第1話 親の罪。
以前、夫は罪を犯しました、それは私への罪です。
ですが私は許しました、そして今では子も。
終わったつもりでいました。
全て、終わったのだと。
『申し訳御座いませんが、無かった事に』
『何故、どうして』
『旦那さん、ご自分の胸に手を当て、良く考えて下さい』
私は、何の事かさっぱり分からなかった。
既にもう、終わった事なのだからと。
「あの、ハッキリ仰っていただけませんと、一体」
『旦那さんが行った事を、アナタの娘さんや息子さんが行わない、そう言い切れますか』
夫も私も、言葉に詰まってしまった。
だからこそ夫の家族も、私の家族も、まさかまさかと怒り狂ったのだから。
「ですが」
《お父さん、どう言う事?》
「もう、終わっ」
『本当に、終わった事ですか、お相手は未だに生きていますよね』
《お父さん、お母さん?》
『夫婦の事だ、終わった事だ、そう思っているのはアナタ達だけか。若しくは、そう思うご家族の居るお相手と一緒になる方が、宜しいかと。少なくとも私達は遠慮させて頂きます、お引き取りを』
『どうか』
『離婚なさり、別の方に理解を得た上で、そう禊を果たした上での事で有れば。まだ、良かったんですが、甘さと情の区別の付かない方々とは縁を結ばせたくは無いんです。お引き取りを』
知らなかった。
何も。
《酷い、どうしてそんな事を》
『すまなかった、本当に、すまない』
「もう、お父さんだけを」
《そのお父さんのせいで、昔に有った繋がりのせいで》
父は母を騙そうとしていた。
けれど母を愛し、改心した、と。
けれど、それは本当なのだろうか。
『本当に、反省し』
《そう反省する前に行動を改め無かったのよね?その不良女から母さんの耳に入ってから、謝ったのよね?》
『それは、どうしても、言えなかっ』
《それを保身では無く愛と言うの?売った品物を後から買い戻しもしなかった、それが愛だと言うの?》
『すまない』
《ねぇ答えて?それが保身では無く愛だと言うの?》
姉さんの婚約が、ダメになった。
『は?』
『すまない』
『いや、何でです?』
誰も何も言わないウチに、姉さんが泣き始めた。
いつもとは違う、悔しそうな、悲しそうな顔で。
《父さんは、ずっと前に、母さんを裏切っていた事が有るの》
『何でです?』
また、長い長い沈黙が流れた。
「でもね、父さんは」
《初めてのお付き合い、初めての男だったから許したんじゃないの?今更離婚したくない、そんな思いは欠片も無かったと言うの?》
「有ったかも知れないわ、けど」
《愛しているから許して、その先の事を、本当に真剣に考えていたって言うの?こうなるなんて、相手の家がおかしい、本気でそう思っているの?》
全く、何が何だか。
『父さん、何の事か』
《不良女と付き合いが有りながら、唆されて母さんへ、そして母さんは惚れたからと許し私達が産まれた》
『何故、そんな事を』
《ねぇ父さん、何故なの》
姉の悲しみは、いつしか怒気へと変わっていた。
『最初は、遊びだったんだ、どちらも。そう軽い考えから、貰った物も売り、母さんともいつしか別れるつもりだったんだ』
『は?』
『だが、母さんの優しさと』
《そうよね、真実が知れ渡ってしまったら、結婚も性行為も出来無いんですものね》
「止めなさい」
《止めないわ、だって真実では無いと、どうやって示すって言うの?》
「もうお父さんは浮気もせず、真面目に」
《それが当たり前だって言ってるのよ!その当たり前を出来無かった、しなかった、なのにバレてから白状して。まさか、お祖母ちゃん達にも》
僕は全く頭が追い付かなかった。
大昔に父さんが裏切っていて、その事が。
『ごめん姉さん、どうして縁談がダメになったのか』
《唆した女も生きている、そして私に、この不誠実で不真面目だった男の血が流れているからよ》
「でも今は」
《母さん、今、だけの事では無いの。以前の事、先の事を話しているの。罪を償ったら許すべきよね、けれど父さんは他人に認めて貰える様な事は何にもしていなかったの。いえ、それどころかもっと酷い事をしたの》
母さんは父さんを許した。
けれども自分達の様に、他人の耳から入る事を考え。
双方の祖父母に伝えた、と。
『そんなの、そもそも隠しておけば良かったじゃないか。全部、白を切って、相手の嘘だって一生隠し通せば』
《ね、けれど謝って許せば、それが愛なんですって。ふふふ、馬鹿みたい、あぁ馬鹿みたい》
「確かに、愛していたら何でも許せとは言わないわ、けれどね」
