第2話 孤児と元令嬢。

『素敵な刺繍だね、ありがとう』

「いえ、お気に召さなければ仰って下さい、好みでない物を身に付けるのは気分の良いモノでは無いでしょうから」


『問題無いよ、使わせて貰う、ありがとう』

「はい」


 老緑の生地に、カキツバタの刺繍。

 使うと言って下さったけれど、洗いに出される事も、箪笥にも無い。


 地味な色合いになる様に、色合いを少し落としたのだけれど、やっぱり派手に思われてしまったのだろうか。

 もっと、普通に、白地にカキツバタにすれば良かったのだろうか。


 それとも、そもそも私の刺繍の出来が。


『そろそろ寝ようか』


「あの、やはり派手でしたか、刺繍」


『いや、白地で無い事は驚いたけれど、良い色柄だと思っているよ』


「でも、お持ちになってらっしゃらない気がして」


『実は、自慢したらアイツに取られたんだ、昔からそうした事をするヤツなんだよ』

「あ、そうなんですね」


『直ぐに取り返すから待ってておくれ』

「あの、あまり関わりたく無いのでしたら構いません、また縫えば良いだけですから」


『そんなワケにはいかないよ、必ず取り返すから待っていておくれね』

「はい」


『もう寝よう』

「はい」


 私は、とても嬉しかった。

 私の刺繍を自慢して下さって、取り返そうとして下さっている。


 それがとても嬉しくて、私は、初夜以来何も無い事を何とも思ってはいませんでした。

 私がこの家に馴れるまで、ただ待っていて下さるだけなのだと。




《お邪魔してます奥様、コレ、お渡しに来ましたの》


 見知らぬ女性に玄関口で差し出されたのは、カキツバタの刺繍が入ったハンカチ。


「どうも」


《それじゃ、失礼致しました》


 甘い香り。

 旦那様の移り香は、彼女の。


「あ、もしかしてお取り引き先の方」

《コチラで手配しておきますので、お任せ下さい》


「はい、すみません、とても妖艶な方で見惚れてしまって」

《奥様も十分にお美しいですよ、もう少しお年を取ればきっとなれますよ》


「あの様になれる気がしないわ」

《まぁまぁ、奥様には奥様の魅力が有るのですから、宛名書きに戻りましょう》


「そうね」


 今、少しだけ旦那様のお仕事を手伝わせて頂いています。

 小さい事ですが、量が量ですので、お手伝いさせて頂いています。


 こんな小さな事しか出来ず、お取り引き先の方をもてなさず返してしまい。

 私は、今度こそ怒られてしまうのでしょうか。


『アレは、アイツの女だろう』


「あ、そうなんですね」

『ココへ来る様なのはトメが把握しているから、心配は要らないよ』


「そうなんですね、すみません、お役に立てず」

『良いんだよ、君はココに居てくれるだけで良い、僕の傍に居てくれるだけで良いんだよ』


「ありがとうございます」


『もう、寝ようか』

「はい」




 彼女からの嫉妬は、全く無いらしい。

 それがまた酷く苛立たせる。


 僕はそれなりに気を向けているのに、だからこそ夜伽の誘いを敢えてしないのに。


 彼女は全く意に介さない。

 コチラの駆け引きに、全く乗らない。


 コレはもう、このまま妊娠させた方が良いのかも知れない。

 運良く妊娠すれば、家から出さないで済む、例え直ぐに妊娠しなくとも家から出さない口実にはなる。


 妊娠さえすれば、バレても逃げ出さない筈だ。


『おはよう、相変わらず早いね』

「おはようございます、旦那様も今日は早いですね、起こしてしまいましたか?」


『いや、子供を作ろう、おいで』


「はい」


 大丈夫、彼女を逃す事は無い。

 例え跡継ぎにはなれないとしても、家を追い出される事は無い筈だ。




《やぁ、刺繍はどうだった》

「あ、返して下さってありがとうございます、綺麗なお相手ですね」


 俺は全く、感知していないんだが。


《あぁ、だろう》

「甘い香りを纏って、妖艶で。あ、あの、どうして、塀の上に?」


《君の様子が気になってね、アイツは素直じゃない所が多いから心配していたんだよ》

「そうなんですね、でもご安心下さい、赤ちゃんを作ってる最中ですから」


 あぁ、だから表も裏も厳重だったのか。


《そう、頑張ってね》

「はい、本当にありがとうございました」


 可愛くて良い子なのに。

 もしかすると、あの子はアイツに捨てられる。


 理不尽に、不条理に。


 なら、俺が貰っても良い筈。

 俺なら、どちらに転んでも捨てない。


 今までは友達に良かれと思ってちょっかいを出していたけど、今回は俺の為、彼女の為に。




『はぁ』


 とうとう、あのクソお坊ちゃんが仕掛けて来た。

 僕の結婚祝い、そして妻のお披露目会を催す、と。


「あの、私が不出来なばかりに」

『いや、君には問題無い、何も問題は無いんだ』


 問題は僕だ。

 この機会に、必ずしも誰かが彼女の耳に入れる筈だ。


 跡継ぎになる為に、良い飾りとなる妻を娶っただけだ、と。


 そして彼女はアイツに泣き付き、僕は何もかもを失う。

