犬神。

「お願いします、どうか、どうか浮気相手を見付け出して下さい」


『構いませんが、見付け出してどうするつもりですか』

「自分で、始末を付けます」


 良い女には手助けを、良い男には手助けを。


『お手伝い致します、けれど報酬はお金では無いですよ、構いませんか』


「私だけで、支払えますか」

『勿論』


 思慮深い女には手助けを、思慮深い男には手助けを。


「はい」

『では、家でお待ち下さい、直ぐに専門の者を向かわせます』


「はい、ありがとう、ございます」


 この女の血には、価値が有る。

 活かし、生かすべき。




《どうも、先日頼まれたモノです。あ、玄関先で結構ですので、少しお伺いしても宜しいでしょうか》


 夫が居ると言うのに。

 少年か少女か分からない様な方が。


「あの」

《コレの匂いを覚えさせに来ただけですから、何か近くに美味しい店は有りますか?何でも良いですよ》


 美味しいお店。


「あぁ、向こうの、商店街の端の三葉堂さんを」

《ありがとうございます、では、また》


 大きな犬だった。

 それにあの子。


『どうしたんだい』

「ぁあ、道を尋ねられたんです、三葉堂さん」


『あぁ、最近は食べていないな』

「買ってきましょうか」


『いや、今度僕が買って来るよ、君は安静にしておいで』


 私を外に出さないのは、浮気がバレ無い様にする為。

 気遣いなんかじゃない、ただ、私を閉じ込める為。


「はい、ありがとうございます」




 夫を知る者に相談しても、神経質だ、と言われる。

 気にし過ぎだ、考え過ぎだ、単に過敏になっているだけだろう。


『大丈夫よ、気弱そうだけれど、真面目だって噂なのだし』

《そうそう、それに1度位はね、魔が差す事位は許す度量が無いと。あんまり息苦しくさせてしまうのも、宜しく無いと聞くし、ね?》


 田舎から都会へ。

 良い大学へ入れて貰い、良い方と結婚が出来た。


 けれど、私に友人は居ない。


「すみません、ありがとうございます」

『良いのよ、陰鬱になるのも分かるわ、あんまり幸せだと不安にもなるのだもの』

《何でも相談して頂戴ね、力になるわ。あ、そうそう、◯✕の奥様がね……》


 近所の婦人会は、非常に居心地が悪い。

 悪い噂話ばかり。


 都会、と言えば誰もが洗練されているだろう、と。


 それは幻想、真に都会の人だけ。

 その殆どは余所者なのだから、洗練さとは掛け離れていて当然。


 所詮は田舎者なのだから。


『あら、顔色が悪いわ、無理をしないで』

「すみません、失礼させて頂きます」


 私は都会が嫌いでは無い。


 ただ、都会と言う蜜に群がる害虫が嫌いなだけなんです。

 都会に浅き夢を見、誰かの餌食にされ死に体になりながらも、決して帰ろうとはしない。


 そして時に寄生し、時に罪を犯す。


 人の多さに紛れ込み、悪さをしようとする者が居なければ。

 ここの空気は、もっと澄んでいるでしょう。


《先日はどうも、美味しいですね、塩煎餅》


「あぁ、どうも」

《顔色が悪いですね、陽に当たっていますか、程々は何事も健康に良いですよ》


「あまり、散歩はしてくれるなと、言われていますから」

《それは良くないんですけどね、それこそ大きくなる程、良く動いた方が楽に生まれますから》


「良いのでしょうか」


 清濁併せ呑まなければならない世に産む事は、本当に良いのだろうか。

 もし、この子を残し亡くなってしまったら。


《アナタは、どう思いますか》


 この子は。


「結果次第、かと」

《もし腹が決まったら、コレを、強く長く吹いて下さい》


「はい」




 その晩、夫の帰りが遅いだろう日に、私は渡された笛を吹いた。


 けれど、音は出ず。

 少し不安になりながらも、強く、長く吹いた。


《お邪魔します、良いご趣味ですね、枇杷だ》

「ですけれど、もう、切り落としてしまうかも知れません」


《勿体無い、呪物になるんですよ、何でもね。さ、行きましょうか》


「はい」


 やっぱり、ご近所でした。


 あの、婦人会の嫌味な女性。

 派手で下品だ、あの人は、そう言っていたのに。


《任せてくれたら、もっと良い方へと向かいますよ、誰も悲しまない道筋です》


