第3話 幾人目かの婚約者。
『すまない、助かった』
「いえ」
他の女なら不機嫌になりそうな事が起こったにも関わらず、彼女は機嫌が良さそうに、ニコニコと。
一体、何を考え、思っているのか全く分からない。
『君は、どうして上機嫌なんだろうか』
「あ、おかしいですか?」
『いや、いや、不機嫌になってもおかしくはないと思ったんだが』
「どう、不機嫌に、どれで不機嫌になるのですか?」
『俺はあの女性と面識が無くはない』
「お助けになったのでしょう、悪い男に引っ掛かった女性を説得なさった、そして彼女は私を見てアナタに意地悪なさった。ふふふ、流石色男、流石遊び人と称されるだけはありますね。ふふふ」
彼女が、今までの女性とは全く違い、全く俺に気が無いと言う事がハッキリ分かった。
俺の言う通り、情愛を求めてはいない。
期待していたワケでは無いのに、裏切られた気がした、何処かで奢っていたのかも知れない。
何もしなくても女は寄って来る、と。
『発言を撤回し、もし情愛を求めて欲しいと言ったら、どうする』
「得られないとなると惜しくなったか、物珍しさでしょう。抱けば落ち着くかも知れませんから、そのままの条件の方が都合が宜しいと思いますよ?」
俺へ気が無い事を俺が悟ったと分かった上でも、情愛を求めない。
その事にも、どうしてなのか落胆の気持ちが湧いてしまった。
俺から拒絶したと言うのに、俺には、結婚の意思が無いと言うのに。
『あぁ、そうだな』
その日は彼女を家に送った所までは覚えている、けれどそれ以降は、どうやって帰ったのか。
『それが恋かどうかは、どうだろうね。寧ろ彼女の言う通り、単に興味を引かれただけ、惜しくなっただけかも知れないよね』
彼は男色家ながらに妻を据え、子を成した者。
俺の悪友であり、相談相手、内情を知る数少ない男の1人。
『どう、選別をすれば良い』
『何の目的で選別をするんだい、どうせ君に結婚するつもりは無いだろう、母親のせいでね』
母親のせいで、俺は女性を全く受け付けなくなってしまった。
そして、男色家になったのかと試そうとした事も有る。
だが俺は男色家でも無かった。
その事にも酷く落胆した。
もう誰も受け入れられないと、そう思っていた。
『試したい、確かめてみたいんだ』
『相手の女性にとても失礼だ、と綺麗事を言う気は無いよ、いざと言う時にダメになる男も居る。それに、意外と彼女なら受け入れられるかも知れない。相手は有名作家の娘、なら、そう何かを漏らす事は無いだろう』
『つまり、正直に言えと』
『例え話でも良いんじゃないかな、それで漏れたなら切れば良い』
今までの婚約者には言わなかった、言う前に俺の興味を失う様な事ばかりをし、言うなんて考えすら無かった。
けれど、今は迷っている。
この迷いを解く為、言うべきかも知れない、と。
『最悪は、頼んだ』
『勿論』
お父様の新作、とても切なくて淫靡で、心苦しかった。
幸せになる終わりでは無いから、きっとウケが悪いかも知れない。
いえ、もしかすれば批判ばかりになるかも知れない。
「はぁ、不安だわ」
「お嬢様、コレは禁忌を示す悪しき見本として名を残す為のモノ、なんです。だからこそ美しく、魅力的に描かれ、だからこそ批判や反発が起こる。殺人鬼の殺人の理由と同じです、何処かで感情移入し、理解するからこそ納得し時に反発する」
「帯は、許すべきでは無い、そうした文言をお願いね林檎さん」
「はい、頂きました」
父は過激と言われる描写も、それこそエログロナンセンス、なんのそのと。
様々な情愛、情念、情欲を奔放に書くお方。
だからこそ、私が作家の娘だとは知らずに、彼は婚約した。
今度こそ、父の事が原因で婚約破棄してしまうかも知れません。
