椿姫事件。

《あぁ、林檎君、良く来てくれたね》

「いえいえ、仕事では無いのにお邪魔してしまって。すみません佐藤先生、奥様」

「あらあら、私事となると途端に大人しくなってしまうのね、林檎ちゃん」

『この通り、仕事が無いと途端に、少しお邪魔させて頂いても宜しいでしょうか』


「勿論よ、はい、鈴木さんはウチの人と。林檎ちゃんは私と仲良くしましょうね」

《頼むよ林檎君、アヤメさんを宜しく》


「はい、お邪魔します」


 私は、全てから逃げた。

 けれど、子供の事を考えると、そう逃げてばかりではいられない。


 結局は、家族からは逃げられない。

 そう、死ぬまで。


 世間を騒がせた奔放な女の裁判に、私は召喚されている。


「もう、察してはいるだろうけれど、件の椿姫は」

「あ、僕、見学に行ってみたらどうかって提案されたんですよ。でも、抽選で運は使いたくないですし、新聞部に頼んでも無理だろうって。どうにかそうしたご縁、お知りじゃないですかね?」


 彼は敢えてなのか、ワザとなのか。

 どちらにせよ、私には有り難い事。


「実は有るの、行ってみる?」

「是非お願いします!」


「じゃあ、予定表を渡すわね」

「はい、やった、ありがとうございます」


 こんなにも無垢に、例え事実だとしても、それを作り物だと思ってくれる子。


 だからこそ、私は普通に過ごせている。

 あのアヤメだろう、とは誰も思わない。


 例え私を下地にしたとて、まさか、アヤメだとは思わない。

 それは彼がそう振る舞い、周囲が信じているからこそ。


 また、助けて貰う事になってしまうけれど。

 毒を食らわば皿まで。


 一生、林檎ちゃんには付き合って貰いたいわ。


「ふふふ、あの人と組んでみたの、どうかしら?」


「最高です、証人の付き添いごっこ、絶対に先生方の資料になれる様に頑張りますね」

「程々にお願いね、元は息抜きなのでしょう?」


「あ、ですね、はい」

「良いのよ、ウチの人から書く事を取り上げたらどうなるか、想像するのも怖いもの。そうね、偶には昔に戻るの、出版社に入る前のアナタに戻る」


「もう、ずっと勉強してました、社交術とか会話術の本漬けでした」

「ふふふ、仕事から離れるのは難しそうね。なら、私の護衛さんはどう?」


「はい!やります!」

「ふふ、宜しくね林檎ちゃん」




 僕は、暗黙の了解が大好きです。

 それこそ聞かないで良い事は聞かない、少し我慢するだけで、誰かが不幸にならず寧ろ幸せになる。


 それって、凄く素敵な事じゃないですか。


 だから僕は何も聞かずに、佐藤先生の奥様とごっこ遊びをしています。

 ただ、ココに会長のお知り合いでも有る弁護士先生がいらっしゃるんですが、乗ってくれる方なのかどうか。


「あの、林檎 覚です」

「知り合いの子に付き添いをお願いしているの、ほら、私だけでは心細いので」

『分かりました、ですが身分証の確認はさせて頂きます、同行頂く場合は書類に記載もしなければいけませんので』


「はい、どうぞ」

『では、拝見させて頂きます』


 そして僕の所在地だとか住所が記されたんですが、何も無し。

 良かった、僕の猿芝居に付き合って下さる良い方で、コレなら裁判も安心してお任せ出来そうですね。


「では、僕は買い出しに行って参りますね」

「はい、お願いね」

『では、先ずは大まかな流れを改めてご説明致します』




 林檎君が絡むだろう。

 但し、さして関わりが無いと言った風体で、と会長からは聞かされていましたが。


「ありがとうございます、質問は特には有りませんし、お任せ致します」


『聡明な方で助かります。ですが、林檎君は、どうなんでしょうか』


 実態を知らない以上、改めて問うしかない。

 この裁判は、作家先生のご家族も含め、守る事も重要視されているのだから。


「ふふふ、凄く良い子ですよ、良い意味で」

『分かりました、ではこのまま、続けますね』


「はい、宜しくお願い致します」


 本作品は、架空の物語である。


 コレが読めぬ文盲の何と多い事だろうか。

 そして、事実だとして、一体どうするつもりなのか。


 その先を考えず、顔も名も出さず、本来なら被害者である綾目と言う名の女性を批判する。


 物語と事実を混同し。

 顔すら知らぬ彼女を、正義の名を振り翳し、報道関係者と民間人が徒党を組み非難している。


 無意識に、無自覚に。


 なら、分からせれば良い。

 会長のそのお言葉により、全ては始まった。


 いや、椿姫の問題が露呈する前から、実は会長は既に用意されていたのかも知れない。




『本件は花山 椿の死に関し、黒木家の家政婦であった者の犯行にのみ依存するものか、若しくは他に外的要因が有るのかを検討する裁判です。宜しいですか、元黒木家の長女、綾目さん』


