第5章: エントロピーの舞踏

 数日の議論の時を重ねるにつれ、美紗は複雑な感情の渦の中にいた。この世界の隆二と過ごす時間が増えるほど、彼女は混乱を大きくしていく。

 

 ルームメイトの桃子は、そんな美紗の変化に気付いていた。


「美紗、最近おかしいわよ。高橋先生のことで何かあったの?」

 

 美紗は言葉を選びながら答える。


「桃子さん、その……もし私が別の世界から来たって言ったら、信じる?」

 

 桃子は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。


「美紗らしい冗談ね。でも、何か悩み事があるなら本当に聞くわよ」

 

 美紗は深く息をつく。

 この世界の誰にも、本当のことは話せない。

 それが、彼女の孤独をより深くしていた。

 その夜、美紗は研究室で一人、量子もつれの実験データを見つめていた。突然、背後から声がした。

 

「やはり、君は普通の学生じゃない」

 

 振り返ると、そこには隆二が立っていた。

 

「高橋先生……」

 

 隆二は静かに美紗に近づく。


「君の知識は、この世界の誰よりも深い。まるで……別の世界線から来たかのようだ」

 

 美紗の心臓が跳ね上がる。


「まさか……気づいていたんですか?」

 

 隆二は頷く。


「僕にも、不思議な既視感デジャヴがあったんだ。君と話すたびに、知らない記憶の断片が蘇る。そして今、全てが繋がった」

 

 美紗の目に、涙が浮かぶ。


「私は……元の世界に戻らなければいけない。でも……」

「でも、この世界の僕は今の君と別れるのが辛い」


 隆二が言葉を継ぐ。

 二人は沈黙の中で見つめ合う。その時、突如として研究室の機器が異常な動きを示し始めた。

 

「これは……」


 隆二が驚きの声を上げる。


「「量子の異常振動!」」

 

 美紗はすぐに理解した。

 彼女の存在が、この世界の量子場に甚大な影響を与えているのだ。

 このまま彼女がこの世界に留まれば、取り返しのつかない事態になりかねない。

 

「隆二くん、やはり私は行かなければ」


 美紗の声が震える。

 隆二は美紗の手を取る。


「美紗、約束してくれ。君の世界でも、僕を見つけ出すと」

 

 美紗は頷く。


「ええ、必ず」

 

 その瞬間、眩い光が研究室を包み込んだ。

 美紗の意識が遠のいていく中、最後に聞こえたのは隆二の声だった。

 

「どんな世界線でも、僕たちは必ず出会う。それが、量子もつれの真理だから」

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