駆け落ち者と逃げられた者。

 逃げられた、駆け落ちをする日に逃げられた。


 彼女からの手紙には、一言、ごめんなさいとの謝罪だけ。

 どうしてなのか、何故なのかも分からない。


 家の者に気付かれたのかと思ったけれど、家族も家族で彼女を探していた。


 彼女は何処に行ってしまったのか。


《お坊ちゃま》

『あぁ、ただいま』


 そして俺は家に戻り、いつも通りに過ごした。


 そうして数日経った頃。

 彼女が男と駆け落ちした、との噂を耳にした。


 俺では無い誰かと逃げたのだろう。


《お坊ちゃま》


『あぁ、今行く』


 許せない、せめてどんな男なのかだけでも知りたい。

 その一心で彼女を探させ、やっと、見付けた。




「あ、どうしてココに」


 言う事を聞かなければ、彼を殺す。

 そう脅され、私は男に同行した。


 腹違いの兄妹として、片田舎で暮らす事になった。


『その男と逃げたのか』


 私を脅した男は、彼の家に出入りしていた者、出稼ぎ労働者。

 彼らが帰る混乱に乗じ、私達は駆け落ちをするつもりだった。


 けれど、現れたのは刃物を持った出稼ぎ労働者だった。


 暴力は無かったけれど、彼は日を置いて私を2度だけ抱き、以降は兄妹として過ごした。

 私はもう、乙女では無い。


「はい」


 名家の一人息子を家族から取り上げ、自分達だけが幸せになる事が、本当に良い事なのか。

 子供にどう説明するのか、子供から祖父母を取り上げ、その分だけの何かを与えられるのか。


 そう、毎日の様に問われた。


 私には、考えも覚悟も足らなかった。

 浅はかで、不出来、だからこそ私は身を引くべきだった。


 この生活は、愚かな私への罰だ、と。


《どうか、妹を頼みます》


 そう言って私の兄だと名乗っていた者は、包丁で自らの首を刺した。




「なぜ」

《君を好いたからだ》


 生活に困った両親が、子供を手放した。

 そして後悔し、僕にいつか妹を探し出し、見守ってやってくれと。


 そうして僕は探し出し、見守った。

 都会の家で普通に暮らし、何も知らず普通に過ごす少女。


 御曹司に恋焦がれ、思いが通じると弾けんばかりに微笑む少女に。


 僕は、妬ましい気持ちと共に、恋をしてしまった。


「そんな素振りは」

《さようなら、僕の妹》


 首に刺さった刃物を抜き取り、僕は妹とこの世から、離れる事にした。




『そんなに、あの男を失って悲しいのか』


「それなりに、暮らしていましたから」


 男の持っていた身分証は偽物だった、そして名無しの自死遺体として処理される事になり、家の契約も無効に。

 彼女は家に住めなくなった、そして俺は彼女を実家に帰す、と言い連れ帰った。


 嘗て父が妾を囲っていた家に。


『あの男の何が良かったんだ』


 ただ黙ったまま、コチラを見ずに泣くだけの彼女に、腹が立った。


「やめて下さい!」


 激しく拒絶され、更に苛立った。

 裏切られたあの日を思い出し、彼女に腹立たしさも何もかもをぶつけた。




『やはり処女じゃないんだな』


 後ろめたさと後悔、悲しみと絶望の上に、その言葉が重くのしかかった。


「私が脅されていたかも知れない、何か理由が有ったのかも知れないとは、思っても下さらなかったのですね」


 彼は大きく目を見開き、僅かに身を強張らせた。


 あぁ、考えてもくれていなかったのか。

 ただ奪われたから、こうして奪っただけ。


 今まで、お慕いしていたのに。


『まさか、脅されていたとでも』

「彼は刃物を持って現れたんです、同行しなければアナタを殺す、と。夜伽は2度だけでした、それ以外は暴力も暴言も無かった。そして何より、私は身を引くべきなのだと分かったんです、子供から祖父母を奪い私達だけが幸せになる事が、愚かな行為だと。だからこそ、私は逃げ出そうともしなかった、浅はかな私への罰だと思ったから」