《他人様から見れば愛では無く甘えに見えるの、母さん達みたいな考えの方ばかりでは無いの。はぁ、もう無理ね、精々似た様な者との結婚しか無いわ》
「今回は、偶々」
《じゃあ母さんなら逆の立場でも受け入れるのね、娘が愛しているから、と》
もし、僕らが何も知らず。
相手の家族に不穏な過去が有り、だが精算したと言っている。
けれど、もし、その精算が生温かったなら。
『もしかすれば、自分の子供達も』
《そう、甘く見積もられてしまうかも知れない。この程度、愛しているなら許せ。許さないなんて愛していない証拠だ、なんて言われたら、ねぇ》
『何で、何も無しに許しちゃったんだよ』
「何も無しに許したワケじゃないわ、飲みに行くのも何も」
《その程度、本当に愛しているなら、我慢のがの字にもならないんじゃないかしら。だって夫や父親には、必要の無い事だもの》
「それでも、付き合いと言うものが」
《お酒に付き合わないと認めて貰えない、その程度、と言う事よね。騙せる知恵は有るのに、ね》
『本当に、すまな』
『ちゃんと答えてくれよ、どうして何もしなかったんだよ』
「それは、お父さんにはもう仕事も有って」
《ほら、結局は世間体や情よ、それを愛だの何だのと誤魔化して。ぁあ、死にたい、こんな2人の血のせいで》
『姉さんダメだよ、お祖母ちゃん達の血も入ってるんだから、大丈夫だよ。この人達が少しおかしいだけだから、ね?姉さんも僕も大丈夫、お祖母ちゃん達の血だって入っているんだから』
《ぅうっ、うぅっ、ぁああああああああああああ》
そうして姉さんは泣いたり怒ったり、無表情になるばかりで。
とうとう、お祖母ちゃん達を呼ぶ事に。
『本当に、申し訳』
《私はね、だから反対したのよ、いずれこうなるだろうと。けれど、アナタ達が頑張るから、と。それも、全て間違いだったわね》
『母さん』
『本当に、申し訳御座いませんでした』
《それで、はいそうですか、と。何も気にしないだろうご家庭に、可愛い子供達を嫁がせるつもりなのかしら》
あぁ、どうにかなるだろう、そう考えていたんだね。
「母さん、確かに厳し」
《お断りされた家以下にしか、嫁げないと言う事よ、その意味を本当に分っているの?この人の存在を許すと言う事は、そう言う事なのよ》
私も私で、許せない器量の小さい母親なのか、と悩みもした。
だからこそ、こうして今まで見守っていた、けれど。
夫も、私も、子供に期待し過ぎていた。
この男と添い遂げる、と言う果ての事を、娘は甘く見ていた。
そう甘く育ててしまったのは、結局は私達夫婦。
「ごめんなさい」
《それで、アナタ達はどう考えていたの》
「夫婦の、事ですし、人様にご迷惑を掛けていませんから。私が、許せば」
《愛が有れば、甘い禊で許す様な家庭の子供だ、もしや孫が甘く躾けられてしまうかも知れない。そう思う方々は、愛を知らず冷たい、そう言う事なのかしら》
『違います、ただ。いえ、本当に、すみませんでした』
《ですから、どうなさるおつもりなのかをお伺いしているのです》
罪悪感なんてモノは、人によっては平気で薄れてゆくもの。
そんなワケが無い、そう言った所で、して来た事の後ろ盾が有る。
そして、確かに時に薄れるべき罪悪感も有るけれど。
今はもう、それらは大きな問題では無い。
こうして、孫の望んだ婚約すら壊したのだから。
『離縁と、関わらない事を条件に、頭を下げに行って参ります』
《まぁ、もう、それしか残されてはいませんからね》
子供達の将来を邪魔するつもりは、本当に無かった。
そんなつもりは、全く。
『では後日、正式な書類と共に、改めて娘さんとお伺いに来て下さい』
『はい、ありがとうございます』
まさか、この場で、娘が身を引こうとするとは思わなかった。
《両親の祖父母は、本当に立派な方々で、ですが私には甘い母と愚かな父の血が入っております。どうか、無かった事にして頂けませんでしょうか》
『すまなかった、だが』
《私は、両親が思う程度の世間様の中で生きていたくは有りません。愛しているなら許せ、許さないのは愛を分っていないからだ。そんな考えをなさる方々としか縁を繋げる他に無い、なら、繋げなければ良いのです。こんな血、絶えれば良い》
娘の声には怒気が有りながらも、表情は無く、寧ろ酷く落ち着いていた。
コチラが思う以上に、娘は。
『アナタは、大事な人様のお子さんの心情を、コレ以上に殺そうとなさった。そう気軽に、殺そうとまでは思わなかった、と』
『大変、も』
『真に反省し、自ら罪を告白していらっしゃったら、コチラとしても幾ばくかの酌量も出来ましたが』
