2 蜘蛛の夢。

 病気を貰う事は、とても簡単でした。


 そうした事も教えるのが寺子屋ですし。

 そうした容姿でしたから。


 淋病、梅毒、軟性下疳と。

 順調に、3つが揃った時でした。


《あぁ、心配していたのよ》


 最初に僕を襲った女でした。

 けれど、すっかりみすぼらしい姿で。


「どちらかとお間違えでは?」


 どうしてか、絶句しておりました。

 今でも、悪い事をしたと思ってはいないだろう事しか、推察には及びませんが。


 彼女は膝から崩れ落ち、泣き出しました。


《ぅう》


 どうしてやろうか、と僕は考えましたが。

 僕は不能者、酒や薬で昏睡状態の様になり、そう眠っている間に事に及んで貰っていた。


 ですので暴行する事も何も出来無い。


 結局、僕は女を寺に連れて帰る事にしました。

 何かが起こるまで、何かが思い付く迄、と。


 そして、事は起こりました。

 ですが僕は不能者です、女は諦め、寝所へと戻って行きました。


 そこで僕は、女を警察に突き出し、僕を襲った僧の居る寺へと向かいました。


 あっと言う間でした。

 あっと言う間に、広まり。


 女も、逃げ出した直後に、殺されてくれていました。


 もう、良いだろう。

 罰せられるべき者は罰せられた、だからもう、良いだろう。


 そう思っていると、ふと昔の約束を思い出しました。

 出世払いの約束を、すっかり忘れていたのです。


 僕は急いで支度をし、その場所へと向かいました。




『あぁ、どうだった』

「すみません、遅くなりました。蜘蛛は逃がしました、僕の全てです、すみませんでした」


 全財産を渡そうとしたのですが。


『いや、金には困っていないからね、違うもんが欲しいんだよ』


 何を差し出せば良いのか、直ぐに分かりました。


「生憎と不能者ですので」

『いや、坊主に何かして貰う事では無いよ、その身に宿した業の方だ。ソレと、日記だ』


 彼の日記の事は、誰にも伝えていませんでした。

 けれど、相変わらず年を取らない商人は、知っていた。


 そして傍からでは分からない病の事も、知っているのでは無く、察しての事だと。


「分かりました」


 その先は詳しくは言えないのですが。

 僕は治療され、代わりに背へ蜘蛛の刺青を入れられ、髪を伸ばす事を命じられ。


 世に、放たれました。


 僕は単に眠っているだけ。

 そこに男も女も群がり、好きにする。


 苦では有りません。

 僕は単に眠り、起きるだけ。


 確かに幾ばくかの体の違和感は有りますが、生活に特に支障は無い。

 そして僧としての仕事も無い。


 ただ込められた通り体を鍛え、決まった食事をし、決められた量の本を読むだけ。

 外出も可能で、起きていれば誰に触られる事も無く、特に不自由は無い。


 そうした僕と同じ様な者なのか、単なる下働きなのか、そこには大勢が関わっていました。


 そしてふと、僕は蜘蛛に悪い事をしてしまったのかも知れない、と思い。

 商人に会わせて貰い、改めて尋ねました。


『あぁ、あの子は直ぐに戻って来たから問題無いよ。虫にもね、頭の良い子は居るんだ、あの蜘蛛もアンタを恨んじゃいないさ』


 僕はホッとしました。

 良かれと思っても、時と事情に寄る。


 改めて無能さを謝罪し、蜘蛛の世話を申し出ました。


 それから先の事ですが、本当に、真に僕が立ち直る事を待っていて下さったんだと思います。

 それ以降、特に体の違和感は有りませんでしたから。




「あぁ、こうして育てていたんですね」

『あぁ、可愛いだろう』


「はい」


 僕は本当に虫が好きになりました。

 素直で単純、コチラを慮れないのは当然で、手間暇が掛かる。


 僕は誰かを世話し、世話をされたかった。


 その事に気付いた晩は、また子供の頃の様に大泣きしました。

 そして悔しさも何もかも、いつの間にか消えていた筈の火が、また熱を帯び燃え上がるのを感じました。


『綺麗に生きて役に立つ、それらは実は難しい事なんだよ、とてもね』


 その人の言った事が、少しして分かりました。

 僕の様な容姿の、それ以上の子が、新しくやって来たからです。


 どちらとも言えない、どちらも持っている様な、そんな容姿でした。


 そして目に生気は無く。

 死ぬも生きるも面倒だ、良く見知った気配を纏っていました。


『ぁああああああああああああああ!!』


 毎晩毎晩、絶叫と共に飛び起き、逃げ出そうと激しく暴れる。

 僕は見張りと、抑え込む役でした。


 直ぐに相手の意識は無いと悟れたので、触れる事が出来、抑え込みました。


 そして暴れ、乱れる服の隙間からは。

 様々な傷跡が見え。


 自分よりも酷い目に遭っている者は居る、今でも何処かに、きっと居る。


 そう改めて知ると。

 僕はとても情けなくなりました。


 周囲に居ないからと言って、世間には全く居ないワケでは無い。

 その道理を知りながらも、僕は真に理解はしていなかった。


 生きる事に手一杯で、必死に、我夢者羅に救おうとはしていなかった。


 仏の道も、神の道も知りながらも。

 自らの事だけで、生きる事で精一杯だった。


 僕は泣きながら抑え込み続けました。

 薬が効くまで、殺さぬ様、怪我をさせぬ様に。


 そうして久し振りに体の違和感を感じ、もしかすれば、僕も偶には暴れてしまっていたのかも知れないと。

 そう思うと、もう少しだけ、周囲にも優しく接しようと思いました。




『分かるかい、ココが何なのか』


