第1話 アナタの枕。
私はアナタの枕になりたい。
アナタを癒やし、労いたい。
せめてアナタの眠る束の間だけでも、アナタの傍に居たい。
私はアナタの枕になりたい。
アナタを癒やし、労いたい。
もし叶うのなら、縁側で午睡に微睡む、アナタの枕になりたい。
神宮寺さんとの旅行後、僕は会長のご指示で、大戸川先生の家へ差し入れを持って行きました。
そして、到着後、封筒を開封しろと。
最初は何の事かさっぱり分からなかったのですが。
先生は実に嬉しそうにラジヲを聞かれていて、そこで初めて知りました。
作品の派生、亜種の様な広告が打たれた。
最近になり娘さんに代替わりした大企業、小窪家具の目玉商品、安眠枕の売り文句として。
「先生」
《あぁ、聞いたかね林檎君、アレは音階の流れが実に心地良い》
「先生が気に入ったのは分かりましたが」
《僕の作品の亜種だ、派生だと娘婿が怒っていたけれど。僕はね、コレは損では無いと思うよ、なんせ物語では無いのだからね》
「ですが、先生には書いて頂きます、枕で。コレは会長からのご指示です」
《ほう、会長はそこまでご立腹だったんだろうか》
「いえ、怒ってらっしゃる気配は有りませんでしたが、お好きにと。コチラになります」
《ほう、ほうほうほう、それはそれは面白い。是非、書かせて貰うよ》
私の唯一の自慢は、髪だけです。
丈夫で靭やかで、美しい。
ただ、それだけなのです。
ですので、貴女様の為に伸ばし、貴女様の為に捧げます。
どうぞ、お傍に。
かしこ。
その手紙が添えられた箱の中には、良い塩梅に1束ずつ元結で纏められた長い黒髪が、綺麗に納まっておりました。
そして僅かに上品な白粉の香りと、椿油の香りもいたしました。
私の髪は酷い癖の有る毛で、色も幾ばくか赤味がかっており。
こうした御髪に、とてもとても憧れていましたので。
大切に大切に、枕へと仕舞う事にしたのです。
一時はカツラに仕立ててしまおうかとも思ったのですが、あまりに美しい御髪を、一体どの様な髪型にすべきかを決められず。
結局は、私は枕へと仕舞い込みました。
すると、とても夢見が良いのです。
私の髪は真っ直ぐで、美しい黒髪となり。
優しく麗しい、同じ様な御髪の男性に愛される。
私は、朝がとても恨めしくなりました。
あの素適な夢が覚めてしまう朝が、酷く疎ましくなり、ズル休みをした事も有ったのですが。
あまり眠る事も出来ず、夢を見る事も出来ませんでした。
そして私は、再びいつも通りの生活へ戻ったのですが。
ある時、ふと枕に名付けてみたのです。
そうして眠った晩の事、とうとう麗しい男性の顔がハッキリと見え。
口付けを致しました。
その甘美さは何物にも喩えようが無く、私の心を軽やかに躍らせ、天にも昇る様な心持ちにしたのです。
その口付けは、日に日に下へ下へと齎され、私はすっかり御髪枕の虜となりました。
あの綺麗な御髪が私の肌を這い、撫で、なぞる。
私は枕へ恋をし、そして愛する様になりました。
ですが、直ぐ後に悲劇が。
いえ、寧ろ今となっては幸運が舞い込んだ、と言うべきでしょうか。
「どうして、私の髪を使って下さらないのですか」
同じ制服を着てらっしゃる女生徒が、移動教室の際、不意に私に話し掛けて来たのですが。
《あの、どなた、だったかしら?》
同じ組の方なら存じているのですけれど。
生憎と違う組の方で、ご挨拶をした事が有るかどうかさえ、私はうろ覚えで。
「髪は女の命、私の命を捧げたのに、どうしてお傍に置いて下さらないのですか」
そこで初めて、私は御髪を贈って下さった方だと理解し、お礼を申し上げようとしたのですが。
《あ》
「許さない!」
私は髪を掴まれ。
ザクリ。
大きな裁ち鋏で髪を切られてしまいました。
けれど、私はとても心持ちが軽くなったのです。
コレで堂々とカツラが被れる、と。
《ありがとう、今まで枕にしていたのだけれど、コレで心置きなくカツラを被れるわ》
そうお礼を言うと、彼女はすっかり泣き崩れてしまい。
とうとう、教職員の方が現れ。
『そ、ど、どうしたんだ君達』
