第3話3 誰そ彼の娘と警官。

 お座敷に呼ばれる事は珍しくない、少し相手をするだけで良い金にもなるし、他の芸姑さんも居る。

 そうしていつもの様に向かった先には、彼らが。


『あら、お元気になったんですね』


「そう言う事だ、俺らは隣に行くか」

『そうだね、じゃあ、ごゆっくり』


 目の前には、愛しい人。

 けれど、彼には記憶が。


 まさか。


『あの』

《先ずはコレを読んで欲しい》


 渡されて直ぐに目に飛び込んできたのは、暴力団の文字。

 そして。


 私が、広域指定暴力団、坂田組の娘。


『それで私に近付い』

《違う、知ったのは後からだ》


『そんなの、どうとでも』

《警官を辞めても良い》


『そんな事し』

《仕事だけなら他に幾らでも有る、警官をしなければ死ぬワケでも無い、親に縁を切られるワケでも無い。と言うか、親に縁を切られて、死ぬワケでも無いしな》


『全部捨てられたって困るのよ』

《君に居なくなられた方が困る》


『何で、思い出さない様に』

《覚えていない、知って、君に惚れ直した》


『本当に?アンタ無理して』

《思い出そうとも考えたが、利が無さそうだったんでな。だから君の事だけ新たに知って、惚れ直した》


『思い出しちゃうかも知れないじゃないか』

《ならまた忘れさせたら良い、盛られていた薬と薬酒の詳しい配合だ、俺に盛って上書きをすれば良い》


『そんな事をして、嫌われたく無い』

《君じゃないから抗ったんだと思う、君ならきっと、俺は喜んで受け入れる》


『嫌ったら、捨てるわよ』

《俺が俺に盛って、また忘れて会いに行く》


『そんなんじゃ、警官は無理よね、毎度毎度忘れるなんて』

《仕事は生きる為の1つの手段だ、君が望むなら幾らでも変える》


『じゃあ、変えないでと言ったら、どうするの』


《父親に、家族に会わなくても良いのか》

『あ、それよ、詳しく教えてくれないと考えようも無いわよ』


 紙には、私の戸籍だろう謄本の写しと、僅かな調査内容だけで。

 なのに、彼はジリジリとにじり寄り。


《しながら教える》

『ちょっと、どっちかにしてよ』


《言えばさせてくれるのか》


『アンタ私の、何が良いのよ』

《顔も声も体も、匂いも良い》


『中身の事を聞いてんのよ』

《俺の為に、会わずに堪えていてくれた。盗みも辞めて、真っ当になろうとしてくれていたろう、俺の為に》


『それは、アンタに脅されていたし、もう盗みをする必要が無いからってだけで』

《嫌なら言ってくれ、俺の身に何が有ったのかは全く分からない、ただ君が喜べる様な事は起きなかっただろう》


『それは、それは別に、私だって処女じゃないんだし』


《それは、俺が奪ったんだな》

『違っ』


《俺は覚えて無いが、俺が奪ったなら余計に》

『違うんだってば』


《なら証拠を出してみろ、証人でも良いぞ》

『嫌だ、ちゃんと話してくれなきゃ困る、アンタに警官を辞めて欲しいなんて思っていないんだ』


《分かった》


 私は妾の子、組長の妾の子だと知った。

 母は良い家の娘で物知らずに育ち、組の者とは知らず子種袋に抱かれた。


 そして騙されたと知った母は、私を抱いて身投げしようとした。

 そこで組のかかりつけ医に止められ、事情を全て話し、匿って貰った。


 けれど、直ぐにバレ組長は医者を殺した。


 一晩経っても帰って来なかったら、逃げろ。

 母は私を抱えて逃げたが、ひ弱なご令嬢は直ぐに組の者に捕まった。


 そうして不幸は数珠繋ぎに連なり、母は組の者に手籠めにされた。


 けれど孕んだのは、月日からするに医者の子。

 このままでは殺される。


 そう思ってなのか、母は男を刺し、男も母を刺した。


 私は、乳が出なくなった母の代わりに、長屋の女に乳を貰っていたらしく。

 2人が死んだ後も、暫く長屋の女に育てられていたらしい。


 けれども長屋の女も不幸に遭った。

 強盗に襲われ、私を攫われた、それを訴え出る事が出来なかった。


 それから気紛れに強盗一家に育てられ、けれど、そこでも内部分裂が起きた。

 1人の男が私を手先にする為に育てた、その男こそ、私を育てた父。


 ココから先は、もう知っている事だけれど。

 父の病気も何もかもが、嘘だった。


『アンタ、良く調べたね』

《俺だけじゃない、知り合いの金持ちにも頼んだ》


『ちょっと、恩を返さないと』

《好いたなら矯正しろ、その手伝い、慈善事業だ。と言っているが、気になるか》


『そら、まぁ』


《君の母方の家の人間も探している、ただ、どちらにせよ君が自分の出生を認める事になる》


『もし、子供が出来たら、どっちが良いんだろうね』

《医師の子だとするそうだ、医者は協力させられていただけ、一人息子で今は血筋も財産も残っていない》


『でも、だからって』

