけど。

 俺は首を横に振ってそれに応えた。


 いいんだ。

 というか、殴られるならお前より俺の方がいいに決まってるし。


 それにそもそも何もせずに殴られてやるつもりもないから。


「お怒りのとこ悪いけどさ。俺みたいなひょろいのがノコノコ一人で出てきたと思ってんの?」


 自虐的な言葉を並べながら俺は視線を校舎上に投げ、いるはずのない仲間の存在をちらつかせる。

 

 そう、いるはずなんてない。

 だって俺ボッチだし。


 でもお前には分かんないだろ? 

 さあ、どう出る?

 

 ある種祈りに似た思いを胸に男子生徒を見遣みやる。

 すると茶髪男子はなぜかその顔を恐怖に滲ませた。


 って、恐怖?! 

 なんで?!??


 よく分からないがジリジリと後ずさる男子生徒。

 一方の俺は目をぱちくりとさせるばかり。


 と、そうこうしている内になぜか茶髪男子は尻もちでもつきそうな勢いで後ろ向きに駆け出してしまったんだけど?


「くそがっ。次会ったらただじゃおかねえからなっ」


 しかも俺と同じモブキャラらしく。

 そんなありふれた捨て台詞を残して。


 なんだったんだ今の。

 遠ざかる背中を眺めつつはてと首を傾げていると、永瀬が「た、田中君……」と俺の背後に向けなにやら指差していることに気付いた。


「え、なに?」


 普段冷静な彼女のそのいつもよりオーバーなリアクションに目をしばたかせる。

 えっ。まさか後ろに熊でもいる、とか?!

 

 まさか。

 そんな面持ちで恐る恐る振り返る。

 

 するそこにはなんと……。

 190センチを超えるであろう熊ならぬ角刈りの筋肉かいが俺を見下ろしていた。


 直後、俺は逆光に目を細めながら「うぉぉおおっ?!」と数歩後ずさる。


 心臓が止まるかと思ったんだけど!!??

 一瞬そう思うも、でも目を凝らしすぐにそれが誰だか分かった。


大樹たいじゅ……」


 そう。そこに立っていたのは俺の幼馴染、嶋村大樹しまむらたいじゅだったのだ。

 (※第9話参照)


「よう。タクゥ、久しぶりやなぁ」


 相変わらずの沈みこむような低音のドス効きボイス。

 しかも微妙に俺の知る関西弁とは異なる耳障りの悪いイントネーションも健在だ。


 頭上からニヒッと口許を緩めひょいと手を挙げてくる幼馴染に「お、おう……久し、ぶり?」と未だ纏まらない頭でひょいと手を挙げ返す俺。


 そうこうしている内に永瀬が駆け寄ってくる。

 当然その表情かおは驚きと畏怖に満ちていた。


「もしかして。田中君が一人じゃないって言ってたのは彼がいた、から?」


「え。いや……」


 そうじゃないんだけど。

 結果的にはそうだった、みたい?


 その後話を聞くとどうやら大樹は二階の空き教室にいたようで。騒がしい声に眠りを覚まされたことへ文句の一つでも言おうと降りて来たらしい。

 そもそもこんなとこで寝てるお前もお前じゃ?


「ほんならなんでかタクゥもおってびっくりしたわ」


 そういうことだったのか。

 全然びっくりしてるように見えないけどな。

 

「まっ、そういうことや。ほなそろそろ戻るわ。そっちの子も、こいつにあんじょう礼言うとかなアカンで?」


 ぐるりと大きな身を翻すと背中越しにひらひらと手を振る大樹たいじゅ


 その時、ふと奇怪なほどに長く伸びた大樹の人差し指と薬指の爪が目に入り、またトゥーチューブで訳の分からない動画でも公開アップしてるんだろうことが窺い知れた。

 確か2ヵ月前はチャンネル登録者数二桁だったか。頑張っててすごいなっ。


 そんな大樹の背中を眺めながら、


 永瀬と俺は目を合わせると、クスっと笑い合った。

  







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