第2話 幾人目かの婚約者。

 洋装で男の格好をした彼女に手を引かれ、向かった先は陰間茶屋。


 どうして陰間茶屋なんだ。


「あ、以前、父に連れて来て頂いたのですが。私だけではダメだと言われて、でも凄く美味しいんですよ、お食事」


『ぁあ、そうなのか』

「はい、さ、参りましょう」


 確かに美味いは美味いが。

 時折聞こえる男同士の声が、どうしても気になってしまう。


『美味いは美味いが』


「何が気になりますか?」

『君は気にならないのか、声が』


「情愛が行き交ってらっしゃるな、としか、こうした茶屋は初めてですか?」


『いや』


「あの、私、逢引茶屋には、まだ父に連れて行って貰っていなくて。ココとはどう違うのですか?」


『君は、一体、父親とそんな所に行って』

「取材と食事、ですけれど、他にも何か出来るのですか?」


『取材』


「あ、知らないのですか?私の父の事」


逆井さかさい 太朗さん、だった筈だが』

「はいそうです」


『造船所で働いてらっしゃる筈では』

「はい」


『それが、どうしてココへ』


「どうしてだと思いますか、ふふふ」

『まさか、父親と致しているのか』


「あら凄い妄想力でらっしゃる、面白い。私の父は作家、大江戸 正歩ですよ」


 調査では出なかった筈。


『それが本当だとして』

「お知りでらっしゃらなかったからこそ驚かれるのは分かりますが、そう信用する気も無いのでしたら、婚約を破棄なさった方が宜しいですよ?」


『いや、すまなかった』

「雑誌社の担当さんに先ずはお引き合わせ致しますよ、それからウチへ来て下されば、信用出来ますよね?」


『あぁ』

「では、少しお待ち下さい、担当の方が出社してらっしゃるかお伺いして参りますから」


『あぁ』


 どうして調査から。

 いや、祖母は知っていて、敢えて黙っていたのか。


 何故だ。




「あ、お久し振りですお嬢様」

「ご機嫌よう林檎さん、彼が新しい婚約者よ」

『宜しく、お願い致します』


 確か、お嬢様の、4人目の婚約者。

 ですかね。


「どうぞ宜しくお願い致します」

「それでね、どうやら彼は父の事を知らなかったみたいなの、だから証明する為に先ずはアナタに会社でお会い出来たらと思って」


「成程成程、では僕だけでは不足でしょうから、会長に」

『いえ、何か事情が有って伏せられていた事かも知れませんので。ご迷惑お掛け』

「あ、そうよね、父の本を嫌う人も居るのだものね」


「まぁ、通俗本と揶揄される事も有りますが、浅く読む者の感想ですから気にしては先生が悲しまれますよ」

「そうよね、そこにちゃんと愛が有るもの、ふふふ」


『君は、読んでいるのか』

「勿論よ、けれど、そうした本を読むのは淫売だと思われます?」


 凄く戸惑ってらっしゃる。

 本当に知らなかったのでしょうね。


「お嬢様、流石にマトモな方なら面と向かってハイ、とは仰らないかと」

「あ、ごめんなさい、いつも率直過ぎると良く叱られてしまうのに。ごめんなさいね」


 お嬢様は作家先生のご家庭で素晴らしくお育ちになったから、男色も女色にも深いご理解を示してらっしゃっていまして、それこそ緊縛絵師の小夢先生の絵も評価して下さる素敵な女性でらっしゃるんですが。

 どうにも、合う男性に恵まれずで。


『いや、早速家に帰り確かめさせて頂きます、大変失礼しました』

「いえいえ、どんな方も持ち込みも歓迎しておりますので、いつでもお待ちいたしております」

「ふふふ、ありがとう林檎さん」


 おっとりしてる様に見えますが、とてもしっかりしてらっしゃる方で、素晴らしい方なんですけどね。




『おばあ様、どうして教えて下さらなかったんですか、小説家の娘だと』

《言えば、お前はそう見たでしょう、そう見られたくはないとのお相手からのご要望なのよ》


『ですけど、なら、調査書が』

《造船所で今でも勤務なさっています、それに良く考えてもみなさい、大作家先生の娘ともなればどの様な目に遭うか。そこをお考えの上で作家名を使い、造船所の方々も在籍となさり、造船所でのお仕事もなさっているのです。それに、アナタも偽の名を使い、女を漁っていたでしょう》