《どの道、母親に汚名を着せる事になる、だがどちらがマシかだ》


『私は、実は母が本当に好きだったお医者先生の娘』

《そうすれば、俺が警官を辞める必要も、君が身を引く必要も無くなる》


『けれど、私、なんだか貧乏神みたいで』

《最初は母親が元凶だ、もっと言えば家族の躾けが悪かった、他の者も自業自得だ》


 長屋の女は、手癖が悪く離縁の際に子を手放すしか無かった、乳飲み子と引き離された。

 そこに私が現れ、喜んで世話をしてくれたらしい。


 けれど、だからこそ、言えなかったと。


『誰かが、1人でも真っ当な事を、正直に言ってくれていたら』

《もし、そうなっていたら、君は組の娘として育てられていただろうな》


『あぁ、何処かで足が付いてたか』


《どうする、どうしたい》


『アンタと結婚したいよ、けど』

《何とかする、俺と俺の知り合いを信じろ》


『本当に、任せるからね』

《あぁ、任せろ》




 結局、俺は記憶が戻らないまま、相変わらず交番勤務をしている。


『おうおう、元気そうじゃないか』

《はい、先輩こそお元気そうで何よりです》


『もう、痛まんかね』

《はい、お陰様で》


『奥方とは幸せにやっとるか』

《はい》


『いやね、実は娘に贈り物をと思ってね、上がったら少し付き合ってくれないか』


《妻に、少し遅れると連絡させて頂いても宜しいでしょうか》

『おうおう、連絡しておけ、終わったら刑事課に寄ってくれ』


《はい》


 どうやら先輩は俺の為に、買い物に連れ出してくれたらしい。


『あ、お帰りなさい』

《結婚記念日には、贈り物をするらしい》


『あら、何処の悪友の入れ知恵かしら』

《いや、先輩だ》


『もー、お礼を何かしないと』

《洋菓子がお好きらしい、刑事課に行った時に、食べかすが付いていた》


『なら後で良く選んで、贈らないとね』

《あぁ》


『どうしたの?真剣な顔をして』


《君こそ、無理をしているんじゃないか、心配になった》


『まぁ、夜伽を上手にこなされると、少し思う所は有るわよね』

《それは俺も同じなんだが》


『そりゃ私はアンタで熟知させて頂いたもの』


《俺が、俺に嫉妬しているんだが》

『私が体で覚えたんなら、アナタも体で覚えてたのかも知れないわね』


《何をすれば、そう思えるのか、後で試させてくれないか》

『はいはい、先ずはお風呂、それからゴハン。その後ね、お腹減ってるの』


 妻は、俺の事件の事は無かったも同然の様に振る舞ってくれている。

 俺が汚されたと知っても、童貞は私が奪ったから、と。


《分かった、秒で済ませてくる》

『ちゃんと洗って頂戴ね、ソッチも食べるんですから』




 警官が攫われた事件は、広域指定暴力団の主導で行われたが、無事解決済みだとの記事が大々的に載せられた。

 そして件の警官の方は、記憶を取り戻してはいないものの、勤務には問題が無いとして復帰しているそうで。


 ですけど。


「どうなんですかね、女医先生、本当に記憶が戻らないままなんて有るんでしょうか」


《あら、林檎君はどう思うのかしら》

「そりゃ、出来たら記憶が戻らない方が良いな、とは思いますよ。でも、匂いで思い出すって言うじゃないですか、不意に思い出すって」


《なら、それを知っていて、敢えて嗅ごうとしなければ》

「あ!確かに、けど、そんな事出来ますかね?」


《警官なら、出来そうじゃない?それこそ嫌な記憶を植え付け無い為の訓練、とか、してそうよね》

「あー、確かに、確かにそうですね」


《まぁ、患者が思い出していないと言うのなら、医者はそう診断する他に無いのよ》


「例え犯罪者でも、ですか」


《正しい医者なら、身分に関係無く治療すべきだもの、適切な治療をするだけよ》


 思い出させなければならない場合の、適切な治療って、一体どんなモノなんでしょうか。


『また、俺の女房と乳繰り合いやがって、ほれ』

「先生、相変わらず見事な仕上がりですね」


《ふふふ、絵が乾くまで暫く有るわ、スイカのお代わりはどう?》

「頂きます」


 絵師先生、女医先生を好き過ぎて、こうしてスイカを切る時もべったり。

 暑い中、熱々でらっしゃる。


《はい、どうぞ》

「はい、頂きます」


 うん、甘い。

 前回より更に甘くなって、もうすっかり夏ですね。


《折角だし、もう1つ話してくれないかしら》


「あー、じゃあ、記憶繋がりで。恋愛作家先生が書いた、孤児と元令嬢って覚えてますかね?」


《あぁ、はいはい》

『そのツーカーの仲みたいなの止めろ』


《じゃあ読んでみなさいよ、前回のよ》

『どれ、読むか』


《もう、ふふふ》


 後ろから女医先生を抱えて前号を読み始めたんですが、本当に、暑くないんでしょうか。

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