第2話



「一緒に見てくれてありがとうね」


「いえ、こちらこそありがとうございました。絵、すごく新鮮でした」


「そう言ってもらえて良かったよ。もし出口に向かうならあっちね。遠くに見える噴水が目印。分かる?」


 私は出口の方向を指差した。

 拓海君はそちらに視線を移し、位置を確認するとこくりと頷く。


「分かりました。あの、じゃあ……」


 そう言うと彼はくるりと背を向けた。

 でもその後、ピタリと立ち止まり動かなくなってしまう。


「どうしたの? 拓海君」


 心配になり背中越しに声を掛けてみる。

 すると拓海君はこちらに振り向き、俯き加減に言葉を発した。


「あのっ! あの……」


 懸命に何かを伝えようとしている。


「ど、どうしたの?」


「あのっ。また会えません、か」


「え」

 

 言葉の意味が理解出来なくて、目をぱちくりとする。


「会うって私と? ってことよね」


「はい……。俺、玲奈さんと、また会いたい、です……」


 拓海君は俯き加減にちらとこちらを見る。


 その姿は少し頼り無くて、でも真剣で……。

 なぜか分からないけど愛おしく映った。


 だから、


「うん、いいよ。じゃあさ、今からご飯付き合ってくれない? 私お腹空いちゃったの」


 気付かれてないだけで、さっきからお腹はぐるぐるなり続けているのだ。


 彼とどうなりたいとかは全く頭に無くて、感情のまま言葉を放り投げていた。



    *



 その後私達は連絡先を交換し、2週間に1度は会うようになった。


 拓海君はいつも嬉しそうに自分の話をし、チャットでも時々自炊の写真やレシピを送ってくれた。

 逆に私の話はほとんど聞いてくれなかったものの、彼と会う時に優しい気持ちになれる自分は嫌いじゃ無かった。


 世話の焼ける弟のような感覚だったのかもしれない。

 

 コンクールの準備で忙しい時期があり一カ月半ほど会えない時期を含め、出会って3ヶ月程が経った頃に拓海君から付き合って欲しいと言われた。

 

 正直、すごく迷った。

 好きだとは思うけどこの感情が何なのかよく分からなかったからだ。


 だけど、このまま拓海君を失うのも嫌だなと思い、OKすることにした。 

 今思えば、こんな中途半端な気持ちで付き合ったこと自体が問題だったのだろうと思う。


 付き合って間もなく私たちは結ばれることになる。

 そして結ばれた後、彼はより貪欲に私を求めるようになってしまった気がする。


 会う日も増え、時々だったチャットがより頻繁になった。

 彼からすれば沢山の想い。

 私からすれば無数の情報がチャットを埋め尽くす。


 正直電話やチャットがあまり好きでは無い私は、極力シンプルに、でもしっかりと彼の気持ちを汲んであげたいと返信に苦心した。


 そして、そんな日々が続くにつれ、私の中に封じ込めていた違和感が溢れ出し、徐々に畏怖の念すら抱き始めることになる。

 

 彼は私に何を求めているのだろうか。と。

 好きなのは私じゃなくて、自分を受け止めてくれる誰かなのではないかと。


 付き合って2週間が過ぎた頃だろうか、拓海君に母親がいないことを知った。

 その時、違和感の正体に気付いた気がした。

 

 もしかしたら拓海君は私に見たことの無いお母さんを重ねているんじゃないだろうか。 

 そう考えると私は怖くなってしまった。


 それは同時にを理解したからでもあった。 

 私は彼に母性を注ぐ事で快感を覚えていたのだと気付いたのだ。

 それは結局彼を好きなのでは無く、自分に酔ってるだけじゃないのか。


 それに気付いてからは好きかどうかすら分からなくなり、加速度的に息苦しさに支配されてゆくことになる。


 別れを切り出そうとしたこともあった。

 だけど……。


 純粋な拓海君が立ち直れなくなってしまうのではないかと、そう考えると、どうしても別れを切り出す事が出来なかった。

 今思えば私はただ自分が傷つくのが怖かっただけなのだと思う。


 その後も彼の私への依存心は弱まる事は無く、見えない責任感に勝手に押しつぶされるようになってゆく。

 送られてくるメッセージが恐くなるほどに。


 付き合って1カ月半が過ぎた頃、友達の直紀に相談に乗ってもらう様になった。


 直紀はいつも真剣に話を聞いてくれて、その時だけは気持ちに安らぎが訪れるような気がした。


 直紀とは同じ大学だったこともあり、拓海君よりもずっと頻繁に会った。

 そんな日々が続き、直紀に恋してしまっている自分に気付く。


 何をやってるんだろうか。

 何がしたいんだろうか。

 なんてひどい女なのだろうか。


 そんな自分に嫌悪感を覚え、最終的には直紀すらも避ける様になった。

 会いたいけど会ってはいけないような気がしたから。


 私は論理的に考えるのが苦手で、いつだってすぐに答えに辿り着けない。

 なんとなく動いて今まで生きてきた。

 部屋に閉じこもる時間が増え、考えても結局答えが出なくてどんどん袋小路になっていった。


 そんな折、心配して部屋を訪れてくれた直紀は、玄関で私を抱きしめた。

 私は拒むことが出来たのに拒まなかった。


 それは自分の中でグレーにしていた浮気が確定した瞬間だった。


 そして、その情事のあとに拓海君が部屋にやって来た。


 それはタイミングの良過ぎる運命で。

 タイミングの悪過ぎる運命で。

 苦しみの終わりを告げる瞬間でもあり。

 苦しみの始まりを告げる瞬間でもあった。


 だけど見られなければ良かったとは思わない。

 バレない事の罪悪感の方が勝るから……。

 見られて良かった。


 拓海君に謝りたい。


 だけどどんな顔をして謝ればいいというのだろうか。


 私は彼に大きな傷を負わせてしまった。


 自業自得だ。


 全ては私の軽率さと弱さが招いたことだから。


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