『漁ってなど』

《軽薄な女かどうか試しては捨て、試しては捨て、刺されなかっただけマシですが。婚約者が居るのです、暫くはお控えなさい》


『既に控えていますが』

《ではお座敷の女性は誰でしょうかね》


『あれは、知り合いの女性で、既に既婚者です』

《で、また、女性を試した。訳は分かりますが、信じようとしないのなら永遠にアナタに優を貰う女性は現れないでしょう。信じたく無いのなら破棄なさい、花盛りを手折る様な事が有れば、例えアナタでも容赦しませんよ》


『廃嫡ですか』

《いえ、それよりも恐ろしい目です、下がりなさい》


『はい』


 今まで黙っていたのに、今更。

 いや、確かに相手を蔑ろにすれば、それこそ出版社が動くかも知れない。


 それは流石に俺の望む所では無いが。

 家の存続の為、敢えて俺を廃嫡にせず、それよりも恐ろしい目とは一体。




「もし自分に不出来な孫が居て、けれども敢えて廃嫡せず、恐ろしい目に遭わせる。とは、どういった内容か、ですか」


『あぁ』


「あ、男に抱かせ子種袋にしてしまうのでしょう、女を抱けない男に良く取る手段だそうですよ』


『あぁ、そう言う事か』


「不能でらっしゃるのですか?」


『はぁ、君は』

「あ、すみません、率直過ぎましたね」


『いや、だが、良く平気でそうした事が言えるな』

「婉曲表現では誤解を招くかも知れませんし、言わないなんて有り得ません、私だけでなく家族の人生も掛かっているのですから」


『あぁ、そうだな』


「どう、なさりたいのですか?このまま、お互いに契約内容を提示し、摺り合わせだけを行えば良いのでは?」


『提示した段階で足元を見られる』

「成程、確かに契約とは難しいものですね、ちょっとした何かの証拠にもなってしまいますし」


『君は、どうしたい』

「幸せになりたいですね、ふふふ」


『少し、散歩に行こうか』

「はい」


 お屋敷に来て下さって、お散歩に誘って下さいって。

 情愛を求めるな、と仰ってらっしゃったのに。


 もしかして、私の考える情愛と彼の考える情愛に、かなり違いが有るのかも知れません。

 ただ、どうお尋ねすれば。


《酷い!私とは遊びだったのね》


 彼に飛び掛かったのは、お座敷でお会いした方とは違う女性。

 流石、色男で遊び人と噂されるだけはありますね。


『君とは何も無い筈だが』

《あんな男とは別れろって、だから私別れたのに!何故なの!どうして……顔ね、顔よね、どうせ私は》

「あの、確かに私の顔は少し派手ですが、地味なお顔立ちを好む方も居りますし。それにアナタは言う程でも無いかと、お化粧で化ける、と評される様なお顔立。お化粧で大して変わらず整っていると評されない方でも、結婚なさっている女性が居ますが、ご紹介差し上げましょうか?」


《だとしても、私は彼が》

「ではこうした泣き落としに絆される方であって欲しいのですか?それだと更にアナタよりも恵まれないお顔立ちの方が泣き付いたら、奪われてしまうとは思いませんか?」


《ぅう》

「アナタの知る彼は、そんな軽薄な方なのですか?」


《でも》

「もし彼を得るとしましょう、アナタの身分、才能、そしてお顔立ちを卑下せず。あの大棚をアナタは1人で切り盛りする事が出来ますか?疲れて帰って来た旦那様の浮気や心移りを心配せず、優しく出迎え微笑む事が出来ますか?」


《ぅう、いぇ》

「この婚約とて破棄になるかも知れません、先ずは身を立て自信をお持ちになる事が、最も短い道のりになるかも知れませんよ」


《すみません、どうしても、悔しくて》

「では私に負けない素敵な女性になって下さい、きっと彼も振り向く筈ですよ、彼は中身も吟味する方なのですから」


《ごめんなざぃ》


 今までの婚約者の方では、こうした事は起きなかったのですが。

 相手が変わるだけで様々な良い事が起きる、もしかすればコレは大変良い御縁なのかも知れません。

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