《暴漢に襲われてしまったのですけれど、大丈夫、私達に怪我は有りませんわ》
あの素適な御髪を贈って下さった方を、この煩わしい髪を切って下さった方を、どうして突き出せましょうか。
「わ、私は」
《助けて下さったんですの、私を救って下さったのです。とても勇敢に、果敢に》
そこで初めて、彼女のお顔を良く観察させて頂いたのですけれど。
涙でお顔が乱れてらっしゃったとは言え、愛嬌の有るお顔をされていて、御髪だけが唯一の自慢と仰っていたのは卑下が過ぎるのではと。
『その、暴漢の様相は』
《私、取り乱してしまって、良く思い出せませんわ。それより、彼女と医務室へ向かっても宜しいですかしら?》
『あ、あぁ、直ぐに行ってくれて構わない。私は見回りに』
《あ、酷く足が早い方だった事は覚えてますわ。では、失礼致します》
それから私は彼女と医務室へと向かい、この事は私達だけの秘密にして頂く事にしました。
「あの、私は庶民ですし」
《私達はお友達でしょう?さ、遠慮なさらないで、私の寝室を是非ご覧になって欲しいの。お願い、ね?》
「お、お邪魔します」
《はい、いらっしゃいませ。さ、コッチよ》
私は御髪枕を見せ、今まで見てきた夢の全てを語り。
如何に御髪に感謝しているかを伝え、切って頂いた事にも本当に感謝している事を、お伝え致しました。
「本当に、お傍に」
《勿論よ。それに、コレが即興の創作なら、私は作家になれるわね》
「ごめんなさい、てっきり、捨てられてしまったのかと」
《そんな勿体無い事、無理だわ。それにカツラの事も、どの様な髪型にすべきか本当に迷ってしまって、私に似合う髪型は何かしら?》
「私、また伸ばしています、だからどうかお好きな髪型になさって下さい」
《ありがとう、けれど選べないわ、どの髪型も全て素敵に見えるんですもの》
おさげも何もかも、全て羨ましくて堪らなかった。
お金が有ったとて、私には得難いモノ、黒く真っ直ぐな御髪。
確かにカツラの購入は考えました、けれど何処か気色悪さ、気味悪さを感じてしまっていたのです。
一体、どんな方の御髪だったのか、コレは違法に切られたモノでは無いのか。
そう考えてしまい、どうしても手が伸びなかった。
そして、病では無いにも関わらずカツラを被る事に、酷く遠慮も有りました。
私が買ってしまっては、本当に必要となさる方の手元に、届かなくなってしまうのではと。
けれど、コレからは気兼ね無く被れる。
私は彼女に感謝しか無いのです。
だからこそ、私は彼女の為になる事を、全て行う事にしたのです。
「そんな、御親戚の方を」
《何か不満が有れば遠慮無く私に仰って、直ぐに他の者を紹介するわ》
「いえ、身分の差が」
《お金では買えない、身分ではどうにもならない事も有るわ。でも大丈夫、アナタが良いと思える男性に出会えるまで、幾らでもご紹介させて頂くわ》
「どうして、そこまで」
《妊娠してしまえば賃金を得る事は難しくなってしまう、しかも病気を貰ってしまったなら、更に不幸が待っているのだもの。アナタには私が必要、私にはアナタが必要なのだもの、アナタの為になる事を行うのは当然の事だわ》
そうして夫となる者を探し出し、職を探し、家も。
何もかも全て、彼女の為に整え、揃えた頃。
「もう少し、伸ばしましょうか?」
《いえ、もう十分よ、本当にありがとう》
カツラにするには、1人分では足りなかった。
けれど、抜け毛を集め職人を選ぶ事で、何とか完成した。
「お似合いです、本当に、良くお似合いです」
《ありがとう、アナタのお陰よ》
結い上げもせず、真っ直ぐに下ろした髪の感触は、御髪枕で夢見た以上の心地良さでした。
肌に触れる毛先、肌を流れる髪。
私は、もっとカツラが欲しくなってしまったのです。
次は、肩口までの短いカツラ。
あぁ、待ち遠しい。
肩を撫でる髪先を、早く味わいたい。
ですから、私は彼女の様に美しい御髪持ちを、囲う事にしたのです。
出産ともなれば髪を切る女性は多い。
私はお金で髪を集めたのですが、やはり彼女の御髪で無ければ良い夢は見れない。
