第4話
俺は彼女のリアクションなど気にせず、立ち去る事にした。
「だから、お構いなく。じゃあ」
今はどうしても独りでいたい気分なんだよ。
言うと同時に、俺は両手で地面を勢いよく押し、反動で立ち上がる。
その時ズキッと足首に大きな痛みを覚えた。さっきの転倒で捻挫をしてしまったみたいだ。
くそっ、ほんといつもカッコ悪いな俺は! こんな時くらいせめて綺麗に去らせてくれよ!
「大丈夫ですか!」
彼女はよろめいた俺に素早く駆け寄ると、腕を取り自分の肩に掛けた。
なぜ、この子は俺のような陰キャに優しくしてくれるのだろうか。いや、陰キャは余計か。
ただ、冷静に考えておせっかいが過ぎると思った。
「くろ」
俺を抱きかかえる彼女の無防備な胸元から、レース柄のブラジャーが見えてしまった。もちろん意図せずに見えたんだ。口に出すつもりもなかった。
E、いや、Fカップ辺りだろうか。
「ちょ、見ないでください! 信じられない!」
彼女はバッと左手で胸を押さえた。また顔を赤らめている。
羞恥心が強い割に服装が無防備過ぎやしないだろうか。
見えるような服を着てる方が悪いと思いたかった。
「ごめん! わざと見たわけじゃないから」
「だから分かってますってば!! もうっ」
怒ってる顔も可愛い。睫毛長いなぁ。
いや、違うっ。今はそんな気分じゃないんだよっ。
「あの、ほんとに一人で歩けますから」
「え。でも。足、すごく痛そうだし……」
「たぶん片足でジャンプすれば、移動くらいできると思います」
その時、先ほど玲奈さんの部屋で見た光景がフラッシュバックする。
なんだよ! 記憶の癖に生々し過ぎるだろ!
俺は考えるより先に、彼女の腕を振りほどき片足でジャンプしていた。
だけど捻挫していない方の脚も疲労のためかあまり力が入らず、体勢がガクっと崩れてしまう。
本日二度目の転倒を覚悟した時、また彼女は倒れそうになる俺を支えてくれた。
あっブラジャー。は、見えなかった。今度はちゃんと胸元を押さえている。
一応露出癖の線は消しても良さそうだ。
「無理しないでください。とりあえず、すぐそこのベンチに座りましょ」
なぜだかは分からない。だけど、彼女はどうしても俺を助けたいようだ。
確かに右足が一瞬地面に触れるだけで痛いし、左足にもあまり力が入らない。
本当に心から本意では無いけれど、今回ばかりは助けてもらった方が良さそうだと判断した。
「あの、もうちょっと奥のベンチに行ってもいいですか?」
一メートルでもこのマンションから離れたかった俺は、二百メートルほど先の公園を指さす。
すると、明らかに彼女の眉尻がピクピクッと引き攣ったのが分かった。
本当に申し訳ないけど、少しでも遠くに行きたいんだ。ごめん。
△▼
数分後、何とか公園のベンチまで到着した俺たちは、肩でぜーはーと息を切らしていた。
まだ夏前だというのに、彼女も俺も結構な汗をかいてしまっている。
「親切にしてくれて、ふぅ、どうもありがとうございました」
俺はベンチからチェック地のハンカチで汗を拭う彼女を見上げ、息を切らしながらぺこりとお辞儀をする。
「いえ、いいんです。はぁ。私が、ふぅ。好きで、やったことですから」
彼女は息を整えるようにふうっと息を吐くと、にこっと笑った。
こんな状況でさえ無かったら、すごく素敵な笑顔だと感じられたんだろうな。
でも……好きでやったことなんて……。
余程のお人好しなのだろうか。
もちろん感謝の気持ちはある。だけど、どうしてもそれ以上に不信感が勝ってしまう。疑い深いのは確かに俺の悪い癖だけど。
「あの、なぜ俺なんかのためにここまで親切にしてくれるんですか」
「え。だからさっきも言いましたけど、ただの親切心ですって」
彼女はこめかみの辺りを人差し指でぽりぽりと掻き、苦笑いをする。
「でも……。こんなこと言うの失礼かもだけど、あまりにもタイミングが良過ぎた気がして」
「そ、そんなことないですよ! 偶然通り掛かったらアナタが急に倒れたからびっくりして」
俺が飛び出したタイミングでちょうどあの道を通り掛かった?
にわかには信じられなかった。
「通り掛かったということは、ご自宅はこの辺りなんですか? それとも何か用事が?」
「そんなの! 個人情報ですよ。言いません」
彼女は頬を膨らまし、ぷいと横を向いてしまった。
なんだろう。彼女の表情や言葉の節々からどうしても違和感が拭いきれない。
もちろん考え過ぎの可能性もあるけれど。
彼女がこの場を立ち去らないのも気になった要因の一つだ。
もう当分の間、俺はベンチから離れられないし、普通は少しやり取りをしたら立ち去ると思うんだけどな……。
その時、俺は気付く。
あっ、お礼か。お礼を求めてるんだ。
おもむろにポケットから財布を取り出して中身を見る。五千円札が二枚と千円が一枚。
一万円は俺にとっても死活問題だ。正直千円でも多いと思うけど仕方無い、五千円を渡しておこうか。
「あの、これお礼……。受け取ってください」
お札の皺をピンと指で伸ばしてから彼女に手渡そうとする。
「え、そういうつもりで助けた訳じゃ。あの、失礼かもしれませんけど、そういうのやめた方がいいですよ! なんだか人の親切に打算があると思い込んでるみたいですけど」
打算、無いのか。じゃあ、
「じゃあ、なんで。なんで、まだここにいるんだよ。もうこれ以上俺に関わる理由なんて、無いと思うんだけど。さっさとどっか行ってくださいよ」
俺はわざと冷たく言い放った。普段だったらこんな酷い言い方はしなかったはずだ。
でも俺は完全に疲弊してしまっていて、今は心から一人になりたかった。
だから近寄ってきた彼女を遠ざけたくて意識的に酷い言葉を選んでしまったのだと思う。
「そんな言い方しなくたって。ひどい……」
彼女はそう言うと口をきゅっと結び、俯いてしまった。
明らかに言い過ぎた。もしかしたら泣かせてしまったかもしれない。
フラれた挙句、親切にしてくれた女の子に厳しい言葉を浴びせて泣かせるなんて。
最低だよ……俺は。
こんなだからフラれるんだ。
そう自省の念で頭を抱えていたのに。
彼女は両手を握りしめ、俺の頭上から到底信じられるはずの無い、衝撃的な言葉を告げてきたんだ。
「私は……」
「私は、あなたに一目惚れしたんです! だから助けたんです!」
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