第2話 警官と男達。

「どうだ」


 全く、思い出せない。


《手帳で確認した限り、俺が攫われる少し前からの記憶が、全く無い》


「それだけ、お前自身が思い出させない様にしてるかも知れない、とは思わないのか」

《無い》


「いや考えろバカが、誰にだって消したい記憶の」

《無い》


「好いた女が居たとする、もし、お前が汚されたなら、お前は自分自身を許せるのか」


 俺が、汚された。


《俺は、童貞じゃないのか》

「童貞でも処女でも無くなってたらどうするんだ」


《処女?》


「男にも穴は有るだろ、衆道穴だ」


《俺は、そこまで》

「知らん、患者の情報までは知れん」


《どう、処女かどうか》

「確かめてどうする、それこそ童貞かどうかもだ」


《記憶が無いとして、俺は、童貞なのか》

「それはお前がどう思うか、相手がどう思うかだろう」


《お前は知っているんだろう、俺に相手が居たか、誰が相手なのかを》


「知ってお前が傷付くなら、相手の為にならないなら、俺は教えないだろうな」

《巫山戯るな!なら何故アレを渡した、何故》


「お前に選ばせているんだ、思い出すべきかどうか、考えさせているだけだ」


《考えるも何も》

「どうして表立って女の記録が無い、全く無いのはどうしてだ」


 誰にも言えない相手。

 いや、だが俺は警官だ、どうしてそんな相手を。


《仮にだ、どうして俺は》

「惚れたからだろう、惚れたら大概の事を問題だとは思わなくなる、お前もそうなったのかも知れない。だが、相手が悪かったのかも知れない、お前の事件はその女絡みの可能性だって有る」


《俺が監禁された事と、関係が》

「だからこそ身を引き、会いに来ない、だとしたらどうする。相手の善意を無に帰すことになるんだぞ」


《俺は、そこまでの事をされたのか》

「だと思う、酷い有様だったとは聞いている。お前も警官なら分かるだろう、男に襲われた娘さんが、男に恐れおののく様になる。お前にそうなって欲しくは無いんだ、警官であり続けたいだろう」