私の御髪は、彼女だけ。
一通りのカツラを揃えた後、余りは会社を立ち上げ、病の方に安くお譲りしていたのですが。
ふと、罪悪感に襲われてしまったのです。
私だけが、この幸せを味わって良いのだろうか。
私だけが、御髪枕の功を知っていいて良いのだろうか、と。
《そうして枕に彼女の毛を1本入れ、売る事にしたのです》
即座に、小窪家具から苦情のお電話が来たそうですが。
会長命令により、直接コチラにお伺いして頂けない限りは一切受け付けない、との伝言をお伝えするのみで留めた。
その3日後。
新しい社長は柔軟な方らしく、何と映画に出資頂ける事になり。
目出度く、其々の売上は上々となる事に。
《全くもって、会長は辣腕だね》
「えっ?大戸川先生も深く関わってらっしゃったのでは?」
《と言う都市伝説になっているそうだけれど、林檎君からの会長命令だけ、だよ》
僕の知らない間に、念入りな打ち合わせをしての事かと思っていたんですが。
「流石です先生」
《いや、今回は会長だよ。会長には、予知や心眼が有るのかも知れないね》
「偶々では?」
《全く、現実の事となると途端にポンコツだね君は。会長はね、逆手に取ったんだよ》
大戸川先生曰く。
訴えるなり大騒ぎをすれば、脛に傷を持つモノだからこそ、返り討ちに遭う事は目に見えている。
向こうが名誉毀損で訴えたなら、コチラは著作権侵害で訴える。
例え勝てずとも、裁判は話題となり、少なくともコチラの売り上げが落ちる事は無い。
提訴合戦は宣伝となる、けれども向こうには損となる。
だからこそ向こうは開き直り、共闘するしか損を回避する方法は無い。
と会長が納得させたからこその、今回の一件だったのでは、と。
「ですけど、例の広告を読んで直ぐ、夜明け前に呼び出されたんですよ?」
《流石会長だね、もうその時には見えていたんだろう、この勝ち筋がね》
映画や本は百合娘達の人気となり、それに伴い枕も売れた。
けれど、枕の購入者の半分は男性。
百合娘達を愛でる異性愛者は勿論、知り合いの男色家の方は2つも買っていた。
皆が皆、それこそ誰かに好意を抱く者は、こぞって枕を買い。
相手へと贈ったり、自分で使ったりと様々らしく。
それに輪をかけ、更に都市伝説が増えました。
もし新品の枕に真っ直ぐな黒髪が付いていたなら。
悪夢か良い夢、どちらかが見れる、と。
『林檎さんがもし見付けた場合は、取り除いて下さい』
神宮寺さんから紹介された、川中島さんと言う霊能者の方。
赤い女の事件以降、神宮寺さんが忙しくなると同時に、お世話になっている。
「やはり何か、呪詛的な事が起きてしまうんですか?」
『古来より髪は神聖なモノです、それは西洋でも。ただ、言葉遊びも含まれている、そうです』
「髪、神」
『呪術的には、髪は相手を特定するのに便利です。この指の紋様と同じく、他者と全く同じにはならないので』
「見た目は、同じに見えますけど」
『年輪、若しくは糞尿です、食べたモノが年輪の様に蓄積するので』
「あぁ、そうしたモノが見える様になれませんかね?」
『無理ですね』
「ですよね」
僕には、まだ霊障の影響が有るらしく。
その夜、夢を見た。
「あぁ、そうしたモノが見える様になれませんかね?」
《探偵にでもなる気かい?》
「良いですねそれ、本当に居そうで」
《なら、紹介してあげようか》
「お願いします」
《じゃあ、僕の未来の奥さんを見付けてくれやなら、紹介するよ》
「えっ、じゃあ、本当に見える人には見えるんですか?」
《どうだろうね、単に女に飢えた男の戯言、かも知れないよ》
「どうにも、神宮寺さんに合う方が想像出来ないんですよね、不思議と」
《僕もだよ、残念だ》
「あ、安眠枕を使ってみたらどうです?昨今では、まだ見ぬ結婚相手を夢に見れるそうですよ」
《買ってくれたら試してみるよ》
「言いましたね」
《丁度、枕を買い替えたかったんだ、頼むよ林檎君》
「はい、是非」
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