 国内外を問わず、様々な虫と花を管理し、繁殖させる場所。


「はい」


 僕の様な者を保護し、活用する場所。


 あの蜘蛛は、外では生きられない蜘蛛でした。

 図体の割には繊細で、臆病で、見知らぬ場所では全く動けなくなってしまう。


 僕は、優しい嘘が有ると知りました。

 見知らぬフリをする優しさも、傷付いてはいないフリをする優しさも、敢えて悪者になる優しさを知りました。


 僕が初めて抑止した子は、女の子でした。


 監禁され、好き勝手をされていた子。

 けれど、その良さも知ってしまっている子でした。


 そうして僕は、再び起床後に体の違和感を感じる様になり、涙の味を知りました。


 もう1つ用意されている枕に染みが有り、何を思ったのか、僕は味見をしてみたんです。

 唾液とも体液とも違う何かで、涙だと気付くのに暫く掛かりました。


 それに気付き、嫌では無い、そう思う様になりました。


 どうしようも無い事は有る。

 それこそ沢山、どうしようも無い事は山程有る。


 けれど僕は苦も無く役に立てているし、悪いと思って欲しく無かった。


 ただ、相手が何を思い、どう思っているのかは分からない。

 だからこそ僕は、許可を得て、枕元に置き手紙をした。


 苦では無い、と。


 それでも涙の跡は絶えなかった。

 寧ろ酷い時は増えさえしていて、僕は、間違えてしまったのかも知れないと。


 次に僕は、また手紙を書いた。


 何をしても問題無い、と。

 それでも涙の跡は絶えなかった。


 そして次に、僕は花を贈った。


 けれど、涙は絶えなかった。

 ただ、初めて返事が有った。


 ありがとう、と一言だけ。


 起きている間、稀に顔を合わせる事は有っても、僕らは会話をしなかった。

 他も、用事以外は話さず、特に親しくする様な事も無い。


 そうした場所だからこそ、僕らは話さなかった。


 けれど、手紙のやり取りが始まった。

 どの花が好きか、嫌いか。


 食べ物は何が好きか、嫌いか。


 1回の逢瀬で1つ。

 気が付くと涙の跡が残る事は減り、遠くでは時折、彼女は笑顔を見せる様になっていた。


 そして突然、体の違和感が無いままに、涙の跡だけを残し。

 彼女は消えた。




『気になる事が有るなら、尋ねる権利がアンタには有るよ』


 僕は様々な事を考えた。


 彼女は良くなりココを出た。

 彼女は実は僕が嫌だった。


 嫌になった。

 飽きた。


 僕が再び完全に不能者になった。


 どれでも仕方が無い事だとは分かる。

 けれど、無事なのか、どうなっているのか。


「彼女は、どうしていますか」


『元気だよ、体重も増えたし、何より話せる様になったからね』


 僕は、彼女が話せない事を知らなかった。

 関わらなかったからこそ、当たり前と言えば当たり前だと言うのに、僕は酷く衝撃を受けた。


「そう、ですか」

『全く、話すなだ何だとは言っていないと言うのに。心配なら手紙を届けてやるよ、どうする』


「はい、お願いします」


 けれど何故か気恥ずかしさが有り、ただ元気かどうかだけ。

 そう尋ねるだけの手紙を出すと、返事が来た。


 以前は1つ答えるだけが、1つ問う事が増えていた。


 そうして互いに1つ答え、1つ問うを繰り返し、何ヶ月か過ぎた頃。

 僕も移動する事となった。


 どちらかと言えば都会寄りの、出来の良い一軒家へ。

 その家に、彼女が居た。


 お腹が大きくなり、まるで妊婦の様だと。

 まさか、本当に妊婦で、まさか僕の子とは思わず。


『馬鹿だねアンタは、私達を何だと思っているんだか、コレだから困るよ里の子は』


 僕は背中をドンと押され。

 そこで初めて理解した。


 彼女は望んで僕の子を妊娠したのだと。


「え、あ」

『あの場所は妊娠には危険だからね、花も虫も、良いのばかりじゃない』


 彼女は、不安気だった。

 無理も無い、僕に黙っていた、妊娠している事を咎められないかと不安だったのだろうと。


 けれど僕は、それどころでは無かった。


 気が付けば彼女に触れ。

 触れ続けていたのだから。


「は、はじめまして」

『はじめまして』


 今なら、家族と思えたからこそ、触れられたのだと思います。

 未だに全くの他人はダメですし、相変わらず商人に軽く触れられる程度で。


 ですが僕らは触れ合えます。

 子供も触れます。


 そして、その喜びを感じると同時に、憤りが再熱します。


 蝶や花、ましてや物でも無い。

 どうして見目が良いと言うだけで、僕らはこんなにも理不尽な目に遭い、不条理を受けねばならなかったのかと。


 けれど、それらを納得させる彼女の言葉も有ります。


 不条理や理不尽は悪です、良い事の反面である以上、決して消えない存在。

 だからこそ常に存在し、無くす事は出来無い。


 けれど幾ばくか軽くし、薄める事は出来る。

 それは神では無く、私達人が成すべき事、人にしか出来ぬ事だと。


 実際に世を動かすのは神でも無く、御仏でも無く、僕ら人が行う事。


 あくまでも神や御仏は、補佐をするだけ。

 僕らが転がり落ちた先で、最後に蜘蛛の糸を垂らす、そうした事しか出来ぬと定められた方々。


 ただ、理不尽だ不条理だとお嘆きになる前に。

 周囲を良く見渡し、ご自分のお立場を改めて確認してみて下さい。


 もしかすれば、自らが不条理や理不尽を、意図せず与えているかも知れないのですから。

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