 私の独白に、彼は部屋を後にした。




『俺は、俺は』


 行為の最中、俺は思い付く限りの、それ以上の謗りを口にした。

 ありとあらゆる言葉を口にし、彼女を傷付けた。


 彼女が居なくなった理由も考えず、俺は恨みだけを募らせた。


《坊ちゃま》


『彼女は、脅されていたかも知れなかった、なのに俺は』

《もう、真実は彼女の中にだけしか御座いません、どうなさるかは坊ちゃま次第》


『彼女が、嘘をついてるとでも』

《いえ、坊ちゃまが再び信じるかどうか、どうなりたいかで御座います》


 彼女に復讐する為だけに、ココへ連れて来た。

 彼女を傷付ける為だけに抱き、口を開いた。


 彼女を、まだ、好いているのに。




『すまなかった』


 私は、もう、何も言う気にはなれなかった。

 もう私の初恋は終わってしまっているのだから。


 なのに、だからこそなのか、次の日には優しくし始めた。


 何の感慨も浮かばない、いや、浮かびはする。

 酷く不快で、酷く喜べない。


 何を今更、と。


 けれどもう、私は何も言わない。

 きっと何を言っても、彼は私の言う事を疑うだろう、私を手放さないだろう。


 彼が飽きるまで、私はただ黙っていれば良い。

 もう、何もかも、どうでも良い。


《どうか、せめて話し合いだけでも、どうかお願い致します》


 年老いた彼の側近、彼のお目付け役。


「アナタが逃げ出す手引きをしてくれれば良いだけ、では」

《それでは信用を失ってしまいます》


「妾になるか逃げ出すか、どっちが宜しいんですか」


《正妻になって頂く事は、難しいでしょうか》


 今更。


「はい」

《せめて、そうお伝え下さい》


「誰の為に」

《双方の為で御座います》


 双方。


 もう、良い。

 何も考えたくない。


「分かりました」

《宜しく、お願い致します》




 久し振りに彼女が口を開いた、が。


「正妻は嫌だと伝えろと言われましたので、お伝えします、嫌です」


 俺は、何を言われたのか全く分からなかった。

 彼女を正妻にしようと動いていたのに、彼女が拒絶したからだ。


『どうしてなんだ』

「好いてもお慕いしてもいないのに、何故そんな面倒を背負わねばならないんですか」


 冷たい視線で、冷めた表情で。


『事情を知ら』

「どんな事情が有ったか考えもせず、謗りながらも抱いた、酷い事をされたら酷い事をしても良いと仰るんですか」


『すまない、だが君を愛し』

「だからと言って私が許し、アナタを好くとでも、そんな浅はかで愚か者だと」


『違うんだ』


「何が違うのでしょうか、こう変えたのはアナタ。あの時、ただ私に何が有ったのかを尋ねて頂けていれば、私はまだアナタをお慕いする事が出来ていたでしょう」


 その言葉を聞き、俺は彼女の首に手を掛け。

 そのまま首を絞めた。


 けれど彼女は抵抗するでもなく、目を閉じるでもなく。

 俺の目を見続け、そのまま焦点を失い、息を吸い込む事は無くなった。




『やはり妾を持っていた家の子は、ダメですね、ココも人を入れ替えます』

《申し訳御座い》

「申し訳御座いませんで済む事では無いんですが、まぁ、精々悪しき見本としてココで働いて頂きましょう」


『辞めて、はい終わり、だなんて楽しか無いものね』

「はい」


《畏まり、ました》


 ただでさえ、妾を持つだなんて器用な事をする位なら、もっとお仕事に死力して頂きたかったのですが。

 どうにも、自分なら出来る、そう過信させる者が周囲に集まってしまうのが難点なのです。


 無能を持ち上げても、いずれ諸共に崩れ落ちるだけだと言うのに。


『あぁ、アソコに投書しておきましょう、昨今の駆け落ちに苦言を呈して貰いましょう』

「はい、畏まりました」


 駆け落ちと見せ掛け、事件に巻き込まれる、それは身分の差に関係無く起こる事。

 注意喚起の為にも、少し誇張してお書き頂きましょう。

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