『その事も、大変』
『愛しているのなら許せ、許さないのは愛を知らぬからだ、分からぬからだ。そう便利に人を使う為の呪詛が心根に染み付いている様な方と、縁を結ぼうとする者が、果たしてどの様な者か』
『決して、詐欺師や犯罪者に嫁がせようなどとは、決して』
『アナタのご両親も、奥様を育てたご両親も、そう思ってらっしゃったでしょうね』
もう、言葉が出ない。
自分がしでかした事が、自分に返って来るだけだ、と。
甘かった。
甘さが、子供の将来を。
『本当に、申し』
『念の為に忠告させて頂きますが、アナタが死んでも寧ろ状況は悪化しますよ、単に逃げた弱い者だとの評価しかされませんから』
《こう言って下さっている事も含め、良く考えて、父さん。大変、申し訳御座いませんでした、失礼致します》
俺までもが、安易に許してしまったばかりに。
『姉さん、もう少し食べよう』
《私、私の中にも悪鬼が居るの、だから肉と魚を立ってるの。仏門に行くわ、私には自信が無いの、この血がいつ悪さをするか分からないから》
『すまなかった』
『お祖父ちゃん』
『俺が、アイツに許してやろう、見守ろうと。すまない、甘かった、どうか』
《いえ、仕方無い事なのだと思います。子に甘い、惚れた相手に甘くなるのは仕方の無い事。しかも私達が産まれる前の事、まさか、こうなるとは考えもしなかったか、何とかなると思っての事で悪気は無い。まさか、そんなつもりは無かったんだ、と》
『本当に、すまなかった』
姉さんの決意は固かった。
けれど、お祖母ちゃんと共に、寺院の前まで行った時。
「君の決意が固い事を、両親が認めてくれた。今度は僕が君を説得する、必ず」
《ありがとうございます、ですが》
「君の中には確かにご両親の血が流れているかも知れない、けれど殆どは、その方の血だ。君はご両親とは全く違う、血が怖いなら、僕が抑え付ける」
《ですから、そうしたご迷惑を》
「その程度、迷惑でも何でも無い、それこそ愛しているなら出来て然るべきだ。お互いに律するのも、夫婦としても、人としても当然の事だ」
《もっと楽な》
「楽になる為でも、苦しむ為に夫婦になるワケでは無い筈だ、君と君の子も孫も守る」
《それでも、ご両親に申し訳が立ちません、どうか》
「なら種も絶って女になり、君の入る尼寺に入る」
『そんな無茶な』
「欲だけでは無く愛している。僕はそんなにも頼り無いだろうか、君を抑える強さも、賢さも無いと君は思っているのだろうか」
《いえ、ですけど》
「話し合おう、どうか、話し合わせて下さい、お願いします」
お祖母ちゃんは、凄く難しい顔をしていたけど。
僕としては、許してやって欲しかった。
そう話し合って、それでもダメなら。
《このままでは未練が残るでしょう、口は挟みませんが、立ち会いはさせて頂きますよ》
「はい、ありがとうございます」
話し合いは長く続いた。
その合間に僕も成長し、何が問題か、やっと分かった。
『いやー、この本の家、もし本当なら厳し過ぎだろう』
《そうそう、育ちだ血筋だを、気にし過ぎだっての》
『だがよ、そうやって金持ちは篩に掛けて、良いのだけ取ろうってんだろ』
《で、残り滓は俺ら》
『まぁ、病無しで便利なら、使い古しだろうが何でも良いけどな』
《更にべっぴんならな、多少の事は目を瞑ってやるのが、男ってもんよ》
『そうそう、でなきゃとんでもねぇのしか残らねぇしな』
《だがよ、口が回るのだ小賢しいのは面倒だ。この小娘みたいなのは、精々頭が固いのとくっつきゃ良いんだよ》
『あぁ、違いねぇ、面倒だと情愛も無くなるってもんだ』
《あーあ、どっかに便利で楽な女はいねぇかなぁ》
夫とは離縁、お互いに仏門に入り、家族との縁を切る。
そうしてやっと、私達の禊の人生が始まる。
甘かったツケは、子にまで向かってしまう。
甘かった。
甘さ故に、子供達まで。
『僕、良く分かったよ。産まれて来ちゃいけなかったとまでは言わないけれど、産まれるべきじゃなかった。だって、もし僕が好きになった人が居たら、その人は自分はそんな程度かって思っちゃうかも知れないから』
そう言って、息子は目の前で、股間に刃物を突き立てた。
「いやぁあああああ!」
『あぁ、姉さん達には黙っててね。じゃあね、馬鹿な子種袋に騙された無能畑』
息子がよろよろと向かった先には、背負箱を担いだ老女と、顔に傷を負った男が1人。
私はただ、寺院の中から、見送るしか無かった。
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