 この事件が起きる前、僕は黒木家の元当主、それと佐藤先生と出会っていました。

 そしてその事が後に繋がる、とは思いもせず。


 作家先生の為になればと、花山 椿に関して調べた事も有るんですが。

 正直、最初から最後まで、殆ど後味が悪い情報ばかりでした。


 花山家の綾目さんなる方は、妹である椿さんに名前を騙られ、評判を落とされていた。


 散財は勿論、男性との交友関係等。

 全てにおいて、妹さんは姉の名を貶め、結婚にすら影響を及ぼした。


 そして後に、ご長女様は離縁。


 その後、どうお調べになったのか、黒木家の家政婦さんが妹さんの所業を知り。

 お怪我を負わせましたが、命に別状は無かったそうで。


 ですが妹さんは、自死。


 その責任が、ご長女さんに有るか無いかを判断する裁判なんですが。

 訴えている方は、綾目さんのお母様でも有るそうで。


「はい、裁判長、了解致しました」

『本件はアナタの事を追及するワケでは無い事を、どうかご理解下さい』


「はい」


『では、審議を始めます』


 僕の予想とは違い、密室裁判でした。

 報道陣は厳選され、関係者席とは区切られており、その関係者席も更に区切られ。


 綾目さんは、顔が全く見えないすりガラスの囲いの中で、幾ばくか声が変えられていました。


 うん、良かった。

 全てが真実なら、綾目さんは単なる被害者なんですから、晒し者にされて良いワケが無い。


 そして仮に何か嘘が混ざっていたとしても、綾目さんは、何も悪い事はしていない筈なんですから。




《どうだった、と尋ねて良いんだろうか》

「正直、最悪でした」


 俺は安易に提案した事を、少し後悔していた。

 出来るなら、世俗の穢れを林檎君には受けては欲しく無い。


 人の悪しき面を知れど、感じ取って欲しくは無い、と。


《それは、災難だったね》

「と言うかもう、本当に。以降は所詮雑誌社だろう、と思われてしまうのかと思うと、凄く悔しいです」


《あぁ、裁判は大丈夫だったんだね》

「はい、司法が間違えば民間人も報道も、それこそ同族である筈の政治家すらも攻撃するんですから。そこは大丈夫だったんですけど」


 裁判所を出た直後から、戦いが始まったらしい。


 会長が何台かの車を用意し、各場所から同時に発車。

 そして更に、時差式でも発車させた。


 けれども向こうも人を動員し、時に立ち塞がり、時にドアを開けようとしたらしい。


《車の前に故意に立ち塞がる、若しくは悪意を持って走行の邪魔をした場合、罰則が科せられる筈だけれど》

「自由の侵害だー!報道の自由がー!と、はぁ」


《あぁ、下流ゴシップ誌が、実に下劣だね。そうした事も暴力の1つだと言うのに》

「はい、しかもそこに便乗し、民間の方まで酷い非難の声を上げていて。被害者の方がこんな風に傷付けられるなんて、本当に許せなくて、なのに何も言い返せない事が。本当に、不快でした」