『今日は、あまり、浮かない顔だが』
「少し、心配な事が、ただ、どうしようも無い事なので」
『何か気懸かりなら、聞かせて欲しいんだが』
出版前の事は、誰にも一切言ってはならない。
例え夫となる方でも、何処で漏れるか。
《あ、あの、
彼は、確か。
『君は何者だ』
《ぁあ、いや》
「あ、以前の婚約者の家にいらした書生さんですね」
《はい!そ、それで、その、先生に、読んで頂ただきたくて》
「出版社に持ち込みはなさいました?賞への応募は?」
《いぇ》
「ではお受け出来かねます、せめて何社か持ち込み修正を繰り返し、それでもお悩みでしたら先ずは私が。作家とは書く為に時間を割いている、その時間を使ってまで読むべき物なら、それこそ持ち込むべきです。知り合いの出版社の方をご紹介しましょうか?」
《本当に、読んで頂けるのでしょうか。預かり原稿を紛失されたら、僕》
「ではその場でお読み頂けるか確認なさったら宜しいんですよ、実際にも有りましたからね、配送人が手を付けてしまった事件。だからこそ、殆どの先生方は原稿を手渡しにする、紛失だけならまだしも盗作も困りますから。読み終わったら裏に日付けとお名前を貰うと宜しいですよ、松書房ではそうして下さいますから」
《あ、ありがとうございます》
「いえいえ、松書房なら林檎さんにご相談なさってみて下さい、忙しい方ですがとても真面目で不正が大嫌いな方ですから」
《すみません、急に来たのに、ありがとうございました》
「いえいえ、ご出版を楽しみにしておりますね」
『君は、本当に愛想が良いな』
「お客様かも知れませんし、私の愛想で売れるのなら安いモノですから」
『すまない、嫌味を言うつもりは無かったんだが』
「いえ、庶民の売り子でも無いのに、愛想が良いのは本当の事ですから」
不安で、上手く言葉が出ない。
情愛を求めるなと言われ承諾したけれど、嫌われたいとは思ってはいない。
本当なら、出来るなら仲良くして頂きたい。
けれど、父はエログロ作家とも呼ばれている。
父を嫌う様に、私を何も知らないのに嫌う人も居る。
どうせ奔放だろう、淫乱だろう、と。
『顔色が良くないが』
「私を嫌っても、父を嫌わないで下さい。父は愛や禁忌を書いているだけ、私達には優しいし、ちゃんとした父なんです」
言い訳ばかりになってしまうわ。
私も父も、それこそ嫌う人も、誰も悪くないと言うのに。
『誰かに何か言われたなら』
「いえ、すみません、今日はもう休ませて頂きますね」
顔色が酷く悪かった彼女を、コチラから誘うワケにもいかず。
かと言って向こうから何の連絡も無く、どうすべきか悩んでいた頃、悪友から急に呼び出しが有り。
『君、コレの事は聞いているのかい』
『いや、何も。ただ、最後に会った時に、父親を嫌わないで欲しい、と』
『例の件は言ったのかい』
『いや、顔色が悪く、言う間も』
『なら誰かが漏らしたか、調べられていたか、ココを読んでみなよ』
『君は、知っていたのか』
俺は母親に襲われた事が有る。
父が亡くなり不安定に、そして俺に代わりをさせようとした。
何かをされる前に祖母が引き離してくれたが、俺は女も男も受け入れられなくなってしまった。
その事を、彼女も、彼女の父親も。
「出版される事は知っておりました」
『どうして、いや、もう良い。婚約破棄だ』
「はい、承知致しました」
祖母が俺を悲惨な目に遭わせると言う事は、これだったのか。
《なんですか騒がしい》
『アンタがコレを教えたのか』
《何の事ですか》
『俺の事を教えただろう』
《いいえ》
『しらばっくれるのも』
《いい加減にするのはアナタです、家の恥を何処の誰に教えたと言うんですか》
『コレだよ!』
俺を破滅させる為、追い詰める為に、祖母もアイツらも。