 ここで言わなければ、確実にそうなるだろう。


「あの、もし良ければ私の具合が」

『以前、君にアレは他人のモノを欲しがる癖が有る、と伝えたね』


「はい」

『今度は君が良いらしい』


「何故でしょう、あんなに美人なお相手が居るのに」


 そうだった、その問題も片付け無いといけなかった。


『飽き性なんだよ、相手を直ぐに変え、他人のモノを欲しがる』


「あの、実は先日、堀の上にいらっしゃったのですが」


 迂闊だった。

 正門と裏口は固めていたのに、見回りの間を読まれて既に再度接触されていたのか。


『何か言われたのかい』

『旦那様は素直じゃないので心配だ、と、なので赤ちゃんの事をお伝えしたんですけど』


 あぁ、だからか。


『君が身重になる前に、奪うつもりなんだろうね』

「何故、私なんでしょう」


 どうせ、跡継ぎの座を降りたいからだろう。

 程々に稼ぎ、程々に生きたい、それがアイツの信条だ。


 そこそこの家の娘だった、しかも事情を知って助け舟を出したとなれば、勘当はされず程々の座に収まれる。

 だから嫌だったんだ、だから知られない様にした筈が。


 何処から漏れた、誰から。


 いや、今は目の前の彼女だ。

 今のうちに言い聞かせておかないと。


『君の良さがバレてしまったんだろう、だからこそ、こうした場に行けば僕らを引き裂こうとする者が必ず現れる。僕の言う事以外、信じてはダメだよ』


「はい」




 結局、赤ちゃんが出来ず月経が来てしまい。

 その1週間後、月経が落ち着いた今日まさに、様々な方々とお会いする事に。


《やぁ、良く来たね》


「あの、本日はお招き頂き、ありがとうございます」

『もう良いだろう、行こう』

《はいはい、また後でね》


 私に人を見る目が有る、とは自信を持って断言は出来ませんが。

 あの方は、悪い人では無い気がするんですが。


 田舎育ちの私には分からない裏を、持ってらっしゃるんでしょうか。


 なら、もしかすれば旦那様にも。

 私の知らない一面が。


《あら、どうも》


『なっ、どうして君がココに』

《招待されたからですわ、ご機嫌よう奥様》

「先日はありがとうございました」


《ふふふ、いいえ、良いのよ。じゃ》

『待ってくれ、君は一体』


《あら、また以前の様に、奥様をほっといて宜しいの?》

『チッ』


 あ、舌打ちなさった。

 旦那様上手ですね、舌打ち。


「あの」

《では、ご機嫌よう》

『すまない、彼女も敵だ』


 私にはもう、全く分かりません。

 きっと人を見る目は皆無なのでしょう。


「そうなのですね。それにしても、良く彼女だとお分かりになりましたね」


『ぁあ、ハンカチの礼を届けた時にね』

「そうでしたか、大変ご迷惑をお掛けしました」


『いや、良いんだよ、元は僕が無くしてしまったせいだからね』


 無くした。


「あの、確か、奪われたと仰って」

『チッ』


 舌打ちに、不機嫌な表情。


「あの」

『些末な言い間違いを、君は随分と細かいんだね』


「申し訳御座いません」


『はぁ、すまない、君に疑われる事がこんなにも不快だとは思わなくてね。ココに座っていてくれ、飲み物を持って来るよ』


 私は、何も疑ってなど。

 いえ、今まで見た事も無い位に苛立ってらっしゃる。


 ココは何も言わないでおこう。


「はい」




 どうしても、苛立ってしまう。

 疑われた事は勿論、迂闊にも下見もせずに洋装を着せてしまった事だ。


 思いのほか、似合ってしまっている。

 それに化粧も、少し濃くしただけで、ココまで化けるとは思わなかった。


 アレが惹かれて当然だ、普通の女はもう飽きているだろう。


 こう変幻自在で、夜伽の反応も良い。

 女の扱いに慣れているアレに、きっと彼女は直ぐにも落ちるんだろう。


 もう少し、手間を掛けてやれば良かったか。


『すまない、君があまりにも美しくて神経が過敏になっていたらしい』

「いえ、私は御仏に仕える身でもあります、他の方に靡くなどは有り得ませんのでご心配なさらないで下さい」


 貞淑で、真面目。

 けれども夜伽では堪らなく淫靡。


 もっとガサツなら、もっと性格が悪ければ。

 もっと躾けられていたら、もっと立場を分からせられた筈だった。


 ならきっと、縋れば捨てはしないだろう。

 慈悲の心に縋れば。


『けれど、もし僕が居なくなったなら、きっと他に嫁いでしまうんだろう』

「そんな事は、私は寺院に戻って、再び御仏に仕えるだけです」


 熱心なのは良い。

 けれども腹立たしい。


 僕だけを、支えにしてくれれば良いものを。


 いや、寧ろコレで良い。

 もし彼女が逃げるとするなら、あの寺院なのだから。


『僕を捨てないでくれ、何が有っても』

「はい」


 思ったよりも彼女の傍は居心地が良い。

 だから余計な手を出してくれるな、邪魔をしないでくれ。

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