 都会でも田舎でも、阿呆や馬鹿は、道理が理解出来無い。

 そして勿論、理解しようともしない。


《道理を理解すれば自分が困る、だからこそ理解しようともしないし、そもそも出来無い》


「以前なら、何とかすれば、と思っていたんですけど。はい、無理なものは無理なんですよね、例え死に掛けても」

《そうだね、根本も何もが違うと、成仏させる事は難しい》


「はぁ、すみません、確かに気は紛れたんですけど」

《鬱憤も溜めさせてしまったね、すまない》


「いえ、僕はもう、先生に感化されて貰う事にしました。僕のこの鬱憤を、先生方に昇華して頂きます」


《憂さ晴らしの怪談でも、と思ったんだけれど、要らなそうだね》

「あ、いえいえ、僕の知り合いにお願いします。この後、食事を買って宿に持ち帰るので、お付き合い頂けますか?」


《勿論、お相手が承諾したらね》

「はい」




 H家の長女の証言や証拠の提出により、H家次女とK家の家政婦の騒動において、Aさんの関与が無かったと認められ。

 即日棄却されました。


 無理も無い事です、あまりにも無理矢理な提訴内容でしたから。


 Tさんは事実無根の逆恨みにより殺された。

 そう訴えたTさんのお母様は、Tさんがして来た事は事実無根、単なるやっかみだ。


 との前提で提訴を起こし、Aさんに何とか罪を擦り付け様とした。


 殺されたのはAさんのせい、Aさんの指示によるものだ。

 若しくは示唆、誘導したのでは、と。


 報道関係でも起きた事件と同じく、示唆と指示、誘導が本当に無かったかが焦点となりました。


 ですが、家政婦さんはAさんの持つ証拠の存在を、全く知りませんでした。

 そして、その家政婦さんが知らない証明を、Aさんが行った。


 そこで更に証人が呼ばれたんです。

 何と、隠されていた場所から取り出した以降は、K家の現ご当主様の手元に有ったと。


 このままでは、H家とK家との争いになってしまう。


 そして棄却後、改めて話し合いの場が設けられたんですが。

 もし控訴すれば、各所からTさんの所業を更に知る事になるが、死者を冒涜する行為にならないかを再考すべきだと。


 そう裁判長に進言され、幾ばくかの証拠を閲覧後。

 元奥様は控訴を断念する、と絞り出す様に仰った。


 盲信と信じる事は違います。

 過不足無く情報を集め、精査し、そこに少しだけ今までの思い出を足す。


 割合としては、一つまみだけ。

 そうでなければ、情だけで判断する事になってしまうよ、と。


「お世話になっている大学教授に、そう物の見方を教えて頂いた事が有ったんですが。裁判用だったと気付いたのは、今日でした」


「ふふふ、本当に、不意に抜ける所が有るのよね林檎ちゃんは」

《ですよね、分かります、特に私的な事は本当にポンコツですから》

「仕事では、しっかりしてるって褒められるんですけどね?」


「仕事では、よね」

《ですね》

「でも、ちゃんと詐欺とかは見抜けますからね?」


「それはだって、お仕事用、って切り替わってるからよ。ねぇ?」

《ですね、しかも勝手に切り替わってしまう》


「でも、別に、良いじゃないですか?」


「ダメよ、ねぇ?」

《ですね、もしかすれば、本当に林檎君は一生独身かも知れない》

「えー?」


「折角、しっかりしている人だと思ったのに、仕事以外はパッとしない。だなんて」

《林檎君、そうフラれたんですよね?》

「ですけど、別に僕は、しっかりしてるぞとは言ってませんし」


「それでも良いって言って下さる方が居れば、良いのだけれど」

《どうでしょう、出産の日に先生方が倒れてしまったら、どちらに行くか迷うのが林檎君ですし》

「ぅう」


「作家の家族としては助かるけれど、私が妻なら嫌ね」

《どうしましょうか、一生独身かも知れませんよ》

「別に、死にはしませんし、そう言う神宮寺さんだって危うそうですし」


「ふふふ、そうね、何処かフワフワとしているもの」

「ほら」

《なら、独身連合を作り、結婚した際は裏切り者と呼ばれる事になる。と言う事にしましょうか》


「別に、結婚が嫌では無いんですけど?」

《勿論、僕もですよ》

「いつか、アナタ達も分かり合える人に出会えると。あらヤダ、もう出会ってしまっているからかしら?」


「神宮寺さん、同性婚が憲法違反だとして訴えて下さいよ」

《君には勿論、僕にも男色家の気は無い筈だけれど》

「あら残念ね林檎ちゃん」


「はい、非常に残念です」

《嬉々としてますけどね》


「えへへへへ」




 林檎君が付き添ってくれている、だからこそ心配が無い事は分かっているのだけれど。


《はぁ》


『先生、ココはどうか、林檎の良い所を思い出し耐え忍んで下さい』


 素直で、堪らなく無垢な時も有れば、驚く程に酷な面も有る。


 時に無邪気な子供の様で有ったり、時に初老の様な事も言う。

 そして現実的で、時に夢想家で。


 僕の、僕らの理想の読者でも有る。


《だからこそ、なんだろうか、彼を失うのは非常に怖いよ》


『僕達もです、明かりなんですよ、居ないとどうにもジメっとしますし』

《そうなんだよ、何処かカラっとしているんだよね、彼》


『ですがあの通り、仕事の事が関わらないと、酷く普通なんですよ』


《彼は、無事に結婚出来るんだろうか》

『拗ねると、結婚しなくても死なない、が口癖なんです』


《あぁ、大人げない》

『ですね、全くです』


《ふふふ、彼は一体、何なんだろうね》

『同僚は、アレはきっと本の妖精の生まれ変わりだ、関わらないと死ぬんだろうと言ってますよ』


《あぁ、本当に死んでしまいそうだ。どうか、林檎君を頼みますね》

『はい』




 本当に、林檎ちゃんは不思議な子。


《少し暗さを予想していたんだけれど、意外だね》

「だって、ふふふ、本当にあの子は不思議なんですもの」


 神宮寺さんを連れて来て、怪談話をするかと思えば。

 少しだけ、当たり障りの無い、最後の最後と感想を含めて言ったかと思うと。


 まるで兄弟喧嘩の様な言い合いをして、負けて、拗ねて。


 本当に、普通の子なのに、最後まで私を綾目では無くアヤメとして扱った。

 作家の妻、その見本になっただけ、のアヤメとして。


《都会は楽しかったかい》


「そう、まぁまぁね、やっぱりココが1番だわ」


 夫を膝枕にして。

 偶に脛の毛に意地が悪い事をする。


 それを許してくれて、笑ってくれる人が居る。


《ずっと、ココで暮らそう》

「そうね、ずっと、いつまでも」

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