《電話して参ります、大人しくしていなさい、良いですね》
どう言う事だ。
あの祖母が僅かに上ずった声で、慌てて。
まさか、アイツが漏らしたのか。
いや、アイツの弱みを俺も握っている、こんな事をするワケが無い。
なら、いや。
誰だ、何処から漏れたんだ。
「あのー、この度、我が社の作品について誤解が有るそうだ。と大戸川先生からお伺いしたのですが、コチラと致しましては、何を誤解なさっているのかサッパリでして」
目の前には、真っ白で真っ青で、全くもって生気を亡くされた大戸川先生の元婚約者様と。
祖母であり当主、そして後見人でらっしゃる老年の女性がおりまして。
と言うかお屋敷に呼ばれまして。
《あの作品は、どう作られたのかお聞きになっていますか》
「はい、お知り合いの方がモデルだそうですが」
《詳しく伺っていますか》
「はい、お母様を溺愛なさっている方で、妻を蔑ろにしていた方だそうです。その妻となった女性に当時は片思いしてらして、最近になってばったり会った時、思い付いたそうです。勝手に仲良くしてろ、彼女を巻き込むな、そんな苛立ちから生まれた作品ですが」
《こうした話を耳にし、書いたのでは》
「盗作のご心配でしたら有り得ません、先生は本当に憤ってらっしゃって、そのまま嫁姑問題として書こうとした程ですから。確かに母親と息子、そうした内容は世間には他にも有りますが、少なくとも先生の下地はその女性です。一緒に練り上げましたから間違い有りません、僕が敢えて母子を題材に転化させたんです、単なる嫁姑問題ではありきたりですから」
《苦情は無いのですか》
「有りますよ、いつも通りの内容で、先ずは俺の考えた通りの物語が書かれているがどうやったんだ。僕の事を無断で書くな、私の考えた作品と非常に酷似している。不謹慎だ、卑猥だ猥雑だ破廉恥だ、だから出したんです。コレは悪しき見本であり、忌むべき事、語られる事すら禁じては禁忌は忘れ去られてしまう。コレは明確にいけない事だ、として出すんです、知らなければ本当に禁忌を犯してしまいますから」
《その女性は、どうなったのでしょうね》
「この雑誌を叩き付け家を出たそうです、手紙と一緒にお渡ししたんですよ、幾ら嫌になっても離縁となれば誰かに背を押して貰いたいでしょうから」
《そう、人の役に立つ場合も有るのですね》
「勿論です、僕らは箸や包丁を売っているのと同じ、しかも見る人によっては包丁が箸に見えたりもします。包丁は人を刺さない、人を刺すのは人です、包丁に罪は無い」
《では、コレは箸ですか》
「いえ、人に刺さった包丁です」
《こうした経験をした者が、包丁を向けられたと訴えたなら》
「読む読まないは自由です、嫌になれば飛ばすか閉じれば良い、自分から箸に刺さりに行って怪我をしたと言われても。そうですか、次からはご自分で刺さない様にして下さい、としか言えません。読まなければ死ぬワケでも無いのに、敢えて読んだ、それは読者の選択で我々の責任ではありませんから」
《それでも、お忙しいでしょう》
「いえ、寧ろ弁護士先生や行政書士の方々ですね、中には脅迫も有ったので一斉に提訴している最中ですから」
《そう、御苦労様です》
「いえ、嫌う自由も有りますから。ただ、作品と先生の人格を混同なさらないで下さい。ましてや娘さんを、本当に良い方なんです、コチラとの契約で一切誰にも喋れなかった事だけはご理解下さい」
作家先生も、ご家族も守ろうとしている。
けれども完璧では無い。
それが、とても悔しい。
《ありがとうございました》
「いえ、では、失礼致します」
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