《俺を監禁したのは、女なのか?》


 勝手に、そう考えていた。

 勝手に女に監禁されていた、と。


「知ってどうする、知ってどうなる」


《お前は、俺を守る為に隠しているのか》

「事件の事なら、いずれお前に分かる筈だ、問題は知りたいかどうかだ」


《知りたい》


「はぁ、だから良く考え」

《俺はそんなに弱いか》


「いや、だが」

《俺を信じてくれないなら良い、手を引いてくれ》


「あー、もう分かった分かった、拗ねるな拗ねるな。と言うかいい加減、俺を組み敷くのはやめろ」

《本当に教えるなら手を離す》


「離せば話す」


『あのー、お届けも、あら、失礼致しまして』

《違うんだヤヱさん》

「助けてヤヱさん」


『まぁまぁ、喧嘩する程仲が良いのは宜しいんですけど、程々になさって下さいね』

「ヤヱさん、コイツから預かり物有ったろ、それで揉めてるんだ」


『あぁ、それで。はいはいはい、じゃあ先ずはコレね、お茶とお菓子』

《すみません、ありがとうございます》


『じゃあ、ちょっと待っててね』




 俺も寮母のヤヱさんの事は知っていたのに、迂闊だった。

 すっかり頭から抜けていたが。


「あぁ、コレだけでしたっけ」

『そうよ、信頼出来るのは私だけだって』

《すみません、ありがとうございます》


『良いのよ、大切なお相手の事だものね、ふふふ。じゃあ、もう部屋に戻るから、喧嘩しないでね』

「はい、すみませんでした」

《はい、すみませんでした》


 目の前には、女が恋文に使う様な封筒が束になっており。

 宛先はコイツ、送り主には例の女が。


 ただ、どう見てもどちらの字もコイツのモノ。


「さ、開けるか」


《いや、読んでくれ》


「分かった」


 俺が知っている事は僅かだ。

 何処の女に惚れ、名は何と言うか、何処に惚れたのか。


 けれど、その恋文を模した中には、更に詳しい事が記載されていた。

 彼女の出生、不運にまみれた人生が。


《どうだ》

「間違い無い、いずれ女に警察も辿り着く筈だ、ただ」


《何だ》


「まだ間に合う筈だ、どうする、完全に独断で」

《頼む、俺が好いた女が苦しむなら、止めてくれ》


 きっとコレは、記憶が有っても無くても頼んだ事だろう。

 それまで無碍にするのは、コイツの意思を捻じ曲げる事になる。


「分かった、俺が渡せる女の情報を渡す、俺に任せろ、良いな」

《分かった》


 かなり手間暇だ金が掛るだろうが、まぁ、俺も女に自慢が出来る。

 しかも良い警官を守れるなら、安いものだろう。




『で、見に来てしまったワケだ』

《女の事だけでも、思い出せたらと思ってな》


 僕と彼は高等部の同期生だ。

 境遇がバラバラな中、彼の真っ直ぐさに安心感を覚え、良くつるむ様になった。


 そして某大棚の息子に引き合わせてみたら、コレも向こうが気に入り、友と友になり。


 少しばかり。

 いや、それなりの騒動を起こしつつ、其々に相手を見付けたワケだけれど。


 彼は、そこらの記憶をポッカリと失ってしまった。


『それで、どう思う』


《良い女過ぎる》

『まぁ、そうだね』


 色香は勿論、18とは思えぬ落ち着きっぷり、妖艶な仕草。

 夜の街のアチコチで雑用をこなし、病の父親を抱えつつも支えている、とされている。


 ただ、様々な意味で僕達には近付くな、と。

 まぁ僕は、色香に溢れた女より、寧ろ堅い方が。


《お前は、どう思う》


『僕の好みじゃない』

《中身の事だ》


『中身もね、病気の心配はしたくない、となれば貞淑さは大前提。君も公務員なんだし、万が一を考えるなら、選ぶべきでは無いよね』


《そう見える様に振る舞っているだけで》

『だとしても、病だと偽っている義父を持つのは無理だね』


《その情報は知らないんだが》

『あぁ、情報を分散させたんだね。僕が持っている情報は、コレ』


 彼女と父親の行動記録。

 意外にも彼女は真面目で、愛人契約をしっかり断った。


 けれど、父親の方は別。

 娘に稼ぎに行かせ、自分は密造酒の製造。


 且つ薬酒も処方させている、明らかに怪しい医者に。


 差し当たっては、裏社会専属の医者。

 ヤブのヤブ、警察も目を付けている輩。


 本来なら僕らは、髪の毛程も関わるべきでは無い者達。


 ただ、そうした中で育った者に彼は惹かれてしまった。

 田舎育ちで珍しいのか何なのか、兎に角、色女に落ちた。


《真面目だろ》

『表はね、ただ明らかに羽振りが収入とは見合わない、そしてどちらが何をしているのかは君の領分』


 関わって欲しく無いとは思っていた、でも、今はどちらでも構わないと思っている。

 良い家の者でもクズになるし、掃き溜めに鶴とも言うのだし。


《暫く、ココと服を借りても良いか》


 知り合いの茶屋に、ココの制服。

 金は使って無いし、妻予定に自慢出来る事と思えば寧ろ得にはなるだろう。


 けれど。


『どうぞ、但し、深入りはしないで欲しい。君は事件に巻き込まれた、休職処分だけとは言えど実質は謹慎処分、良いね』


《分かった》




 長い休職処分中、俺はひたすら彼女を眺め続けた。

 彼女の働き先が見える茶屋で、知り合いの伝手を使い、雑用係として情報を集め続けた。


 『ありゃね、あぁ見えて堅いんだ』


 《触るのもだ、おっかねぇ顔すんだアレ》


 「意外に浮いた話が無いんでね、アレはきっと既に良い男が居るに違い無い」


 そうした話の中、ふと驚く光景を目にした。

 彼女がスリから財布を盗み返し、持ち主に返していた。


 あまりの手際に呆然としたが。

 もし、俺の女だったなら、盗みを辞めてくれたのだろう。


 父親と会う回数も減っている、盗みも辞めた。


 なのに、どうして俺との事を言わなかったのか。

 立場を気にするのは分かるが、俺は単なる警官、どうしても警視総監になってやろうとは思ってもいない。


 それなのに何故、彼女が。


『おいおいおい、何してくれてるんだ、君は』


 その声に驚いて振り向いてしまった。

 先輩の刑事だ。


《あ、いえ》

『あぁ、アレか、親戚の手伝いか何かか』


《はい、ですので給金は》

『茶と菓子を出してくれたら、黙っておいてやろう』


《はい》


 きっと、先輩も彼女を監視しに来たのだろう。

 いや、寧ろ、俺に会いに。


『そろそろ、騒がしくなるぞ、話し合うなら早くした方が良い』


《はい、ありがとうございます》


 そして俺は友人達を集め、彼女とお座敷で会う事にした。

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