第14話
こちらに歩を進めながら胸の前でひらひらと小さく手を振ってくる井川。
涼やかで柔らかな雰囲気を纏うその立ち姿はまさに清純派ヒロインそのものだ。
「頑張ってるね、田中くん」
「いらっしゃいませ。何か探しもの?」
と、言ってももう閉店なんだけど。
こんな時間に立ち寄ってくれるなんて珍しい。
「ううん、ごめん。今日はお婆ちゃんのお見舞い帰りに寄っただけなんだ」
店先に立つ
「拓海君、もう時間だしそろそろあがりなよ~」
井川を見て気でも遣ってくれたんだろう。由紀さんがにやにやと声を掛けてくる。
いや、別にプライベートで話す事なんてないんで大丈夫です。
井川も通りがてら声掛けてくれただけだし。
「じゃあな、井川。気をつけて帰れよ」
ひと声掛けてバックヤードに戻ろうとした俺を、意外にも井川が呼び止めてきた。
「あのっ、田中くん。この後ちょっとだけ時間もらえないかな?」
「へ? なんで?」
あまりにも予想外な展開に素っ頓狂な声を上げてしまう。
井川が俺なんかに話したい事ってなんだろ。
「まあ。少しなら時間あるけど……」
そう答えると彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
バックヤードで着替え、由紀さんに手早く挨拶を済ませた俺は足早に井川と合流する。
「とりあえずマッケでも行く?」
どんな要件かも分からないし晩飯も家にあるしで、無難にすぐ傍のファストフード店を提案すると井川はこくりと頷いてくれた。
目の前で音も無くストローを
やっぱ抜群に可愛いよなぁ。
そもそも店以外で井川と話すなんて初めてだしちょっと緊張しちゃう。
「今日お婆さんのお見舞いだったんだよな。具合はどうなの?」
「うーん。あんまり良くはないんだけどね」
初めて井川がうちの店に来た時からお婆さんの容体はあまりよく無さそうだったもんな。
となればなかなか厳しい状況なんだろうか。
「そっか。良くなるといいな」
誰でも言えるような単純明快な言葉しか絞り出せない低言語スペックの自分が恨めしい。
「あの……あのね。田中くん」
井川は小さな口をすぼめ、すうっと少し息を吸い込む。
「今日昇降口で会った子って」
「え?」
「あの、だから。教室にも来てた子なんでしょ? 田中くんに会いに」
もちろん永瀬のことなんだろうけど。
なんで急に、しかも井川がそんな事を聞いてくるんだ?
「まあ、うん。そうだけど」
「やっぱりそう、なんだ。ちなみに田中くんは知り合いなんだよね? あの子と……」
永瀬に何か用事でもあるのかな。
取り次いでくれとか言われたら面倒だなぁ。
「まあ、知り合いっちゃ知り合いだけど。俺もこの前会ったばっかりだからさ。知らないよりは知ってるってくらいだし」
「あっ、そうなんだ!」
井川の顔がぱあっと明るくなった。
あれ? なんで嬉しそうな顔するんだろ。
「でもなんで急にそんなこと聞いてくるんだよ」
「え。なんでって……分かんないよ。でも気になっちゃったから」
なぜか上目遣いでちらっと俺の様子を窺ってくる井川。
なにこの美少女っ。
ナチュラルにそういう思わせぶりなことしてくるのほんとやめて欲しい。
俺じゃなかったら絶対勘違いしてると思うよ。逆に勘違いしたいくらいだし。
「ところで永瀬って有名なのか?」
「うーん。私はよく知らないんだ。でもすごく可愛い転校生だって皆が言ってた」
まあ見てくれだけだったら確かに相当レベルが高いもんな。
あとはあの孤高感と癖ツヨがどっちに転ぶかってとこか。
「で、井川が俺に話したい事って? 何か用事あるんだろ?」
「えっ。今のが話したかった事だけど」
井川はくりっとした大きな目を見開いてぱちくりとさせる。
今のが話したかった、こと?
「え。ごめんちょっとよくわかんない。なんで井川がそんな事聞いてくるんだよ」
「だ、だからさっきも言ったじゃない。気になっちゃったって」
なぜかちょっと怒り気味にそう言うと井川は俯いてしまった。
それって俺の事が気になったの?
永瀬の事が気になったの?
当然そんな事を聞く勇気は無く。結局、話はそのまま終わってしまった。
もしかして井川って俺の事好きだったりして……。
って、そんなことあるわけ……ないよな?
井川と別れた後、すっかり暗くなってしまった夜道を歩く。
ちらりとスマホを覗くともう21時前だ。
相変わらずというか、やっぱりというべきか。
玲奈さんからの連絡は無い。
あ~あっ。
本当にこのまま終わるしかないのかぁ……。
ふと見上げると、電柱の防犯灯に集まるユスリカや蛾が自分に重なって見えた。
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