 私が手を入れた鞄の上から、その子は手を乗せ。

 ゆっくりと横に首を振り、ニッコリと微笑んだ。


「私の、この思いを昇華して頂けますか」

《勿論、全て》


 私の、この中にビッシリ詰まった。

 怨嗟、愛憎、虚しさや悲哀を。


「お願いします」




 犬神の家には、あんまり普通で無い子は山に還す風習が有る。

 僕は育ちが遅く、少しして山へと還された。


 けれど食い殺される事無く、弟と共に山から戻った。

 そして本家に迎え入れられ、犬神として籍を置く事になった。


 丁度、本家の不出来が亡くなり、そこに僕が入れ替わった。


《あんなに良い女なのに、アンタ達は本当に馬鹿だ》


『なっ、何だ君は』

《Los》

《ひっ》


 弟の顎は強く、人なんて直ぐに噛み殺せてしまう。

 そして爪は鋭く、一瞬で引き裂けてしまう。


 弟は瞬く間に女を引き裂き。

 あっと言う間に男の喉笛に噛み付いた。


『たっ、たす、けて、くれ』


《あの女を僕にくれよ、アレは凄く良い女だ、賢くて強い》

『分かった、やる、だから』


《うん、助かるよ、ありがとう》


 僕が頷くと弟は喉笛を噛み千切った。


 ココの風呂場を少し借りよう。

 流石に、血塗れで外を歩くのは不味い。




《あぁ、どうも、何か御用で?》


「あの、はい。奥様に、ご相談に上がりたくて」

《あぁ、すみません、お待たせしていましたか。おかしいな、ウチのは居る筈なんですが》


「あ、あの、お忙しいのでしたら」

《大丈夫ですよ、さ、ココで少し待っていて下さい》


「はい、すみません、失礼致します」


《ひぃっ》


 それから直ぐに、警察が来る事になり、私も幾ばくか取り調べを受ける事に。


『奥さん、何時頃に向かったんでしょうか』

「はい、夕飯を終え、ぅう」


『奥さん!?』


 心労、だったのだろうか。

 私達夫婦を繋いでいた証は、消えた。


《すみません、私が容易に上げたばかりに》

「いえ、私の夫がご迷惑を」


《いえいえ、気付かなかったんです。私も、アナタも》


 夫とその相手は行為の最中に野良犬に入られ、殺された、と。

 けれど野良犬の数は少ない、もしかすれば逃げ出した犬の仕業なのかも知れない、とも。


 そう事件は、終わった。


《対価を貰いに来ましたよ》


「はい、私の身で収められるのでしたら、何なりと」

《僕の嫁になって貰います、それからコイツの姉にも》


 真っ白な体毛がふかふかと生え、柔らかく、温かい。

 優しくも賢そうな眼差しに、体躯の良さは。


 あぁ、単なる犬では無いのね。


「はい」




 狼は絶滅した。


 ただ、それは野良の狼だけ。

 種を絶やせば、いつか山も里も荒れる事になる。


 鹿や猿、そして猪や熊、人によって荒れ果ててしまうだろう。


『まぁ、賢そうな子ね』

「はい、アレ以来、怖かったんですけど。良く躾けられた子は、寧ろ頼もしいんです」


『そう、幸せそうで良かったわ』

「はい、お手紙を頂いて、本当にありがとうございました」


『良いのよ、お節介でごめんなさいね、どうか元気でね』

《こんな良い人と疎遠にしてはダメですよ、姉さん》


『あら良い人だなんて、単なるお節介な年増よ、ふふふ』

「従兄弟もこう言っていますし、また、お歳暮を送らせて頂ければと」

《ウチの田舎の林檎、美味しいんですよ、良かったら送らせて下さい》


『ありがとう、お手間で無ければ、無理はしないで頂戴ね?』

「はい」


 僕の妻は賢いので、夫では無く先ずは養子にと言い出した。

 もし戸籍を空けていれば、もっと他に使い道が出来るだろう、と。


《ふふふ、妬いた?》


「流石に、少し心配になった程度ですよ」

《正直で結構。さ、折角だし、和菓子屋にでも寄ろうか》


「はい」


 僕らは時に親子、時に姉弟に見えるだろう。

 けれど実態としては、夫婦だ。


 あんな粗末な男には、どうしたって勿体無い。

 厭らしい匂いのする彼女を磨き上げられなかった分際で、浮気なんて、男としても語るに落ちる。


 多産には多産の理由が有る。

 つまりは、そう言う事だ。

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